第六章「夜」③
ひたひたと、何人かが近づいてくる気配がする。たぶん、六人だ。シルヴィーの言った通りだ。
セディアたちには言わなかったが、ウィンは――大地の憑座は、大地を歩む者の気配がわかる。彼女にとって、大地の表面は自分の皮膚の延長のようなものなのだ。ただし、分かると言っても目で見たように完全に把握できるわけではない。皮膚の例えで言うと、目を瞑った状態で背中を撫でられるようなものだ。
人間だけでなく、ある程度の大きさのある動物も感知する。ただ、感知できるのは一定の距離に近付いてからだ。大地の憑座の力が目覚めてからこの能力に気付き、訓練して、人と動物の区別と、歩いている人数くらいは分かるようになった。
しかし、今敵の人数が分かっても、それを兄たちに告げるわけにはいかない。なぜなら、六人の敵はすでに十数歩の距離に接近しており、するすると彼女たちを取り囲んでいるところだからだ。
幸い、フローラのいる木の洞に気付かれた様子はない。森の木々が少し開けたところに集まっていた四人を、敵は取り囲んでいく。
ウィンたちは動かない。敵は、恐らくまだ気付かれていないと考えている。敵の囲みが狭まる。ウィンは利き手の右手に棒を握り、左手を大地に押し付ける。
あと十歩。
八歩。六歩。そして。
「今だ!」
ウィンは直径四間、幅一間ほどの環状に足場を崩した。と同時に目の前の相手に襲いかかる。他の三人も同時に動いたのが分かった。
混乱する相手に、ウィンは渾身の突きをお見舞いする。相手は膝から崩れ落ちた。止めをさすべく懐の短剣を抜く。
目の端に、セディアが相手を斬り伏せたのが映る。背後でも戦いの気配がする。呻き声。血の匂い。
ウィンが短剣を振り上げた時である。視界に入っていたセディアの身体が、急にがくんと傾いだ。
踏み込みすぎたんだ!
彼女の能力を経験したことのなかったセディアが、誤って砂状化した地面に足を踏み入れてしまっていた。
彼が最初に向き合っていた相手はすでに事切れているようだったが、ウィンとセディアの間にいた、最初の一撃を免れたもう一人の追手が、セディアも足を取られていることに気付いた。
セディアが危ない!そう思った時には、声に出ていた。
*
「危ない!」
ウィンの声が、セディアの耳に届いた。そして恐らく、今まさに彼に切先を向けようとしていた追手の耳にも。
ズン、という音とともに、追手の身体に衝撃が走ったのが見て取れた。追手が後方を振り向く。セディアの目に、その背が見えた。
追手の背には、短剣が刺さっていた。ウィンが投げた短剣だ。その短剣が与えてくれた隙を逃さず、セディアは不安定な体勢ながらも敵の背に剣を浴びせる。体勢が崩れた。もう一振り。
相手が倒れたのを見て、セディアは手をついて砂状化していない地面に戻った。体勢を立て直した彼は、今斬った敵に止めを刺した。
助かった。そう心の中で呟きながら、短剣が飛んできた方――ウィンの方を見遣る。
そして。
「危ない!」
今度はセディアが叫ぶ番だった。
ウィンの最初の一撃から這い上がった追手が――セディアを助けるために短剣を投げたせいで止めをさせなかった相手が、彼女の背後で立ち上がろうとしていた。
その剣がゆらめいて、彼女の脇腹を切り裂いた。
「くっ」
ウィンが振り向きざまに、棒で相手を横殴りにしたのが見えた。依然として足場が不安定な上に、先ほどの一撃でかなり打撃を受けていたその相手は、今度こそ倒れる。
セディアは硬い地面を蹴って駆け、血に濡れた剣でウィンの相手を薙ぎ払った。
ひとつ息をついてセディアが振り向くと、ウィンと目が合った。彼女は小さく微笑んで、そのままゆっくりと地面に崩れ落ちた。
「おい!」
深い傷ではなかったはずだ。出血も大した量ではない。何事だ?
と、地に伏した彼女の身体がびくん、と痙攣するのが見えた。毒か。
彼は、動かなかった。動けなかった。
俺は、敵の刺客かもしれない彼女たちを始末したかったはずだ。これは最高の形ではないか?
この様子では、このまま放置すれば彼女は死ぬだろう。彼は、自分の手を下してはいない。フローラに責められることもない。彼女が自分から危険に飛び込んで、自分のせいで怪我をしたのだ。
彼の目前で、少女の身体が苦痛にのた打つ。ぜいぜいと荒い息が聞こえる。
……本当にそうか?彼の中でもう一人の自分が囁く。彼女が怪我をしたのは、君をかばったせいだろう?その彼女を、お前は見殺しにするのか?憑座の力とやらを信じて、先に力を見せてくれと言っていれば、あんなヘマをすることもなかったのではないか?
彼女の顔は、こちらからは見えない。傷口も、見えない。このまま見ずにおこうか。
「ウィン!」
悲痛な声に、セディアは我に帰った。彼の後ろから、ロディが駆けつけてきた。彼の来た方に目をやると、三人の倒れた追手と、息を荒げているラスクが目に入った。
「ウィン!くそっ」
セディアなど目に入っていないかのようにウィンに駆け寄ったロディは、妹の上にかがみ込んで、服を割く。傷を検めようとしているのだ。武器を投げ出した、無防備なロディの背中がセディアの眼下にある。
少し離れた位置にいたラスクが、セディアに向かって頷くのが見えた。その目が『これは好機だ』と言っていた。
今だ。二人を殺せ。
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