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夢幻の書  作者: こばこ
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第十五章「真名」④

「ロディ、ちょっとこっち頼めるか。俺、こいつに説教してくるわ」

とのラスクの言葉に、ロディが肩をすくめて応じた。長く気まずい午後の移動を終えて野営地を定めるや否や、もはや秘密でも何でもない形で、セディアは再びラスクに連れ出された。

「で?」

 ラスクは腕組みをして、悪さをした子どもを睨む父親のような顔で尋ねた。

「で、って何だ」

 我ながら往生際が悪いと思いつつ、セディアは惚けようと試みる。

「あれから考えたのか?あんたはどの程度本気なんだ」

「考えてはみた。でも正直よく分からないんだ。俺が彼女に近づくことの何が問題なのか。どうして彼女はあんなに困った顔をするのか」

「……俺、そんなこと考えろって言ったか?」

 ラスクは頭を抱えてしゃがみ込み、本気で困っているようだった。

 セディアだって、彼の問いに対する直接の答えではないのは百も承知だが、そこから思考が進まなかったのだから仕方がない。

 あーもう、とか、本物のバカなのか、とかぶつくさ言いながらも、ラスクは立ち上がった。結局のところ、彼は最後にはセディアを助けてくれるのだ。

 はーっ、と特大のため息をついた後、ラスクは諭すように話し始めた。

「あのな、あんたが今まで接してきた女たちは、貴族の子女か、町場の酒場の女とかだろ。そういうやつらと、ウィンは根本的に違うんだよ。

 貴族の娘たちは、特に下級貴族なんかは、あんたに気に入られてあわよくば側室になって、正室より先に跡継ぎをもうけたら絶大な権力を手に入れられるわけだ。家名を背負って、あんたの立場にすり寄ってきてるわけだ。

 街場の奴らは、気に入ってもらって店に来てもらえば、自分たちの懐が潤う。情をかけてもらって囲ってもらえでもしたら、とりあえず食うには困らんだろ。もちろん、顔だ性格だは、良いに越したことはないんだろうが、基本的にあんたのカネに寄ってきてるんだ。

 そりゃあそんな奴らは、あんたが距離を詰めれば喜ぶだろうさ。

 じゃあ、ウィンはどうだ?あんたの家名を狙ってるか?カネを狙ってるか?違うだろ。

 今あんたと恋仲になったとして、この旅路だけの慰み者として、旅が終わったら捨てられるのか。あんたが皇位について側室にしてやったとしても、後ろ盾のないあいつは周りからいびられて苦しいだけだ。街場で囲われて、生活を保障してやって喜ぶやつでもないだろ?

 あいつは自分の腕だけで食っていける。着飾って男を待つより、先頭で戦う方が性に合ってるようなやつだ。違うか?

 となると、仮にあいつもあんたのことを憎からず思っていても、あんたの恋人になって幸せになれる未来はほぼ描けないってことだ。そりゃ困るだろうさ」

 そう言って言葉を切ったラスクは、打って変わった同情するような口調で、

「あのな、分かんないかもしれないけど、身分のあるやつに関わるってのはそういうことなんだ。ましてや男と女としてなら。好意があるとかないとか、それだけで割り切れるもんじゃない」

「俺が近づくと、彼女は困るのか」

 セディアは一人言のように問う。

「たぶんな」

「立場や将来を考えて」

「そう」

「じゃあ……今、嫌われているから避けられてるわけではないのか」

 ラスクは片眉をひょいとあげて、

「それは知らん。人としては好きだけど、恋人にはみられないってこともあるしな」

と興味深げにセディアを見た。

「難しすぎないか、これ」

 正直、お手上げなのだが。

「普通の人間関係ってのはこんなもんだぞ。あんたらみたいに身分と立場がガチガチだと、立場を考えたり揚げ足を取られないように毎日大変だとは思うけど、相手の気持ちを考えたりする必要はあんまりないもんな。慣れないのは分かる」

「好意を持たれてても持たれてなくても、彼女は困るし逃げるのか。俺はどうしたらいいんだ?」

「その前に、最初から言ってるけどあんたはどうなんだよ。目新しい女に興味があるだけなのか?娶りたいのか?」

「だから、それが分かんないんだって」

「だから、なんでだよ。自分の気持ちだぜ」

「考えたことない。自分の気持ちで、動いたことなんてない。どうするべきか分からない状況になったことは、今までない」

「難儀だなあ」

 ラスクはぼりぼりと頭を掻いた。立場あるものへの同情からなのか、彼のお怒りはずいぶん収まったように見える。

「分かった、じゃあひとつずつはっきりさせよう。

まず、今俺らは非常に気まずい空気を感じている。これに関してはどう思う?」

「どうにかしなければと、思う」

「ウィンはいつも困った顔をしてあんたを避けてる。これに関しては?」

「面白くは、ない」

「あいつに触れたいとか、抱きしめたいとか思うのか?」

 答えなかった。答えられるわけがない。だけど、ラスクがうん、と頷いたから、何か表情に出てしまったのかもしれない。

「もしあいつに、自分はあんたから離れてる方が幸せだと言われたら?」

 ぴくっと、肩が震えるのが分かった。思いもよらない問いに、発想に、動揺が走る。そんなふうに彼女が思っている可能性があるということに、セディアは初めて思い至った。

 余程動揺してしまったのか、ラスクはぽんぽんとセディアの無事な右肩を叩いて、

「悪い悪い。今日はこれくらいにしとこう。まあ、あいつがどう行動したら自分がどう感じるか、精々よく観察するんだな」

と話をしまいにかかった。


 その様子が妙に大人びて見えて、セディアは少し感傷的な気分になる。

「お前にこんなふうに教えられる日が来るとはな」

「まったくだ」

 ふと、気になることがあった。

「なあ、お前にもそういうことがあるのか?」

「ん?」

「誰かを大切に思うこと。恋をしたこと」

「んなこと聞くなよ」

 ラスクは、げっ、とあからさまに顔を顰めて言った。気にせずに、セディアは尋ねる。

「どんなふうに?」

「お前ほんとに人の話聞かないよな」

 心底面倒くさいという顔をして、ラスクは答えてくれない。けれど、セディアは食い下がる。

「だってさ、普通の人間関係はこんなものだって言うけど、みんな、こんな思いを抱えて生きてるのか?みんな、自分の気持ちが理解できるのか?」

 言いながら、情けない気持ちになってくる。

「分からない、俺には」

 この旅が始まってから、分からないことだらけだ。周りのことも、自分のことですら。

 そんなセディアの様子を見兼ねたのか、ラスクはまた大きなため息をついて、それから遠い目をした。

「恋なあ。あれは恋っていうのか分からんけど、まあ似たようなもんか」

 彼の告白に、セディアは顔を上げる。ラスクは、セディアの顔を見ないまま、

「俺が、俺の大切な人と一緒になれる可能性はない。万に一つもない。だから、別に添い遂げたいとか触れたいとか、そういうふうに思うことはもうない。

その人は俺の存在なんて知らなくていい。

ただ……そうだな、その人がいつも笑っていられるように、陰から守ってやりたいと思う」

「他のやつと笑ってても?」

セディアの問いに、ラスクはおかしそうに笑った。

「もちろん。俺が幸せにしてやることなんてできないんだから。他の誰かと笑ってる彼女の笑顔を、守り抜いて死ねるならそれでいい」

「でもそんなの」

 お前はそれでいいのか。だって。

「死んでしまったら報われないじゃないか」

「報われなくていいんだよ」

「でも、それじゃあ、お前がその人を守って死んだことすら、その人に気付いてもらえないかもしれない」

「ははっ」

 セディアのげんに、今度こそラスクは声を出して笑った。

「当たり前だ、気付いてもらわなくていい」

「え?」

「だってさ、もし俺がその人を守って死んで、もし彼女がそれを知って、罪悪感のようなものを持ってしまったら、彼女は笑えないじゃないか。そんなのは本望じゃない。俺の存在すら、名前すら、知られなくていい。俺は日陰者でいいんだ」

 セディアは呆気に取られて、ラスクが楽しそうに話すのを聞いていた。

「お前……健気だなあ」

 どうにかそう呟くと、ラスクはまた小さく笑って、

「お前、ほんとにこういう話に鈍いのな」

「どういうことだ?」

「何でもない。ただの感想だ。まあともかく、少なくともあんたよりはいろんな気持ちを経験してきてるし、見えることもあるかもしれない。とりあえず、俺から見て昨日までのウィンはあんたに好感を持ってるように見えたぜ。だから、どう動くかはあんた次第だ。遊びならやめとけ。本気なら一緒に考えてやる。ほら、そろそろ戻ろうぜ」

 ラスクに促され、セディアは消化不良の大量の情報と、混乱と困惑に満ちた頭で野営地に戻ることになった。

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