第十五章「真名」①
炎の爆ぜる音がした。そして、穏やかで密やかな話し声。知った声だ。優しい声。
ぱしん、とまた炎が爆ぜた。
炎が、近くにある。
誰がつけた炎だろう?
ここはどこだっけ。私は、何をしてたんだっけ。
ぼんやりとした思考のまま、ウィンはそっと炎の方に顔を向けた。と、炎を背負った影が駆け寄ってきて、彼女の枕元にしゃがみ込んだ。
「ウィン?ウィン!気がついた?」
「フローラ?」
「そうよ、わたし。ウィン、大丈夫?」
「私は……」
少しずつ記憶が確かな形を作っていく。フローラは確か、街へ降りていたはずで、ここにいるということは。
「フローラ!もう平気なの?身体は?」
「完璧とは言えないけど、あなたたちよりはずっと元気よ。ねえ、何があったの?大地の女神は、詳しいことは教えてくれないし」
「私たち……私たちは……?」
『私たち』。私と、一緒にいたひと。
「セディア!セディアは?熱は?」
がばっと起き上がったウィンの肩を、フローラが優しく押さえる。
「落ち着いて。お兄様も大丈夫。わたしたちが戻った時にはまだ熱があったけど、シルヴィーが流れを整えてくれたの。あ、これはお兄様には内緒ね。もう熱も下がって落ち着いてるわ。今はね、森を出た日から数えて五日目の夕方よ」
「そっか。良かった……」
フローラの視線を追うと、ウィンのすぐ隣でセディアが横になっていた。顔色はまだあまり良くなさそうだが、確かに苦しげではない。
ほっと、胸を撫で下ろす。
「大地の女神が、狼に襲われて怪我をしたお兄様を、ウィンがここまで連れてきてくれたんだって、自分が倒れそうになりながら連れてきてくれたんだって、それは教えてくれたの。ウィン、ありがとう」
「……お礼なんて、言わないで」
「え?」
思い詰めたその声音に、フローラの後ろからロディとラスクがこちらを窺う。
だけど、ウィンは顔を上げることができなかった。
*
「私……セディアのことを守れなかった。ごめん、ごめんねフローラ。怪我をさせてしまった。熱まで出て。無事だったから良かったけど、もし、もしものことがあったらどうしようかと……!」
フローラの前で、ウィンは吐き出すようにそう言った。
「ウィン……」
「ごめんね。自分だけ手当てしてもらって、セディアのこと放り出して。今だって、自分ばっかり回復して。私、護衛を名乗る資格なんてない」
フローラは、自責の念に駆られながら紡がれるウィンの言葉に、少し悲しくなった自分に気付く。
ウィン、そうじゃない。そうじゃないよ。
フローラは、背筋を伸ばして、居住まいを正した。そして、ウィンの手を取ると、彼女はくしゃくしゃになった顔をフローラに向けた。
「ね、ウィン。今からわたしは、あなたたちを護衛として雇っている者として話すわね?」
フローラは、意識して穏やかな声音で話す。
ウィンは、悪さをして親に諭される子どものような顔で頷いた。
「厳密に言えばあなたはお兄様の護衛ではないけれど、あなたは今回、お兄様を守ってくれるつもりで一緒に残ったのよね?
それなら、狼の……動物の襲撃を予想していなかったのは手抜かりね。次からはこういうことのないよう、事前にしっかり考えなさい」
「はい」
ウィンの表情も引き締まる。彼女は、背筋を伸ばして、答えた。
「それと、あなた襲われてすぐに大地の女神に相談しなかったでしょ?忘れてたの?私たちには頼れないと思ったの?何かあったら、すぐに誰かに相談しなさい」
「はい」
「そして、ここからは、あなたのお友達として」
驚いたように目を見開いたウィンを、フローラはそっと抱きしめた。
「無事でよかった。あなたが無事で、ほんとによかった。そして、お兄様を守ってくれてありがとう」
ただただ為されるがままになっているウィンの背をフローラは優しく撫でた。そして、ウィンの身体の強張りが取れたところで、身体を離して微笑みかけた。
「もう身体は大丈夫?詳しい話を聞かせてくれる?」
ウィンは、こっくりと頷いた。
ウィンが少し俯いてフローラにこの五日間の話をするのを、ロディ、ラスク、シルヴィーはフローラの後ろで炎を囲みながら聞いていた。
話が進むにつれて、ロディとラスクの表情が険しくなり、苛立ちに変わり、最後には呆れ混じりのため息になるのを、シルヴィーだけが見ていた。
ウィンが語り終わった頃、外はすっかり暗くなっていた。
「それで、昨日の午後かな、雨が降ってる中、ここにたどり着いたの。野生動物が警戒するように、でもあなたたちなら入れる程度に、入り口の地面に割れ目を作って、たぶんそれで私は力を使い切って、二人とも倒れてしまった」
「わたしたちがここに着いたのは今日の午前中だから、じゃあ、お兄様は丸一日眠っていることになるのね」
「うん……」
「明日の朝には、目を覚ましてくれるといいんだけれど」
そう言って、二人は横たわる青年に視線を注いだ。