第十章「バンナ家」①
ロディとラスクが偵察をしているであろう、その日の日中はよく晴れた。幸運に感謝しながら、特にすることのない残された四人は、それぞれ落ち着かない時間を潰すために体を動かした。
フローラはシルヴィーを共に、残された一頭の馬を使って一人で駆ける練習をし、セディアとウィンは、夜間の襲撃を想定して、憑座の力を行使した連携技の練習をしていた。
半日もすると、すっかり息が合ってお互いに相手の動きが読めるようになってきた。この練習に彼女を誘ったのはセディアである。いい動きができて少し気が晴れたときに、ウィンはこれは彼の気遣いだったのかもしれないと気が付いた。昨夜、彼女の不安に気付いて声をかけてくれたことも、今日こうして一緒に体を動かしてくれたことも、彼なりにウィンのことを考えてくれての行動かもしれない。
この人、結構いい為政者になるかもしれないな。ウィンはなんとなく温かい気持ちで鍛錬を終えた。
そうして、四人で二回目の夜を迎えた。今夜の見張りはシルヴィーだ。岩陰に、セディアとフローラと横になりながら、しかし、ウィンはなかなか寝付くことができなかった。
長く長く感じた秋の夜が明け、予定の朝になっても、ロディとラスクは姿を現さなかった。
*
「寝ろ」
「いや」
「寝ろって」
「いやだってば」
午後になってもロディとラスクの姿は見えない。朝からずっと何も手につかない様子でそわそわするウィンを、仮眠から起きてきたセディアが説得していた。ウィンが一向に応じず、兄も諦めないから、だんだんと二人の声が高くなる。
「昨日の夜もちゃんと寝てないだろ。今夜の見張りは俺と君だ。寝ろ」
「ねえ、眠れると思うの?」
泣きそうな顔でウィンがセディアに訴えた。何か言いかけた兄の顔がぐっと引き締まる。『俺は眠れる』とでも言いかけたんだろう。彼は、彼女の目線を避けるように横を向いた。
「ねえ、ウィン。ロディに何かあったと思ってるの?」
フローラは、努めて穏やかな声を出した。ウィンはくしゃっと歪んだ顔のまま、彼女を振り向く。
「ロディ自身が言っていたじゃない。状況によっては、遅れることもあるだろうって。何か、調べたいことがあったのかもしれない」
ウィンは、そんな話では納得できないとばかりに首を振る。
「それに、それにね」
フローラは、所在なげにぶら下がっていたウィンの右手を取り、自身の両手で包んだ。
「もし二人が、寝不足でくたくたで帰ってきたら、休ませてあげたいでしょう?その時はあなたが頼りなの。だから、今のうちに……眠れるうちに、眠りなさい」
ウィンは泣きそうな顔のまま、でも小さく頷いて、岩陰に向かって横になった。兄が、助かった、と言いたげな目線をフローラに寄越した。彼には珍しく、ウィンの態度に弱っていたようだ。
フローラは、セディアにひとつ頷いてみせてから、ウィンに続いて岩陰に入り、彼女の横に座った。
ウィンが半身を起こして、表情で疑問符を送ってくる。フローラも眠るの?
フローラは、にっこりと優しく笑ってウィンの頭を撫でて再び横にならせると、小さな声で歌い始めた。幼い頃、母が歌ってくれた歌。子守唄というには大人びた、でも優しい旋律の歌。
*
「寝たか?」
フローラの声が止んでしばらくした頃、セディアが岩陰を覗いてきた。フローラは黙ってうなずく。
世話の焼けるやつだな、と呟いて、そのままセディアはじっとウィンを見つめている。
「……だな」
「え?」
兄の口からぽろりとこぼれた言葉を、フローラの耳は拾い損ねた。
「いや」
兄は少し口籠ってから、
「眠ると、ずいぶん幼く見えるもんだな」
と、真面目な顔で言った。
ああ、そうか、とフローラは気付いた。彼は、ウィンの寝顔を近くで見るのは初めてなのだ。
夜眠る時はいつも、ウィン、ロディ兄妹と、フローラ、セディア兄妹の間を見張りが隔てている。怪我を負ったウィンが洞窟で養生していた時は、セディアはウィンに近付けてもらえなかった。フローラ自身が、兄とウィンの間に立っていたのだ。
少し難しい顔をしてウィンの寝顔を見るその人の横顔が、なんだかよく知っている兄のものとは違うようで、フローラは少しむず痒いような落ち着かない気持ちになった。
そんな彼女の気持ちに気付いた風もなく、兄はふっと息をつくと、岩陰から離れていった。
少し開きましたが、第十章です!