第七章「皇太子セディアの長い話」①
襲撃の後、夜明け前から降り出した雨は、激しさを増して降り続いた。丸一日が経って翌日の朝には、小降りになるどころか暴風を伴う嵐になった。
恵みの雨のような、足止めのような。
洞窟の入口、ぎりぎり雨水が掛からないところの壁にもたれながら、セディアは空を見上げている。昼前だというのに薄暗い。彼がこんなところで突っ立っているのは、洞窟の奥には入れてもらえないからだ。
入り口から五歩ほど入ったところに坑道から持ってきた小さなランプが置かれていて、そのさらに奥に、負傷したウィンが横になっている。その横に、今はロディが眠っている。今朝まで丸二晩眠っていなかった彼を、フローラが説き伏せて横にならせたのだ。
ロディを説く際、妹はこう言った。
「お兄様とラスクが相手なら、わたしが身体を張るのは十分効果があるわ」
その言葉通り、彼女は二人の横から片時も離れず、彼らに睨みをきかせているのだ。今も、ふと彼女らの方に目をやっただけで、眼光鋭く睨まれた。
ラスクは、強心臓というか、フローラにどれだけ忌み嫌われようと気にならないようで、淡々と武器の手入れをしていた。
セディアたちのように斬り合うのではなく、闇に紛れて敵を葬り去るのが本職の彼の武器は、セディアにも見慣れない物が多い。細かく数が多いから手入れにも時間がかかるのだろうが、セディアは手出しも口出しもしない。
ということで、頭を働かせること以外には、することもできることもないこの状況で、彼は嵐の空を見上げたり、洞窟の奥を見て妹に睨まれたりして時間を過ごしているのだ。
恵みの雨ととれるのは、襲撃後慌てて移動した彼らの足跡や蹄の跡を消してくれたからだ。追手を討ち漏らしてはいないはずだが、完璧な仕事などない。森に入る前に、誰かが目的の相手を見つけた旨を報告しているかもしれない。敵の親玉が、帰ってこない手先の足跡を追ってくるかもしれない。
自分たちも足止めはされているが、この嵐だとあちらも動きが取れないだろう。その意味では、天候に恵まれた。自分たちは、嵐でなくても、ここを動けなかっただろうから。
怖い顔をしているフローラを無視して、その奥に横たわる少女を見る。
昨日の夕方、一度目が覚めたとかでフローラが飛び上がらんばかりに喜んでいた。妹があんな風に他人を慕うのを、初めて見る気がする。それに、あんなに甲斐甲斐しく他人の世話ができるとは知らなかった。
少女の容体は、今は落ち着いているようで、とにかく回復させねばと大地で眠らせているらしい。
彼女のどこに、妹はそんなに惹かれているのだろうか。まるできょうだいや幼馴染を慕うかのようだ。憑座仲間というのは、そこまで貴重なものなのか。大地の憑座の少女……ウィンを、セディアはとっくりと眺める。
いつも頭の上の方でぞんざいに束ねられていた真っ黒な髪の毛は、今は解かれて身体の横に流してある。手入れなどしたこともないのだろう、ぼさぼさと好き勝手に絡まっている。薄い唇に、日に焼けた肌。これまた真っ黒な太い眉は、意志の強さを感じさせる。
貶すところもないかわりに、特に褒めるところもない顔立ちだ。唯一、特徴的だった、紫色のくりくりとした瞳は――彼を強く見つめ返したその瞳は、今は固く閉じられている。
他の追随を許さない圧倒的な愛らしさを備えたフローラや、彼自身は全く魅力に感じないにしろ、儚げな美しさを持つシルヴィーと並ぶと、同情心を誘うほどである。少年と言った方が説得力があるかもしれない。
セディアは、彼女を守るように眠る、その兄に目をやった。
灰色がかったさらりとした長い髪。すらりとした鼻筋に、今は閉じられている、切長の瞳。瞳の色は、混血が進む前のヒヅル人に多い鳶色だ。異性にも同性にも騒がれそうな、整った凛々しい顔をしている。
どこをとっても、ウィンとは、あまり似ていない。兄妹と言われなければ、そう思わない気がする。
二人に共通するのは、西方の血を感じさせない顔立ちだ。地方の出身なのかもしれない。
ロディは、かなり背が高い。セディア自身は中肉中背より少し背が高い程度だが、その彼が見上げるほどだ。ロディと並ぶと、小柄なウィンは本当に小さくみえた。
あんな小さな身体で、俺の命を救ったのか。
セディアは初めて会った時、彼女に尋ねた言葉を思い出していた。
『何故、女の身でそのような格好で武器を持つ?』
『何故、そのような生活に身を置く?』
フローラに怒られて、その問いの答えは聞かぬままだった。今、心の中で改めて、横たわる少女に問いかける。
なぜ、そんなに小さな身体で、女の身で、闘いの中に身を置くんだ?
なぜ、俺を助けたんだ。
君は、一体何者なんだ。
次回更新は、8/11(水)の予定です。