第二章「巫女」②
「完全に日が暮れても、俺が帰って来ないようなら、闇に紛れてここから離れろ。街から離れた森の中に身を隠して、こいつらを使いに出すとか、どうにかして、兄貴と連絡を取るんだ。わかったな?」
ラスクの真剣な眼差しを受け止めて、フローラがしっかりと頷いた。彼は今度は兄妹に向かって、
「あんたら、嬢さんを頼む」
今度はウィンが頷く。
*
五人は小道から離れて森に分け入った。この辺りはまだ比較的平坦で、馬でも森に入ることができる。大木が倒れてぽっかりと空間ができたところを見つけて、一行は馬を下りた。そこで、フローラをウィンたちに託し、ラスクは一人『おじさま』の別邸に向かったのだ。
空にはまだ明るさが残っているはずだが、森の中はかなり暗い。目が慣れてきても視界は悪かった。
いやだな……。
倒木に腰掛けているウィンが、気持ちを落ち着けるために地面に触れた時である。
「大丈夫です。周囲に危険な人はいません」
と、シルヴィーがささやいた。
「え?」
ウィンも小声で聞き返す。
「ウィン様は、巫女のことも知りたいと仰せでしたので」
シルヴィーはそう言って、黄緑色の瞳をウィンに向けた。薄闇でも、その瞳はよく見えた。
「巫女は、生きとし生けるもの全てと話すことができるのです」
「生き物と、話す?」
「ええ。植物と話す時は、言葉を発する訳ではありませんが。触れればお互いの考えを伝えられます」
そういえば、彼女は腰掛ける前に周囲の木々に触れていた。
「今のところ、この森にいる人間は私たちだけです。他の人が入ってきたら、」
シルヴィーはそう言って周囲を見渡す。
「みんなが教えてくれます」
巫女とは、憑座ともかなり違う存在なのだと、ウィンは驚いた。ウィンにはそんなことはできない。隣で聞いているロディも、身体を乗り出して
「それは、すごい力だな。全ての生き物から情報を得られて、一緒に戦ってもらえるんだな?」
と尋ねた。
「いつでも、いくらでもというわけではありません」
彼に向かって、シルヴィーは首を振った。フローラにとっては既知の話なのだろう、彼女は疲れ果てたように、腕に顔を埋めて話を聞いていた。
「お話はいつでもできますが、戦ってもらえるのは憑座を守る時だけです。それに、そのために相手の命を奪うことはできません。生き物たちも、私も」
そう言って真摯な瞳をウィンとロディに向ける。
「巫女は、確かに憑座の味方です。でも、まず第一に、三人の女神に仕える者です。言い換えれば、自然に仕える者なのです」
「自然に……?」
「海に。大地に。風に。そしてそこに生きる全ての生き物に」
彼女は、優しい瞳でぐるりと周囲を見回して続けた。
「そして、女神さまたちのご意向を受けて、憑座の皆さまを守るのです。憑座を危機に晒すことや、生き物の命を奪うことは、私個人がやりたいと思ったとしても、できないのですよ」
「できない?」
ロディが聞いた。シルヴィーはうなずく。
「身体が動かないのです」
しばし、沈黙が訪れた。
「わたしね、思うことがあるの」
フローラが気怠そうに顔を上げて呟いた。
疲れた気配が彼女を、愛らしいだけではない、大人の女性にみせていた。一人言のように、彼女は続ける。
「わたしたち憑座は人間。女神にほんの少し気に入られただけの、ただの人間よ。でも、巫女は、もっと違う存在なのかもしれないって」
「もっと違う存在?」
今度はウィンが聞き返した。さっきから聞き返してばかりだ。
フローラは、足元の地面を見ながら語り続ける。
「巫女は、人として産まれるけど、半分は人ではない何かなんじゃないかって。だって巫女は」
そう言って彼女はシルヴィーを見た。
「人として死なないんだもの」
先ほどよりもずっと長く重い沈黙が、四人の間を満たした。
人として死なない?
誰も口を開けずにいる間に、前方で木々が動く気配がした。
ウィンとロディが咄嗟に立ち上がって武器を構える。
「大丈夫です」
シルヴィーが傍らの木にそっと触れて言った。
「ラスク様と、邸の方です」
そう言われても、二人は構えを解けずにいた。森の中に誰がいるか分かる?死なない?そんなことがあり得るのだろうか。
大地の憑座の力だってかなり規格外だが、話を聞く限り巫女はその比ではない。
カサカサと、落ち葉を踏む音が近付いてくる。
「武器を下ろしてくれ。俺だ」
ラスクの声だ。兄妹は、構えを少し緩めた。
木立の間から、少年が姿を見せた。後ろにもう一人誰かがいる。暗がりの中、その人物の顔も衣服もはっきりとは分からない。
「当主に会えた。邸に匿ってもらうことになった。この人は当主の配下だ。ついて行け。馬はここにつないでいく」
フローラに向かって端的に用件を言ってから、シルヴィーに向き合う。
「まずお前が行け。そのあとに嬢さん。それから俺が……」
そう言った時に、ウィンと目が合った。彼は視線をフローラに戻す。
「嬢さん、ほんとにこいつら連れてくのか?」
「当たり前よ。護衛のお代も払ってないでしょう」
ラスクは、たぶんわざと、二人に聞こえるようにため息をついた。兄妹が聞き返してばかりいるように、彼はため息ばかりついている。
「じゃあ俺の後ろにあんたらだ。後をつけられないように気を付けろ」
次回更新は5/4(火)の予定です。