第十五章「真名」⑥
「ねえ、もうこんなのいやよ!」
「俺に言われても」
「なんなの、あの二人?この前までべったり仲良くしてたと思ったら!あんな雰囲気、わたしたちまで息が詰まっちゃう!」
胸焼けがするような甘々いちゃいちゃから、突然の冷ややかな雰囲気に急降下してから、もうすぐ丸二日という休憩時間に、フローラはラスクを引っ張って休憩地から引き離した。
他の面々と十分距離を取ってから、フローラはこの二日の不満をラスクにぶちまけたのだった。しかし、ラスクはのんびりと、
「まあ、俺としては前に比べたら今の方がましだけどな」
などとのたまう。
「あなた何をしたのよ?」
「何って?」
「この前、ロディと話してたでしょ、わたしが盗み聞きしてたとき。そのあと、あなたがお兄様に何か言って、こんなことになってるんじゃないの?」
「いや、俺は何も言ってない」
「えっ?」
「正確にいうと、俺が何か言ったからこうなったわけではない。あいつらが勝手にギクシャクしてるんだ。ただ、ギクシャクしてからセディアにどう思ってるか吐かせたけどな」
予想と異なる反応に、フローラは振り上げた拳の下ろしどころがなくなる。
「じゃあ、周りから何も言ってないのに、あの二人は急に距離を置いたって言うの?」
「距離を置いたのはウィンだ。でも、ロディはこうなることを予想してたみたいだぜ」
「そうなの?どうして?」
「そっか、分かんないのか。嬢さんも、セディアとおんなじだな」
その口調が少し同情を孕んでいる気がして、フローラは面白くない。
「分かるように話してよ」
「皇子さまと護衛が、どうやって幸せになるんだよ」
「そんなの!好き合っていれば……」
「関係ないって?いや、大いに関係あるね。あんたは、身をもって分かってるはずだろ?」
思いがけず自分の話を持ち出され、フローラはぐっと黙る。すぐには、返事ができなかった。
「……意地悪なことを言うのね」
「あいつらをくっつけようって考えるよりはマシだと思うな」
ラスクは容赦ない。
「わたしは……わたしは、そもそも好き合ってなんかない。身分だけの問題じゃないわ」
「じゃあ仮に、あいつがあんたを好きなら、一緒になれると思うのかよ?」
この人は、本当に残酷なことを言う。
「お兄様が即位した後なら、あるいは……」
「そうやって政治的に考えてる時点で、好き合ってればくっつけって言う資格はないっつってんだよ」
こんなふうに正論でぶった斬るのはさぞ気分が良いだろう。
論破されたフローラは、腹立たしいような情けないような思いで、自分の気持ちを見つめ直す。
「でも、じゃあどうすればいいの?わたしたちは今バラバラよ。こんなので国境を越えられると思う?」
「じゃあ、やめるか?」
「えっ?」
「あいつらと旅するのを。やめるって手もあるんだぜ。丁重にお断りするんだ。あいつらのことだ、その足で敵方に駆け込むようなこともしないだろうさ」
「でも……でも、六人でさえぎりぎりの旅をしてるのよ?四人でどうやって無事に安全な所まで行くの?」
「こうやって、悩むよりいいかもしれない。東に行って雪が積もれば、追っ手も来なくなるかもしれない」
「そんな……でも……」
言い淀むフローラを見て、ラスクは静かな笑みをこぼした。
「あんたもセディアと一緒だな」
「え?」
「あいつらが好きなんだろ。離れたくないんだろ」
フローラは黙る。
そして、考え考えしながら、
「あのね、ほんとはお兄様をとっちめようと思ったの」
「うん」
ラスクは優しく、先を促してくれる。
「でも、何も言えなくなってしまった」
「うん」
「だって。だって、お兄様のウィンを見る目。あの切なそうな瞳を見たら……」
「惚れてるよなあ、完全に」
ラスクは、あっけらかんと言った。
フローラは頷く。
「だけど、本人は分かってないんだってよ」
「え?」
「さっき、こうなってからあいつの気持ちを聞いたって言ったろ。言ってたんだ。誰かに対する自分の気持ちについて考えたことがない、ウィンへの気持ちが何なのか、分からないって」
「それ、お兄様が言ったの?」
「そう。兄妹でも似ないもんだな」
「お兄様、変に理屈っぽいところがあるから……」
「だから、自分で自分の気持ちを観察しろ、よく考えろって言ってやった。結局な、今後どう動くかは、あいつの気持ち次第だと思うんだ」
「お兄様の、気持ち……?」
「これは極論だけどな」
ラスクはそう言って、遠くを見るような目をする。
「例えば、そうだな。もしあいつが、ウィンと一緒になるために何もかも捨てていいって言うんなら。皇太子の座を諦めて、一生追っ手から逃げ続ける生活でいいって言うんなら」
「うん」
「で、ウィンもそれを受け入れるって言うなら」
「うん」
ラスクは、一言ひとこと、フローラが中身をちゃんと飲み込んだことを確認するように語る。
「今すぐそうすりゃいい。あんたがどうするかって問題はあるが、二人の生きる道は簡単だよな」
「だから、まずはお兄様が自分の気持ちを把握しないと始まらないってこと……」
「そう。それに対してウィンがどう反応するか分からないけど、セディアの気持ちが固まらないと俺たちは何もできない」
ラスクは、そう話を締め括った。彼の話した内容は、フローラの頭にすとんときれいに収まった。
「そっか、そうよね」
本当に、その通りだ。
「それであなたは、お兄様に自分の気持ちを見つめ直すように言ってくれたのね?」
「まあな」
手柄ぶるでもなく、ごく当たり前のことのように、ラスクは頷いた。
「それでお兄様は、だからお兄様は、あんな瞳でウィンを見てるの……」
自分にできることはない。ラスクの言う通り、兄が気持ちを固めるのを待とう。そう、フローラは思った。