皇太子セディアの長い話⑤
「まず、この島、ヒヅル列島は元々誰のものか知っているか」
えっ、そこから?
思わずそう口に出しそうになったが、ウィンは既のところで言葉を飲み込んだ。北ノ国の皇太子の歴史認識を聞ける機会を、逃すべきではない。
「ヒヅル列島は、もともとヒヅル民の国――春日国があった。太古の昔から、春日国が支配してきたんだ。
春日国は、海を隔てた大陸と交流してきた。その時々によって大陸を支配している国は違えど、まあ概ね好意的な交流だ。大陸から入ってきた文化が、もともとの文化と融合して独自のヒヅル文化を作り上げてきた」
「だが、およそ五百年前、その関係が変わる。当時大陸の……と言っても、俺たちが今『大陸』と呼んでいるのは大陸のこっち側、華域呼ばれる地域のことだが、その支配者フゥア族と騎馬民族の間で大規模な争いが起こった。
この両者の戦いは戦いは歴史上しばしば記録されているが、五百年前のその時、史上初めてフゥア族が敗れ、騎馬民族が華域の覇権を握った。
敗れて大陸から追い出されたフゥア族は、海を渡ってヒヅル列島に渡った。騎馬民族に敗れた残兵とはいえ、大陸の戦はヒヅル列島のそれとは規模が違う。小さな島国の春日国がフゥア族の軍に太刀打ちできるはずもなく、ヒヅル列島の魅力的な土地はあっという間に彼らに支配された。ヒヅル民は、春日国の民として北東の痩せた土地に追いやられた者と、元の土地にとどまりフゥア族の支配下に入った者とに分かれた。こうしてヒヅル本島の北東の土地が春日国となり、残りの北西と南部に、フゥア族とヒヅル民の入り混じった国ができた。大陸より暖かく穏やかなこの地に建てたその国を、フゥア族たちは『陽国』と名付けた」
「陽国は、そのまま春日国を併呑しようと思ったらできただろうが、それはなされなかった。その理由は、今ではよく分かっていない。大陸を支配した騎馬民族との関係がさらに厳しくなって余裕がなくなったのか、北東の地に魅力を感じなかったのか。
いずれにしろ、陽国の建国から三百年ほど、ヒヅル本島はその状態……陽国と春日国が支配している状態が続いた。
その関係が変わったのは、今からおよそ二百年前だ。さっきから話しているように、当時の陽国は、ヒヅル本島の北西から南部にかけてを領土としていた。その間には険しいタバリ山脈がある。南は平野が多く農業的には豊かだが、鉱脈に乏しいうえに、大陸との交易には向かない。南の人々はフゥア族の王家や貴族の末裔が中心だったが、北は主要都市でもヒヅル民との混血が進んでいた。
北と南で、対立が深まり、やがて戦になった。北西の土地に住む人々は、陽国からの独立を図り、成功した。その独立を主導したのが、春日国の時代から北西の地を統治してきた、我らがトリス家だ。その年が北歴元年で、今が二百二十一年だから、厳密に言うと今から二百二十年前だな。
北ノ国の独立から、ヒヅル列島の緊張はさらに高まった。北ノ国、春日国、陽国。三つの国は、自国の国力を上げようと躍起になっていた。そんな時、北ノ国が目をつけたのは、大陸の華域よりさらに西、西方呼ばれる地域との交易だった。
かつて陽国が建国された時から比べると、航海技術は格段に進歩していて、華域の陸路を通らず西方へ直接船での行き来が可能になっていた。フゥア族は、自らの文化に誇りを持っているから、南の陽国は他国の文化に容易には染まらない。だが、文化の交流によって国を成り立たせてきた北ノ国は違う。西方の文化を取り入れること――西方と積極的に交わることで、自国を強めることができるのではないか、と考えたわけだ」
ま、自国の立ち位置をはっきりさせたかったんだな、と妙に客観的に次期皇帝は語る。
「西方の国々が信仰しているソリス教は、太陽神ソリスを唯一神とし、聖職者以外は太陽の元に平等と考える宗教だ。三女神を信仰する春日国や、大地の神を信仰する陽国と自国を区別をするのに、ソリス教の導入はうってつけだった。また、陽国のような厳しい身分制度は、北ノ国にはそぐわなかったから、新しい秩序としての宗教を必要としていたんだ。
そこで、皇帝を教主としてソリス教を国教に定めた」
うん、知ってる。
ウィンは心の中でそう呟きつつ、頷いて相槌に変えた。
たぶん、彼女は知らないことにしておいた方がいい。だからロディも、あまり詳しくない分野について話を聞くような顔をしているのだろう。
ふむふむ、と適度に頷いて聞く彼は、なかなか良い聞き手で、セディアは気分良く言葉を紡いでいるようだ。
次回更新は、8/25(水)の予定です。