第十四章「肩」①
セディアに突き飛ばされたのだと気付いたのは、地面に強か額をぶつけた後だった。外からの衝撃と内からの頭痛でガンガン痛む頭を押さえながら顔を上げると、一度は退いた狼の長が、態勢を立て直して再度襲い掛かってきていた。ウィンの背後から飛びついたはずの獣は、彼女が突き飛ばされたため、正面からセディアと向き合う形になったのだった。
今、剣でその爪と牙に対抗しながら獣と押し合う形になったセディアは、じりじりと押し負けて膝をついたところだった。
ウィンは、あの夜の襲撃以降、すぐに抜けるように腰に刺していた短刀に手をやる。横から援護に入ろうと、抜き身の刀を振りかぶった時である。
群れの最後の一頭、美しい白い狼が、セディアに背後から襲い掛かった。
そこからは、全ての動きがひどくゆっくりに見えたことを覚えている。
白い狼が、セディアの左肩に噛み付いた。その牙が、肉に食い込むのが分かる。彼の剣を持つ手に力が入らなくなり、群れの長が彼にのしかかる。
そこで、何か叫んだ気がする。でも、よく覚えていない。
長の首を目掛けて短剣を振り下ろす。
手応えがあった。短剣を獣の身体から抜くと、ぬるぬるとした温かい血が噴き出し、彼女の全身を濡らした。鉄の匂い。
返す刀で、セディアの肩に齧り付いた白い獣に斬りつける。キャン、と悲鳴を上げたその口が、彼の肩から離れた。短刀を振るうために、ウィンは白い獣の間合いに入っている。怒りに任せて掻いた獣の爪が、彼女の二の腕を裂いた。痛みが走るが、まるで他人事のように遠い。刃物に気を取られた獣の隙をついて、その腹を蹴り上げる。
今度は彼女に噛みつこうと開かれたその口は、セディアの血に濡れていた。その朱に、彼女の頭に血が上る。このまま接近戦で止めをさしてやる。短刀を振りかぶる。
と、白い獣の身体に衝撃が走り、それはどさりと地に臥した。
セディアが体勢を立て直し、ウィンに夢中になっていた獣を剣で斬り伏せたのだ。
静寂が訪れた。
はー、と大きく息をついたセディアが、確実に止めをさすべく、一頭一頭確認していく。ウィンもそれに倣おうとすると、振り向いた彼が首を振った。
どういうことだろうと思って首を傾げると、彼は、彼女の手にある短剣を指差した。
なるほど、短剣で止めをさす、つまり首を貫くには獣にかなり近付かなくてはならない。もし目を覚まして噛み付いてきたら避けられない距離だ。やめておけ、任せておけということか。
その表情から、ウィンがそこに思い至ったことに気付いたのだろう、彼は小さく頷いて作業に戻った。
二人とも、何も言わなかった。
ウィンは、初めてフローラに会った日に、ラスクがこうやって追手を全員殺していった光景を思い出していた。
*
六頭の獣は、みな物言わぬ肉塊になった。少しでも金が欲しい身としては、毛皮を剥いでいきたい気もしたが、そんな時間も体力もない。それに、この群れはこの辺りで幅を利かせているような雰囲気だった。売りに行ったら、目立つのかもしれない。
何はともあれ、終わったのだ。
ふう、と息をついてセディアが振り向くと、ウィンが尋ねるような視線を寄越していた。セディアは、ひとつ頷く。もう、大丈夫だ。
と、彼女は転がるように走り寄ってきて、彼の肩口にむしゃぶりついた。
「傷!早く手当てしなきゃ!」
泣きそうな顔で見上げられ、その剣幕に驚く。いつの間にか、彼女は荷物の中から薬と包帯代わりのさらしを持ってきている。
「上衣脱いで!あっ、自分では脱げない?」
「いや、大丈夫。でも、その前に」
その前?と彼女は苛立った顔を上げる。熱くなって、周りが見えていない。彼女の両肩をしっかり掴んで、彼女の目を見て、彼は語りかける。
「落ち着け。大した傷じゃない。手当てはするが、そんなに慌てなくて大丈夫だ」
「でも、でも」
「どうしたんだ?」
君らしくない。そう言おうとして、セディアは、ウィンの顔色がひどく悪いことに気付いた。
「ウィン?君こそ……」
「私は大丈夫、あなたの怪我が」
言い募る言葉の途中で、その身体がぐらりと傾いだ。が、彼女はどうにか自力で踏みとどまった。その様子に、セディアは事前の打ち合わせ時に、彼女が言っていたことを思い出す。
地割れは、できれば使いたくないと。身体への負荷が大きいから、と。その地割れを、群れの長を追って長時間続けていたのだ。これが負荷の結果なのか。