第八章「嘘」④
「憑座は、いつから憑座なんだ?フローラがそんなことを言い出したのはここ数年だ。子どもの時は自覚しないものなのか?」
きた。ウィンが答えてはいけない質問だ。兄に託すべきだ。けれど、兄を盗み見る前に、フローラが呆れたような声を出した。
「お兄様……今までほんとにわたくしの話を本気で受け止めていなかったのね。その説明は、した覚えがあるわよ」
「うん、説明されたことは覚えている。中身は忘れたけどな」
悪びれないセディアの様子を見て、諦めたようにフローラが話し出す。良かった。彼女が説明してくれるなら、それが一番いい。
「憑座の力は……自覚は、というべきかしら、それは、憑座が十五歳になった時に目覚めるの。憑座は三人とも同じ日に生まれているから、力も同じ日に目覚める。それまでは、他の子と何ら変わりはないの。十五歳になった日から、憑座は女神の『目』としての役割を担い、それぞれの力を行使できるようになる。わたしの場合は、力が目覚めてから海に行ったことがないから、それがどのようなものか、まだ本当には分からないのだけど」
今度はフローラが話し終わってからすぐに、セディアはウィンに顔を向けて、
「ウィンは、十五になった時からすぐに力を使えたのか?」
と尋ねた。ああ、落ち着かなくて嫌だ。
「うん。大地はどこにでもあるからね」
安定しない心持ちを読み取られないように、なるべくいつも通りに聞こえるように、ウィンは語る。
「大地の女神から、憑座ってものを簡単に説明されて、走ってみたら、それまでとは全然違った。大地の力が、足を押し返してくれる感じかな。飛ぶように走れるようになった」
「馬にもついていけるくらいに?」
セディアが、少しふざけるような口調で聞いた。
「戦の時は、足軽でも走って馬についていくんだもの、憑座でなくても、そんなに不可能なことじゃないでしょ?重い鎧だってつけてないんだし」
「まあそうだが、山道だぞ?」
「人工的な石畳なんかより、山道の方が大地の力を直接借りられるから、私としては走りやすいの」
へえ、と言うふうにセディアは目を丸くした。
「他の能力は、少しずつ習得していったの。といっても、走ったり跳んだりする以外で直接的に役に立つのは、この前やった砂状化くらいかな。あとは、野営の時に大地に寝たら暖かいとか」
話しすぎかしら。
「暖かい?地面が?」
「うん。よく分かんないけど、大地の底の方にある熱を集めることができるんだって」
「へえ、便利だな」
そう言って、セディアはまたしばらく考える。
「じゃあ、憑座が十五になるまでは、この世に憑座はいないのか?女神たちは何をしているんだ?」
フローラとウィンは、目を見合わせて、くすりと笑った。
「寝てる」
答える声が完璧に揃って、二人はまたくすくすと笑う。
「寝てる?」
またも困惑するセディアに、フローラが楽しそうに笑う。何ならロディすら少し楽しそうだ。彼の場合は、セディアに対する優越感からなのかもしれないけれど。
「だよね?」
ウィンが水を向けると、フローラは笑いを残した声音で、
「ええ。彼女たちにとって、憑座の一世代が、私たちの長い一日のようなものらしいの。一世代の憑座が目覚めたら、その子たちを通じて下界を覗いて、死んだら次の憑座が目覚めるまで眠るの。憑座が三人とも死んだ時、巫女も死に、その時に受胎した子が次の憑座になる」
口を閉じるときには、フローラは真面目な顔に戻っていた。
「女神も眠るのか……」
セディアが、誰に尋ねるともなくつぶやく。
「そうよ。でもね……憑座が生まれるのは同じ日って言ったでしょう?死ぬ日はそれぞれ違うから、眠る時間は女神によって違うの。自分の憑座が早く死んじゃったら、他の憑座が死ぬまで眠って待ってるのね。今世代はつまんなかったなあ、って思ってるみたいよ」
「寝てても時々起きてるんだよね?」
ウィンが口を挟む。
「そう。でも起きても『目』がいなくてつまらないから、他の憑座が生きている時は、別の女神に話しかけて、生きている憑座の話を聞かせてもらったりもするらしいわ」
「大地の女神と海の女神は仲が良いから」
ウィンがそう言った途端、
(仲良くないわよ!)
ウィンの頭の中でディージェが叫んだ。
突然の雷に、思わずひゃっと肩をすくめると、斜向かいでフローラも同じ反応をしている。海の女神も、同じようにフローラに反論したということか。
「怒られた?」
「ええ」
そう言ってウィンは、フローラと顔を見合わせてまた笑う。やっぱり、大地の女神と海の女神は仲がいい。
「本人たちは否定してるけど、二人は仲が良いの。起きた時はよく話してるみたい」
そう言いながらフローラはふと何かを思い出したように、
「そういえば、ウィン。大地の女神には名前をつけてないの?」
「名前をつける?」
そう尋ねたのはセディアだ。
「女神様は女神様。だけど、呼び名がないと不便でしょう?だから、私は、憑座の力が目覚めた時に海の女神から呼称をつけるように言われたの。代が変わるごとに、その時の憑座に呼び名をつけてもらうんだって。だから、海の女神の『オセア』という名前は、十五歳の私がつけたのよ。大地の女神はそうしていないのかしら?」
どきんと心臓が高鳴る音が聞こえる。ロディを見るわけにもいかない。
「呼び名は……」
どきん、どきん。
「つけてない。最初に女神様って呼んで、そのままになってる」
「ふうん。そういうこともあるのね」
フローラは納得したように頷いて、それ以上追求しなかった。
(うそつき)
どこか面白がっているような調子で、大地の女神が……ディージェが言った。
次回更新は9/11(土)の予定です。