第十二章「黒髪」⑥
かすかに、空が白み始めた。早く段取りをして、夜明けと同時に街に向けて出発したい。けれど、まだ気になることがある。
「そいつの外見を、どうにかした方がいいな」
セディアの言葉に、皆がシルヴィーを振り向いた。ゆるりと顔を上げた彼女の顔に、銀髪が幾筋か落ちる。焚き火の炎を反射して、きらりと光った。
町娘の普段着のようなワンピースに、編み上げのブーツ。腰までの銀髪に、黄緑色の瞳。
「確かに。服はまあいいにしろ、髪はどうにかしないと目立つな」
ラスクがセディアの言いたかったことを代弁してくれた。セディアは頷いて、
「お前は変装道具を持ち歩いてないのか?」
「自分の分はある。だけど、街におりるなら俺自身も使わなきゃいけないし、第一、男物だ」
「帽子か、頭巾か、つけ毛か、そういうものが要るな」
そう言ったセディアは、ウィンがもの言いたげな微笑みを浮かべてこちらを見ていることに気付いた。
「どうした?」
「あのね、考えたんだけど」
彼女は突然、腰の短刀を抜いた。ラスクは身構えたが、セディアは動かない。刀身が、炎に煌めく。巫女の髪と同じように。
「だめなんです、ウィン」
シルヴィーが、静かに首を振った。
「巫女の髪は、身体と一緒で傷つけられないんです。切ることはできません」
巫女の言い分を聞いたウィンは驚きもせず、笑みを湛えたまま、首を振った。
そして、短刀を自分に向けた。ぶつりという鈍い音とともに、ウィン自身の手で、その黒髪は断ち切られた。
誰も、何も言えなかった。
*
皆の視線を一身に集めて、しかしそれを意にも介さず、ウィンはざくざくとその黒髪を断っていく。
ついに、長かった彼女の髪のほとんどは、その手から垂れ下がる黒い塊になり、顔の周りを縁取るのは、ラスクより二回りほど長い、肩辺りまでの髪だけになった。
「かつらにするには長さが少し足りないけど、頭巾をかぶって下から出す分には間に合うでしょ。頭巾は、私のを貸してあげる。街に出るときのために、ひとつ持ってるから」
ウィンは、そう言って握った髪を整える。応える人はない。動く人も、ない。
「ねえ、さっさと話を進めようよ。フローラを早く済ませなきゃ」
なおも、沈黙が続く。苛立ったウィンが、声を荒げようかと口を開いた時であった。
「ウィン……そんな、そんなこと……」
シルヴィーの声が漏れ聞こえてきた。
「え?」
「だって、あなたの髪が」
「もう。それはいいんだってば」
強がりでなく、本当にウィンは気にしない。むしろ、せいせいしたくらいだ。
「ほら、シルヴィー。こっちに来て。どうやったら上手く使えるかな?」
のろのろと、フローラの傍らを離れてウィンのもとにやってきたシルヴィーが、もはやウィンの身体の一部ではなくなった黒髪を見る。
二人でああでもないこうでもないとやっていると、ラスクが立ち上がった。
「下手くそ。それは俺がやってやる。だけど、その前に」
言いながら、彼はウィンの隣に腰を下ろした。
「そのバサバサをどうにかしてやる」
「バサバサ?」
「お前、適当に切ったろ。見るに耐えないぞ」
「そんなに?」
「ああ、鏡があったら見せてやりたいね」
憎まれ口の中に、彼の優しさがにじむ。
どこに持っていたのか、彼は鋏を取り出してウィンに見せた。腰の部分に綺麗な細工の施された、およそ彼に似つかわしくない繊細な和鋏。
刃物を取り出したラスクを見て、今度はロディが腰を浮かしかけたが、ウィンは片手を上げて制した。
しゃきしゃき、と耳元で心地よい音がしてぱらぱらと短い毛が落ちる。髪を整える彼の手は、思っていたよりずっと優しい。
「お前なあ、どんだけ目立つ外見になるつもりなんだよ。ちびの女で武人で短髪?隠密行動できないぞ」
沈黙に耐えかねたのか、ラスクが話しかけてきた。
「ラスク、上手だね。ありがとね」
ウィンは直接返事はせず、言いたいことだけを言った。
「礼を言うのはこっちの方だ」
ラスクは、髪を整える手を止めず話す。
「それにな、嬢さんが元気になって戻って来た時、あんたがひどい髪型をしてたら、自分のせいでって気にするだろ。せめて整った髪で会ってやってくれ」
「うん、そうだね」
ラスクは、優しい。
優しいけど、優先順位がはっきりしている。
彼にとって、フローラとセディアは全てを……彼自身をも超越したところにいるように、ウィンには思えた。