第一章「海の憑座」④
「おい、嬢さん!いい加減に…」
「さっきの戦いで、護衛をみんな失ってしまった。私を助けてくれた時の彼女たちの力を見たでしょう?わたしとあなたとシルヴィーだけで、また襲われたらひとたまりもないわ。それに、場所によっては、シルヴィーの力も今ほど発揮できないわよ」
痛いところを突かれたらしく、少年は黙り込む。
「ね、どう?」
フローラの問いに、ロディが尋ねるようにウィンを見た。ウィンは、兄を見上げると、しっかりとうなずいてみせた。そしてフローラに向き合って、
「行く」
ウィンの紫色の瞳が、フローラをしっかりと捉えた。
「でも約束して。安全な所まで着いたら、憑座のことや巫女のことを教えてほしい。私たちの運命を知りたい」
「もちろんよ。わたしも、あなたとたくさん話したい。シルヴィーもきっとそうよ」
フローラがシルヴィーを振り返る。シルヴィーも、ひとつうなずいた。銀髪が風に揺れた。
フローラは、今度は少年に向き合う。
「この人たちは信頼できる。私が受け合うわ。だから、あなたは彼女たちと協力してわたしを護衛しなさい」
「本当に、大丈夫なんだな?」
「大丈夫」
「あんたたち、嬢さんを守ってくれるのか」
少年の問いに、ウィンがうなずく。
「あんたもか?えーと」
「ロディだ」
少年とロディの目が合う。背の高いロディを、少年は見上げるような格好になる。
「ウィンがこう言ってるんだ。否やはない」
「あんたが積極的に護衛につきたいわけではないんだな?」
「ちょっと!」
フローラが少年をたしなめるように呼びかける。ロディは口の端で笑う。
「じゃあ分かりやすくしようか?」
眉根を寄せた少年に、ロディは続ける。
「ウィンは憑座仲間のお嬢さんを助けたい。それでいい。俺はウィンに付き合うが、そこまでの熱意はない。だから、後払いでいいから、金を払って俺を護衛として雇う形でどうだ?」
「あんたを雇う?」
「ああ。俺たちはもともと、護衛や野党退治を引き受けながら旅をしてきたんだ。ココシティにも護衛の仕事で来ていた。だけど、お嬢さんを助けるために、その仕事を放り出してきた。代わりにあんたらが良い給料で雇ってくれるなら、仕事として熱心に護衛してやろう。本当は半額を前金でもらうんだが、それは勘弁しといてやる」
ロディ、とウィンが裾を引く。
「他人同士なら、金が入る方が話が分かりやすい。そうだろ?」
「ああ、悪くない話だ」
少年もうなずく。
「ただ、俺はそんな金を自由にできない。だから、決めるのは嬢さんだ」
そう言って振り向いたラスクとロディを見て、フローラは頷いた。
「いいわ。あなたの言い値で払ってあげる。わたしが無事に、安全な場所まで着けたらね。」
少年が盛大にため息をついた。
「で?ココシティか、『おじさま』の別邸かって?別邸って、あの、チクシーカにあるやつか?あんた手形持ってんのか?」
「あんたじゃないわ。フローラよ」
「そんな場合じゃない。手形を持ってるのか聞いている」
ラスクが強い視線でフローラを睨む。そんな態度を取られ慣れていないのか、フローラは少し詰まって仏頂面をする。拗ねたように横を向いたまま、彼女は答える。
「持ってるわ」
「使っていいやつか?つまり…発行したやつの名前を見た途端に身元がばれるようなやつじゃねえよな?」
「一族の名前も、おじさまの名前も出てこない。発行元を追いかけたら分かるのかも知れないけど、その場で捕まることはないでしょうね」
少年は考え込む。
「近いのはココシティだ。すぐそこだ。だけど、安全かは分からんな。こいつらが」
彼は、刺客たちの亡骸に目を向ける。
「どこから情報を得て、あんたらを襲ったのかが気になる。この人数、実力、間違いなくあんたの正体と今回の計画……人数や進路を知ってて襲ってきてる。どこかで計画が漏れてる可能性が高い」
「ココシティの人たちが裏切ったと言いたいの?」
そう言うフローラの声が熱を帯びる。
「まだ分からん。だが、可能性はある」
ラスクはあくまでも淡々と続ける。
「それならおじさまの別宅の方が安全かしら。距離はあるけれど、おじさまが裏切ることはないわ」
「『おじさま』が大丈夫でも、使用人や兵の中に裏切り者や敵の手の者が入り込んでることも考えられる」
「じゃあどうすればいいのよ」
フローラが苛立つ。少年は、意に介さない様子で続けた。
「進むべきか、一旦引くべきかで考えろ。もともとの計画に寄せて、どうにかして船に乗りたいならココシティだ。チクシーカの別邸は、ここと都の間だろ。一旦、都方面に戻って、兄貴や『おじさま』と作戦を練り直すなら、そっちだ」
「それなら……」
フローラは口元に手を当てる。
「戻るわ。どこからか計画が漏れてる。裏切り者がいるかもしれない船に乗るのは危険よ。それに、人目のあるココシティは、警戒する相手が多くて難しい」
そしてシルヴィーの方を向いて、
「あなたの力も限られるしね」
巫女は、申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「よし、じゃあ決まりだ。さっさと動こう。チクシーカの別宅までなら、馬で半日ってとこだな。馬があれば、ギリギリ陽があるうちにつけるんだが……」
少年はそう言って、ウィンたちが曳いている馬に目をやる。
「二頭いるんだな。二人乗りをするとしても、あと一頭は必要だ」
「街道沿いで、馬が一頭のんびりしてた」
ウィンは、ここに来る途中の風景を思い出して言う。
「あなたたちの荷車を牽いてた馬じゃない?たぶんまだいるよ」
五人が振り向くと、草波の向こうに馬らしき茶色い毛並みが見えた。
「よし。あいつを連れてこよう。他の奴に取られないうちに捕まえないと」
少年はそう言って、
「馬を連れてきてくれるか?」
とウィンに向き合った。
「私?」
「俺は嬢さんから離れるわけにはいかない。全員で街道沿いに行くと目立つ」
「俺が行こう」
そう言ったのはロディだった。自分の馬の手綱をウィンに預けて、歩き出す。
その背を見送っていたウィンは振り返り、
「みんな、馬には乗れるの?さっきの馬、鞍はなかったと思うんだけど」
「俺は裸馬でも乗れる。二人乗りもできる。嬢さんは……」
「ひとりでは乗れないわ。鞍があって、曳いてもらえば乗れるけれど」
「そいつは?」
と少年はシルヴィーに目を向ける。彼女は、
「乗馬の経験はありません」
と首を振った。ウィンは、
「私とロディは裸馬にも乗れるし、二人乗りもできる。じゃあ、三頭に乗るためには」
「俺が嬢さんと鞍付きに乗る。で、もう一頭の鞍付きにあんたの兄貴とこいつだ」シルヴィーを指しながら、少年がウィンに言う。
「あんたは、一人で裸馬に。それでいいか?」
ウィンはうなずいた。
ロディが、裸馬を宥めながら、四人の元に戻ってきた。
「よし、行くか。ほら」
少年がそう言って、馬にフローラを乗せようと手を差し出す。フローラはその手を取らずにすっと背筋を伸ばして立った。
「待って。あなたの名前は?」
「俺は日陰の者だ。名乗る気はない」
「名前を知らないと不便よ」
「じゃあ『忍び』とでも呼べよ」
彼の答えに、フローラは挑戦的な態度で腰に手を当てた。
「そんな呼びにくい名前はいやよ。そうね。お兄様が、あなたのことを呼んでいたのを聞いたことがあるわ。なんだったかしら?欠陥?憤怒?そんな感じよね?」
少年はむっとした顔をする。
「……ラスクだ」
「そう、ラスク」
フローラはそう言ってにっこりと笑って彼の手を取った。
「ラスク、安全な場所までよろしくね」
完全に挑発に乗ってしまったラスク少年は、苦虫を噛み潰したような表情でフローラを馬に乗せた。
そして、ウィンたちの方に向き合って、
「ほら、早く乗れよ」
と苛立ちをぶつけた。
こうして、一行はチクシーカ山地にある『おじさま』の別宅を目指して出発した。
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