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夢幻の書  作者: こばこ
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第十六章「忍ぶ人」④

 その日は、薄曇りの寒い日だった。

 以前フローラの治療のために街に降りた時に倣い、顔を隠しつつも派手な装束を纏ったフローラを馬に乗せ、その馬の手綱をロディが取った。その横には、徒歩のウィンとシルヴィー。シルヴィーの頭巾から垂れるのは、かつてはウィンのものだった黒髪。ウィンはほとんどいつもと変わらない格好だが、男物の頭巾を身につけていた。荷物を積んだ残り二頭の手綱を、王都の遣いに扮したセディアとラスクが引いた。


 船場の関は、日の出と共に開く。そして、関所を通過したものから、順に船に乗ってあちら岸へ渡ってゆく。よほど揉めない限り、検閲のほうが渡し船より早く旅人を捌いていくから、その日渡せる人数が通過した時点で関所は閉まる。つまり、並んで朝一番に入れば朝一番に渡れる可能性が高く、遅くなればその日に渡れない可能性も出てくるのだ。

「ところがどっこい、朝一番に行きゃいいってもんでもない」

 ラスクが言うには、朝一番は検閲が厳しいというのである。

「まだ時間に余裕があるからな。じっくり手形を見るんだよ。逆に、昼近くになると、役人も疲れてくるし、終わりも見えてくる。早く終わらせて飯を食いに行きたい気持ちも働いて、確認が緩くなるんだな」

 関所の検閲に引っかかるのは、朝早い時間が多いと言う。

「かと言って、翌日に回されて役人の目に長いこと晒されるのは避けたい。てことで、昼前を狙うぞ」


 さすがは闇に生きる者と、皆ラスクの提案を受け入れた。そして、前日のうちに近くの森まで移動し、ゆっくり休息を取って、最後の打ち合わせと変装をし、今、しずしずと街道を進んでいるのである。

 関所が見えてきた。何組かの旅人が、列に並んでいる。商人らしき人々だ。それほど混んではいないようで、ほっと胸をなで下ろす。

 一行は、関所から少し離れた木陰で休憩を取った。特に疲れているわけではないが、旅人の多くがするのと同じように振る舞ったのである。船に乗る前に、用を足したり食事を取ったりするのだ。

 ぴりぴりとした緊張が、その場を支配する。

「あんまり固くなると、やましいことがありますって言ってるようなもんだぜ」

 ま、気楽にやれよ、とラスクがウィンの肩を叩く。フローラの看病のために街におりていたロディやシルヴィーと違って、ウィンは本当に久しぶりに森から出る。特に肩に力が入っているのを、ラスクは見抜いているのだろう。

 うん、と頷く男装のウィンに、セディアは視線を向けた。頭巾を除けば、服装は、普段のものとさほど変わりがない。獣の血に濡れて捨ててきたマントの代わりに、ラスクが予備に持っていたものを借りたくらいだ。

 ただ、濃藍こいあいのその肩掛けは、陽の光の元で見ると彼女の外見をぐっと堅気の雰囲気から遠ざけて見せていた。その姿は、ラスクが語った設定よりずっと、闇を抱き込んでいる者に見えた。

 闇を抱えた、少年に見えた。

 表情とマントだけでこんなに変わるのかとセディアは静かに驚いていた。彼女の演技力と言ったらそれまでなのかもしれないが、目つきから、立ち居振る舞いから、彼女は今、少年だった。

 緊張に引き締まった口元。肩口で揺れる短い髪。軽く短剣に触れた指先。少しだけ伏せられた、すみれ色の瞳。

 瞳だけが、彼女がいつもの彼女であると教えていた。どれだけ姿形が変わろうとも、その瞳が宿す光と影だけは変わらない。彼を惹きつけて止まない、その瞳。

 彼は、彼女から目が離せない。彼の視線に気付きながらも決して振り向かない、彼女の横顔から。


 と、ウィンの背後に人影が迫った。彼女の顔にさっと緊張が走る。

「どうか、お恵みを」

 元の色が分からないくらいぼろぼろの衣類を身に纏った、初老の男がウィンの後ろから小さな木箱を差し出していた。物乞いだ。

 関所の周辺は、物乞いが多い。それは、ラスクから事前に聞かされていたことだ。

 関所を通るような旅人は、商人など裕福な者が多い。そして、その裕福な人々が一時足止めされるのが関所だ。順番待ちの列に長く並んでいる時などは、付き纏われても逃げることができない。


「どうか、どうか」

 請われても、こちらも派手に見せかけているだけで手持ちは少ないのである。

 施しをする気がないときは、目を合わせたり言葉を交わしてはいけない。ウィンは、無視を決め込んだ。

「お恵みください」

 男は、いちばん小柄だからか、執拗にウィンに付き纏う。ウィンがさりげなく場所を移動し、ロディが彼女を陰に入れても、その男は彼女を追いかけた。

 セディアは、動けない。ただ、歯を食いしばる。

「お恵みを」

 男の手が、ウィンのマントの裾を掴んだ。

「わっ」

 ちょうど一歩踏み出そうとしていたウィンが、裾を引かれてたたらを踏んだ。

 その様に、セディアの頭に血が昇った。

 彼女に触れるな。

 怒鳴りたいのを飲み込んで、大股に荷物を横切ってウィンの側に向かう。同じく腹に据えかねたロディと、彼女の隣に立ったのがほぼ同時だった。

 その男は、ウィンの腕を掴み、その顔を覗き込んでいた。

「やはり」

 その男は、それまでとは全く違う、静かな、しかし高揚を抑えきれない調子でそう言った。

 そして、ウィンの元に駆けつけたセディアとロディを仰いだ。

「殿下」

 男はそう呼びかけた。

 セディアではなく、ロディに向かって。

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