第二章「巫女」①
「小川がある。一休みしよう」
先頭を走っていたウィンが、そう言って馬を止めた。
正午過ぎにクスノキに別れを告げてから、もう一刻以上経っている。途中の関所では、フローラの持っていた手形が問題なく効力を発揮したが、緊張感による疲労は間違いなく面々を蝕んでいた。
「いや、そんな暇はない。日が暮れる前に、あっちに着きたい」
追いついてきた馬の上から、ラスクが言った。人目のある主街道を避けている上に、二人乗りをしているからどうしても時間がかかるのだ。
「その気持ちは分かるけど、二人乗りで走りっぱなしだよ。馬と……あとお嬢さんが限界なんじゃない?」
ウィンに言われて、ラスクは自分の前に座るフローラを見た。フローラは、手綱を握る彼の腕にすっぽりと収まって前を向いていて、彼の位置からは表情は見えない。
「疲れたか?」
「そうね、少し休めると嬉しいわ」
そう話していたところへ、ロディとシルヴィーが追いついてきた。
「休憩だな」
ロディが、判決を下すように言った。
*
「なあ、気付いてるか?」
「何に?」
「かなりやばい船に乗ってしまってること」
馬を下り、フローラとシルヴィーを近くの木の根本に残して、ウィン、ロディ、ラスクは馬に小川の水を飲ませていた。フローラはかなり疲れていたらしく、木にもたれかかるようにして目を閉じている。シルヴィーが優しくそれに寄り添う。ラスクの馬が、水を飲みやすい場所を求めて移動した隙に、ロディが、そっとウィンに近寄って耳打ちしたのだ。
「あのお嬢さんの正体、気付いてるか」
「たぶん」
「それを分かってて、行くと決めたんだな?」
「うん、そう」
「皇女だよな、彼女」
「皇位継承権第二位だっけ?亡くなった前皇后の第二子。この国は女性も継承権があるんだよね」
「確か、皇帝はしばらく前に病に倒れてる」
「左大臣が、それを利用してラージ家の現正室……今の皇后の子を後継ぎにしようとしてる、んだっけ」
「そんな時に、ココシティから船に乗ろうとしてた皇女。と考えると、かなり事態は厳しいんだろうな」
「都にいると命が危ないってことだろうね。さっき言ってた『おじさま』って、宰相様だよね。宰相のキノ・ラズリー卿。亡くなった皇后様の兄だっけ?
だから、彼女がお兄様って言ってた方は」
「皇太子セディアだよな。『酒と女に溺れた、外見だけのダメ皇子』」
街で聞いた話を再現するような口調でロディが話を引き取った。
「そんなお兄様、頼りになるのかな」
「武人としては優秀だぜ。知ってるだろ。『いっそ武将として生きればいいのに』だったか。ま、良いのも悪いのも、噂ってのはあてにならんけどな」
そう言ってから、ロディはウィンに向き合った。
「そんな奴らと、関わり合って本当にいいのか。今なら逃げられる。深入りすると、いろいろとまずいことになるかもしれない」
「いろいろと、まずいこと」
ウィンはロディの言葉を繰り返した。そして、
「でも、いろいろと良いこともあるかもしれない」
「良いこと?」
今度はロディが聞き返した。
「私たちの将来にとって。北ノ国の王族と、私的な繋がりがあると、良いこともあるんじゃない?」
「それは、戻ったときに?」
「そう」
「ウィンは、戻りたかったのか?」
「私はどうかな。でもロディは、戻りたいでしょ。いつかは」
兄は返事を躊躇う。
「それにね、」
そう言ってウィンは少し笑った。
「皇女さまだからこそ、この機を逃したらもう会えないかもしれない。さっき言ったことは嘘じゃない、私は彼女たちと話がしたい」
「憑座仲間を探すのは、確かに旅の目的のひとつだもんな」
「そう。せっかく会えたんだもの。少なくとも、お話をした後で、また会える形で別れたい」
「分かった。状況を理解してて、その覚悟があるならいいんだ」
会話が終わるのを見計らったように、水を飲み終わった馬が草を求めて、彼らをフローラたちのいる木立の方へ引っ張って行った。
*
一行がチクシーカ山地に着いたのと、日が沈むのが、ほぼ同時だった。
チクシーカ山地の尾根は東西に走っている。目指す別邸はその北側の山腹に張り付くように建っていた。大きくはあるが質素な作りで、一見して宰相の別宅とは思えない。木造で落ち着きのあるその佇まいは、品のある静かな旅籠といった雰囲気だ。
西方文化の影響が強かったココシティの建物とは違い、ヒヅル列島の伝統文化と大陸文化の折衷型のような、北ノ国の一般的な建築様式だった。
「正面から行くのは危険だ。敵が張ってる可能性もあるし、邸の中に裏切った奴がいる可能性もある。」
ラスクが馬を止めてそう言った。
「裏から回ろう。俺が訪いを入れてくる。おい、お前」
彼はシルヴィーに呼びかけた。
「さっきのやつ、ここでもできんのか?木とか鳥とかを戦わせるやつ」
シルヴィーは静かに頷いた。
「フローラ様とウィン様の身に危険が及んだ場合、生き物たちは私の命に従ってお二人の敵と戦います」
「さっき、すべての生き物たちって言ってたよな?てことは、野生の……狐とか熊とか、下草とかもか?」
「はい」
「そりゃ頼もしいこった」
昼間の戦いの時に、脱出を試みる刺客の脚を捕らえたものの正体に、ウィンは思い当たった。彼女が刺客の足下の草に命じたものだったのだろう。
「それなら、嬢さんたちは裏口近くの森に潜んで待ってるのがいちばん安全だな。裏口までの道は俺が分かる。先頭を代わってくれ」
黄昏時に、三頭の馬が山裾を進む。ウィンは、前を走るラスクの背を見ながら、彼が執拗に誰の名も呼ばないことについて考えていた。
次回は5/2更新予定です。