第九章「ふたりの夜」⑤
「そりゃあ、ね」
ちらりと振り返って彼の位置を確認してから視線を森に戻して、ウィンは答える。
「ロディは唯一の肉親なのか」
眠っている二人を起こさないよう、彼の声はひそめられている。虫の音が、その穏やかな声に重なる。ウィンはその質問には答えず、もぞもぞと座り直す。
「話したくない?」
「うん」
「どうして?」
「気持ちの良い話じゃない」
セディアがこちらを振り返る気配がする。視線を感じたが、ウィンは振り返らなかった。セディアが続ける。
「昨日、君たちの様子を見てて思ったんだ。俺は君たちのことを何も知らない。そういえば、最初に君に尋ねた言葉は『何故女の身でそのような格好で武器を持つ?』だったと思う。あれ以降、そんなことを尋ねる余裕もなかったけれど」
斜め後ろから注がれ続ける視線に根負けして、ウィンは彼を振り返った。
「あのね、人それぞれいろんな過去があると思うんだ」
そう言って、彼の深緑の瞳を見つめる。綺麗な目。でも、残酷な目。
「あなたからみたら、私たちは平凡な人間かもしれない。でも、平凡なりに、いろんなことを体験してきた。そしていろんな傷を負ってきた。興味本位なら、詮索はやめておいて」
「君が、平凡な人間なら詮索しないさ。例えば、商人の娘で愛らしい髪飾りでもつけて、道端で友達と話してたらな。でもそうじゃない。俺の統治する予定の国には、武器を手に戦う十七歳の少女がいる。髪も結わず、化粧もせず、男物の衣装を着て。その娘が何を考えるのか、なぜそんな運命になったのか、知りたいと思うのは未来の為政者として当然ではないか?」
そうだった、この人はこういう人だった。チクシーカでの彼の印象を、久しぶりに思い出して、ウィンはため息をつく。
「どうしても、言わなければいけない?」
「命令しようか。不履行だと不敬罪だな」
その言い分に、ウィンはくすりと笑う。あの時とは、少しは彼との関係性が変わっているのもまた、事実だった。
「誰が裁くの?お役所にでも出頭する?」
セディアの冗談に乗っかって少しふざけてから、ウィンはまた森の闇に視線を戻した。
「面白い話でもないよ。親を亡くして生き残ったきょうだいがいた。教会に引き取られたけれど、他の孤児たちからひどくいじめられた。兄は妹を守るために剣をとった。妹は兄の背中を見て同じ道を選んだ。幸い才能があった」
そう語って、その先に敵がいるかのように、夜の闇を睨む。
「生きるために、強くならないといけなかっただけ。満足?」
「いくつの時に親を亡くした?」
「私がふたつ。ロディは九つかな。だから、私はその時のことを覚えてなくて、ロディから聞いた」
そして、彼を振り返った。
「はい、この話はおしまい」
「剣はどこで学んだ?」
「人の話聞いてた?おしまい」
「ロディの剣は独学ではないだろう。師がいるはずだ。どこの誰に……」
「ねえ、じゃああなたはどうなの?」
セディアに食い下がられて、ウィンの声が感情的になる。
「『女と酒に溺れた皇太子失格』の皇子さま?『武術の見込みはあって兵には人気があるのだから、いっそ軍人として生きれば』と言われているあなたの、実態は?過去は?どうなの?」
そう言って彼を睨む。
「……そんなこと聞かれて嬉しい?」
ウィンの勢いに、セディアは口を噤んだ。
「私がさっき言いたかったのは、私たちが平凡だということじゃなくて、誰にでも事情はあるということ。いくら身分に差があるとはいえ、こうして一緒に過ごすしかないんだから、相手の心に踏み込んでいいかどうか、きちんと判断しなくてはいけないということ」
ウィンの言葉に、セディアは少し俯いた。
「……俺が『皇太子失格』と言われてるのは知っている」
「あーいいいい、話さなくて」
ウィンはひらひらと手を振る。
「質問の答えが欲しかったんじゃないよ。そういうことを聞かれてるのと同等だって言いたかっただけ。分からないかもしれないけど」
セディアは黙ったままだ。分からないのか、気まずいのか。
「もう、いいからそっちをちゃんと見張っててよ。偵察の二人が無事に帰ってきても、私たちがやられてたら意味ないんだから」
ウィンがそう言うと、彼は仏頂面で顔を上げた。
「あのな、それならあんな情けない態度で見張りをするな。心ここにあらずな奴に、背中を預けられるか」
「……私、そんなだった?」
「ああ。何ならため息が聞こえてたぜ」
「ごめんごめん。じゃあ見張りらしい態度をするよ」
そう言って、棒を構えて戦闘態勢をとり、
「こうかな?」
と言って振り返った。もちろん茶化しているのである。
「ラスクなら『バカ』って一蹴するだろうな」
「人の言葉を借りてないで、自分の言葉で言えばいいんじゃない。揚げ足をとる人はここにはいないよ。皇太子さま」
ウィンの言葉に、セディアは少し虚をつかれたような顔をした後、ふっと笑って手を振り、身体をずらして完全な背中合わせに戻った。
いつもより少し、距離の近い背中合わせの見張り。風が遮られているからか、体温が伝わるのか、ほのかに背に温かさを感じる。
暗い樹々の間に敵の気配を探りながら、ウィンは背後の人を思い、兄を思い、深まる秋を思った。
遅くなりましたが、これで第九章おしまいです!
ここは大好きなシーンです!