第八章「嘘」⑤
「もういいんじゃない。そろそろ足元も乾いたでしょう?ミトチカまでは距離もあるし」
と、ウィンは外を見ながら言った。話題を変えたかったのが一番だが、半分は本心だった。そろそろ出ないと、今日は明るいうちにあまり進めない。
そのウィンの発言に予想外の人物が反応した。
フローラが、ミトチカの名にどきりとして、兄の顔を盗み見たのだ。それを、ウィンは見逃さなかった。そして恐らく、ロディも。
「ああ、そうだな。概念としては、概ね理解した。細かいことで聞きたいことはいろいろあるが、また整理してから追い追い聞いていく。とりあえず、そろそろ出発すべきだ」
セディアが、フローラの反応に気付いているのかいないのか、話を終わらせた。
集まっていた、フローラ、ウィン、ロディはうなずいて、誰からともなく立ち上がる。出発だ。
*
セディアは、先ほど聞いた話を頭の中で反芻しながら、出発のために外の様子を確認しようと洞窟から出た。馬に鞍をつけに行っていたラスクが、坂を登って戻ってきた目に留まった。寝泊まりしていた洞窟が敵に気取られないよう、馬は少し離れたの場所に繋いでいたのだ。
と、ラスクが彼を手招きした。どうも機嫌が悪そうだ。ちらりと洞窟の方を振り返り、誰にも見られていないことを確認して、ラスクについて他の面々から離れる。フローラたちは、出発に向けて服を整えているはずだった。
さっきは話しすぎだ、と小言を食らうんだろうな、とセディアは察しをつける。ラスクのことだ、見張りや出立準備をしながらも、こちらの話はしっかり聞いていただろう。あるいは、あいつらに頭を下げるなんてどういう了見だと叱られるのか。
呼び出される心当たりがありすぎるなと思いつつ、セディアは尋ねた。
「なんだ?」
しかし、ラスクの答えは彼の準備したお小言候補の中にはなかった。
「なんでこの間から、お嬢さんがミトチカの名を聞いてあんなに動揺してるんだ」
なるほど。そっちか。
「……ここ数日、フローラは演技が下手だよな。公卿会議では、あんなに澄ました顔でハッタリをかましてたくせに」
「話を逸らすな」
ラスクは本気で機嫌が悪いらしく、セディアの冗談は一蹴された。
「あんた、お嬢さんに俺のことを話したな?」
「仲間内は、みんな知っていることだろ」
「都合の良い時だけ、お嬢さんを『みんな』に入れるんだな」
これは、本気で答えるまで引き下がる気はないな。そう思って、セディアはラスクの目を見て言った。
「あのな、皇太子に対してその口調、その態度だ。誰だって何かあると思うだろ。それに、お前は最初にあれだけの騒ぎを起こしてるんだ。フローラにばれてないとでも思ったのか」
返事はない。怒りの勢いでセディアに詰め寄ったのだろう、一旦論破されたら、言い返せないようだ。
「だったら」
しばらく俯いて唇を噛んでいたラスクが、つぶやくように言った。
「だったら何だ?」
少し面倒くささを滲ませたセディアの問いに、ラスクは興奮で赤くなった顔を上げた。
「だったら、なんであんたたちは一番に俺を疑わない?巻き込まれた護衛たちよりもよっぽど、確かな動機であんたの命を狙ってる奴がここにいるじゃないか!」
感情に呑まれて叫ぶ辺り、大人ぶっていてもまだまだ子どもだ。セディアは冷静に少年を見つめる。いや、ラスクは小柄な上にセディアより少し低い位置にいるから、見下ろす、が正しいか。
はあ、とセディアは一つ息をついて、
「疑われたかったのか?」
と尋ねた。
なんだか聞いたことのある会話だな。ああ、ウィンが目覚めた時の会話か。
『なぜ私を助けた』
『死にたかったの?』
果たして、ラスクはその時のセディアと同じ返答をした。
「真面目に答えろ!」
口調は、全く違うけれど。
激昂する少年を、セディアはしばらく見下ろす。そして、ふと笑みを浮かべた。
「お前じゃないさ」
「なんだと?」
「フローラや叔父上を巻き込んで、こんな手の込んだ真似をするのはお前じゃない。そんなことをしたら」
セディアは笑みを消してラスクの目をじっと見る。怖気付いたように、ラスクの上体がつと下がる。セディアは本気で語る。
「お前は俺と同じになってしまう。お前から大切な人たちを奪った俺と」
「……同じ痛みをあんたに味わわせてやろうとしてるのかもしれないぜ」
勢いを失った彼は、足元に目を落としたまま、それでも引かずに反論を試みた。
「お前はそんなことはしないさ。それに……」
セディアは気持ちよく晴れた空を仰いだ。
「この四年間、お前にはいくらでも機会があったはずだ。俺を傷つける機会も、フローラに手を出す機会も。だがそうしなかった。そうだろ?」
ラスクは黙って俯いている。もう反論も出てこないか。しかし、もう一つ言っておかねばならないことがある。
「だが万が一、これがお前の仕組んだことだったら」
ラスクが少し顔を上げる。この会話の間に、幾分窶れたようにもみえる。
「俺は、お前に殺されるなら仕方ないと思ってる。だけど、」
セディアはそこで言葉を切って、
「フローラだけは、助けてやってくれないか」
しばし、二人は見つめ合っていた。そして再び俯いたラスクが、
「……その願いは、きけない」
掠れた声で言った。
セディアは眉間に皺を寄せる。ラスクは、今度は胸を張るようにしっかり顔を上げて、落ち着いた声で、
「敵に通じてるのは俺じゃないからな。あんたもそんな弱気なこと言ってないで、何が何でも生き抜くつもりじゃなきゃ、やってけないぜ。そろそろ戻るぞ」
セディアを置き去りにさっさと洞窟に戻るラスクの後ろ姿からは、怒りや苛立ちはすっかり消えているように見えた。
第八章はここまでです。
次回以降の更新は未定です。