第十四章「肩」⑤
地割れと砂上化は、橋を渡すように幅一間ほどを回復させた。労力を最低限に抑えつつ、歩ける道を作ったのだ。荷物は、当座必要なものだけを選り分けて腰にくくりつけた。
血に濡れたマントは置いていく。代わりに、毛布を結えつけて防寒具と雨具の代わりにした。ベストは、必要なものがいろいろ入っているから捨てていけない。気休め程度に血を拭って、身につけた。
短剣と棒は腰に差した。
体調は万全ではないが、動ける。と思う。
よし、と気合を入れ直して、横たわる彼のもとに近付いた。
「セディア?」
予想通り、返事はない。
「ねえ、雨が降りそうだから、場所を移動するよ」
しばらく前に彼女が彼に被せた毛布を捲る。反応はない。
「失礼するね」
その身体を抱えようと、脇の下に手を差し入れた時である。
激しい仕草で、手を跳ね除けられた。そしてそのままの勢いで、彼は上体を起こして戦闘態勢を取った。
半ば予想していたことながら、その激しい仕草に、険しい表情に、やはり少し悲しい気持ちになる。
「大丈夫、わたし」
手を一旦引っ込めて、ウィンは語りかける。
「ウィン……?」
浅く熱い息を吐きながら、セディアが彼女を見た。彼の緊張が少しだけ緩む。
「ここは……」
「森の中。セディア、私におぶさってくれる?」
「え?」
「一緒に、ここを抜けよう」
*
「私におぶさってくれる?」
「え?」
最初は、熱のせいで聞き間違えたのかと思った。
「一緒に、ここを抜けよう」
しかし、その決意に満ちた表情を見るに、彼女は本気らしい。
いや、それはないだろ。
彼女のあまりに無謀な申し出に、一気に目が覚めた。
「嫌だ」
取り繕うこともなく率直に口に出すと、彼女は少し傷ついたような顔をした。
「自分で歩ける」
見せた方が早いだろうと、立ち上がってみせる。身体が重いが、歩けないわけではない。
「でも……」
彼女が慌てて支えようと近寄ってくる。その手を押し戻す。
「俺を背負うつもりだったのか?お前の方が潰れるぞ」
「でも」
彼女の言葉は続きを失い、差し出しかけた手は行き場をなくし、彼女は困ったような顔で、胸元でその手を握った。その出立ちを見ると、荷物を腰に括り付け、武器は腰に差していて、本気で彼を背負ってここを抜けるつもりだったことが分かる。
なんだよ、ほんとに馬鹿なのか?
「残りの荷物は?」
「え?」
「それが全部じゃないだろ。陣笠とか、食糧とか」
熱のせいか、さっきからきちんと言葉が纏められていない気がする。
「ああ、まとめて地面の割れ目に入れてある。大丈夫、雨が降っても水が溜まらないようにしてきたから」
「最低限は持ってるのか?」
「うん。今日が四日目なら、約束の五日目は明日。約束の場所に私たちが現れなかったら、きっとシルヴィーが森に聞いて私たちを探してくれる。明後日の朝には、きっと誰かが助けに来てくれる」
「二日分?」
「うん。途中で水は汲まなきゃいけないけど」
「分かった。『すみれ』か?」
「うん、そのつもり」
『すみれ』は岩場の隠れ家を指す隠語だ。敵に追われて別れてもまた合流できるように、その時に合流場所を伝えても敵に知られないように、彼らは隠れ家に二人だけに通じる呼び名をつけていた。桔梗、かたばみ、すみれ、百合。
セディアは、水を汲んで『すみれ』に向かう道順を頭で辿る。元気ならどうということのない道だが、ふらつく足元で進むには遠いし険しい。
だからと言って、彼女におぶさるなどということはできない。そんなことをするくらいなら、這って進む方がましだ。
「分かった。行こう」
「ほんとに大丈夫?」
彼女の瞳がセディアを映す。こちらも『すみれ』だ。すみれ色だと思っているのは俺だけなのかもしれない。だけど、それは幸運の印のような気がした。
「大丈夫」
昨夜彼女が大丈夫と連発していた気持ちが、少し分かった気がした。
*
二人は、戦いの痕跡が色濃く残る木陰を離れて、岩場に向かった。
ウィンは、歩き出してすぐに隣のセディアの息が上がったことに気付いていたが、何も言えなかった。手を振り払われたことが記憶に新しい。皇太子として育てられた人だ。他人に触れられるのも、身を預けるのも、抵抗感が強いのだろう。
そしてウィン自身、水を汲んで荷物の重量が増した頃には、また頭痛が始まっていることに気付いた。
いやだ。まだ、倒れるわけにはいかない。
道半ばを過ぎたかという頃、隣から聞こえる息遣いが本格的に激しくなり始めた。足を運ぶ速度が落ち、しばしばウィンは立ち止まって彼を待った。
彼女に追いつき、そのまま立ち止まって肩で息をする彼を、ウィンは悲しい気持ちで見つめた。
そして、歩み寄り、そっと傍に寄り添った。二人になった最初の夜に、彼が眠れない彼女に寄り添った時のように、そっと。
「一緒に、行こう?」
ウィンは苦痛に歪む彼の顔を覗き込んだ。
「ふたりで、生き抜こう?」
そう言って、彼女は彼の右腕を取り、自身の肩に担ぐようにもたれさせた。今度は、彼は何も言わずに彼女の肩を受け入れた。
身体を引き摺るように、二人は目的地に向かって進んでいった。
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