第七章「皇太子セディアの長い話」③
「すまなかった」
そう言って、北ノ国の皇太子は軽く頭を下げた。
衝撃の言葉と行動に、ウィンとロディは、いや、フローラやラスクさえも言葉を失ってぽかんと青年を見つめた。一国の皇太子が、得体の知れない流浪の旅人に頭を下げている?
話がある、と言ってセディアがウィン、ロディ、フローラを集めて座らせたのは、坑道を出てから三日目の朝だった。降り続いていた雨は止んだ。すっかり回復したウィンが軽く身体を動かして、もう大丈夫だと伝えたところ、地面が乾いて足跡がつきにくくなるのを待って、この洞窟を発つことになった。その間に話があると、セディアが彼女たちに呼びかけたのだ。
シルヴィーとラスクに見張りと出立準備を任せ、畏まって座っている三人を見渡してから、皇太子セディアは頭を下げたのだった。
「誤解しないでほしいのだが、そなたたちの命を狙ったことを謝っているのではない。この状況で、信用できない相手は除くことは、私に課せられた義務のようなものだ」
暗くもなく明るくもない表情を浮かべて、彼はそう続けた。昨日からのセディアの『私』という一人称に、ウィンは居心地が悪くなる。
「謝っているのは、共同戦線を張ることが分かっていたのに、必要な情報共有をしなかったこと……憑座や巫女の力を信じず計算に入れずにいたことについてだ。そなたの負傷は、私の落ち度だ」
そう言って彼はウィンに真摯な目を向けた。
ふうん。この人、そんな風に言えるのか。
セディアは、彼女から視線を外して、今度はロディに向ける。
「それはそれとして、まだそなたたちを完全に信用する訳には行かない。解放する訳にもいかない」
ロディは何も言わない。それはそうだろうと思っているのだろう。
「行動を共にする以上、今回のようなことは必ずついて回る。だから、憑座や巫女とは何なのかを理解したい。同じ失敗は、繰り返したくない。教えてくれないか。そなたたちは何者なのか。何ができるのか」
沈黙がおりた。しばらく、誰も返事をしなかった。フローラが尋ねるような視線をロディに向ける。彼は、首を振って答えた。
「解放するわけにはいかない、と言われて、それに従うと思っているのか?これだけ何度も命を狙われていて、あんたたちとまだ行動を共にすると?」
「我々は、今後、君たちの命を狙うような真似はしない」
「何?」
「意図はどうあれ、俺は彼女に命を助けられた。ココシティでは、フローラのことも助けてもらったと聞く。君たちのことを完全に信用する気はないが、積極的に殺そうとはしないことを約束する。引き続き、フローラの護衛としてついてきてほしい」
ラスクが洞窟の入り口で聞き耳を立てている気配がする。たぶん彼は納得してないんだろうなと、ウィンは思う。
「条件がある」
しばらく逡巡したのち、ロディが口を開いた。兄の、交渉が始まった。
「殺さないと言われるのは大変有り難い。そして、この数日を見ていると、殺す気がないのも分かっている。ウィンが動けない間に、機会はいくらでもあったはずだからな。ただ、こっちもあんたたちを完全に信用するわけにはいかないから、勝手に警戒させてもらう」
セディアは頷いて、先を促す。
「そして、憑座の力について話すってことは、手の内を明かすってことだ。ならば、そっちも、情報を寄越せ。敵は誰で、味方は誰だ」
一旦言葉を切って、セディアの反応を見る。それだけか、と言いたげな瞳がロディを見つめる。
それだけではないんだろう?
「そして、この二、三日でお前は随分考え方が変わったみたいだが、何を狙ってる?何を考えてるんだ?」
そう言って、ロディがこれで終わりだというように座り直した。セディアがひとつうなずく。引き締まった表情のままだが、少し雰囲気が和らいだ気がする。
「こちらの情報を渡す件について、元よりそのつもりだ。君たちが望むなら、先にこちらから話す」
「ああ。そうしてくれ。あと」
「あと?」
セディアが聞き返した。この上何を望むのかと、少し表情が険しくなる。
「その皇太子みたいな話し方をやめろ。誠意の見せ方なのか知らないが、話しにくくて仕方がない。今から俺たちは、ある程度腹を割って話すんだろ」
ロディはそう言って、自分から足を崩してどっかりと座った。
「俺たちも、今さら敬語なんか使わない。今後、誰かに話を聞かれる可能性もある。これまでみたいな、雑な話し方の方が安全だ」
しばし、二人は視線を合わせていた。いや、睨み合っていたというべきかもしれない。
セディアが、ふと視線を外してにやりと笑った。ウィンの苦手な、口の端で笑う、その笑い方。
「ああ。そう言ってもらえると、話しやすくて助かる」
そう言って、セディアも足を崩して口を開いた。
「まず断っておくが、話せることと、話せないことがある。嘘をつくと後々面倒だから、言えないことは伏せる。いいな?」
ロディがうなずく。それを見て、セディアは同意を求めるようにウィンの方を見た。セディアとロディの駆け引きのようになっていたけれど、彼はウィンにも話しているのだ。ウィンも、こっくりと頷いた。
それを確認して、セディアは続ける。
「何を考えてるのかと尋ねられたから、まず、ここ数日考えていたことを話したい。あの襲撃の時と、その後に」
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