第二章「巫女」③
「フローラ!無事で良かった!」
宰相ラズリー卿と思しき男性は、温和な顔をした四十絡みの人物だった。
がっしりとした体躯、柔らかな茶色の巻毛に、こちらも茶色の髭をたっぷりと蓄えている。人好きのする整った顔立ちが、フローラによく似ている。
押し殺した声で、彼は姪の無事を喜んだ。
「おじさま!」
フローラは彼に駆け寄る。
「おじさま、計画が漏れてる。誰かがココシティの手前でわたしたちを襲撃したの。船には乗れなかったわ。それに」
勢い込んで話すフローラの口を、彼は慌てて押さえる。
「落ち着きなさい。まずは私の部屋へ。話はそれからだ」
そして、フローラの周囲にいる人々に順繰りに顔を向ける。
「そなたは……ああ、フローラの侍女だな。フローラについて来なさい。
そなたたちは?」
「わたしを助けてくれた人たちよ。ここまで護衛をしてきてくれたの」
「そうか。そなたたち、フローラが世話になった。いずれ礼はさせてもらうが、今は立ち去るがよい」
「嫌、だめよ!」
「フローラ?」
「おじさま、ウィンは、彼女は、憑座なの。私と同じ憑座なのよ。もっと話がしたいの。そして、二人をお兄様にも会わせたいのよ」
お兄様にも会わせたい?そんな話は初耳だ。ウィンはそっとロディと顔を見合わせる。
「フローラ、ソリス教の教えを最も体現せねばならん立場のそなたが、この期に及んでまだそんな罰当たりなことを。それに、今はそんなことを話している時ではない」
「でも、でもおじさま。憑座の力が助けに……」
「とにかく私の部屋に来なさい」
ラズリー卿がぴしゃりと言った。厳しい表情を作ると、それまで温和だった顔立ちが急に迫力を増す。さすがは宰相様だ。
フローラは子どものようにぶすっとした顔で、小さくはい、と呟いた。
「客人には部屋を与える。そなたは私と話したあとで、彼らに会えばよい。それでいいな?」
「おじさま、ありがとう!」
表情がくるくると変わる。彼女は素直に大事に育てられたお姫様なのだと、ウィンは思った。胃の腑のあたりが、きゅっと痛んだ。
*
「逃げ損なったな」
通された部屋で二人だけになった途端、ロディが言った。
部屋の中は、建物の外見とはうって変わって、西方風の作りだ。机に椅子、ふかふかの寝台まである。贅沢な部屋だ。
「お兄様に会わせる?冗談だろ。俺は会いたくないね」
「お嬢様って感じだったねえ」
フローラの、わがままが通るのが当然という態度を思い出してウィンも苦笑する。
それから真顔になって、
「でも、彼女が私にこだわる理由が、分かった気がする」
「何だって?」
まだ声に怒気を残したまま、ロディがウィンを振り返った。
「そりゃそうか。皇女ってことは、皇帝の……教主の娘だもん。憑座であるってこと自体、ソリス教の教えに反する」
「ああ、なるほど」
「確かこの辺りも、昔々は三女神信仰だったよね?ソリス教からすれば、駆逐すべき土着信仰。それを、皇女が公に肯定する訳にはいかないってこと。彼女には、憑座であることを認めてくれる相手がいないんだ。シルヴィー以外には」
「彼女たちは、どうして一緒にいるんだろうな」
ロディが怒りを収めた様子で椅子に腰掛けながら、疑問を呈した。
「彼女たちって、フローラとシルヴィー?」
「そう。さっき、シルヴィーはお嬢さんの侍女だって言ってたろ。憑座であることを公表もせず、自由に身動きもできない皇女が、どうして巫女と知り合ったんだろうな。三女神信仰を否定する皇族が、なんで巫女を皇女のそばに置くことを許してるんだろうな?」
兄の疑問に、ウィンの脳裏に浮かぶ言葉があった。大地の女神から教えられて以来、忘れられない言葉だ。
「三人の憑座と巫女の人生は、交わる運命にある」
口に出したのは初めてかもしれない。
「なんだって?」
「憑座の力が目覚めた時に、ディージェに……大地の女神に言われた言葉。海、大地、風の憑座と、巫女。四人の人生は、それぞれ必ずどこかで交わる。ディージェは、憑座や巫女について詳しくは語らなかったけど、それだけは教えてくれたの」
「それが、運命として決まっていると?」
「そう。私は、自らの意志で自分以外の憑座や巫女に会いたいと願った。でも、そう願うと願わざるとに関わらず、何らかの形で出会うんだって」
ロディは眉間に皺を寄せた。
「それは、女神たちがそう誘導するのではなく?」
彼の疑問に、ウィンは首を振る。
「昔、何代か前の憑座の時代に、試しに、海の女神と示し合わせて会わせないようにしたことがあるんだって。それでも、偶然が重なって出会ってしまったって。女神たちは、私たちの行動を見たり、語りかけてはくるけど、行動を強制することはできないしね」
「ふうん」
ロディはそう言って考え込む姿勢を見せた。
「さっきのフローラの話にも通じるかもしれないけど、憑座や巫女の存在は、女神たちだけのものでもないのかもしれない。もっと、大きな何かに規程されているのかも」
そう言って、ウィンも自分の言ったことについて考えた。
しばし沈黙が二人の間を満たした。
それぞれの思考にふけっていた時である。コンコン、と控えめな音が来訪者を告げた。
次回更新は明日5月5日11時頃の予定です。
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