第一章「海の憑座」②
ウィンは駆けた。人の波を縫って駆けて、ココシティの城門が見えてきた。
この街は、かつて百年以上に渡って皇族の干渉も支配も拒否して自治を守ってきた歴史がある。現在の皇帝が大幅な優遇措置と絶大な武力を示して自治を終了させて、皇室の直轄地としたのが、つい四年前である。
その経緯から、街全体とそれを見下ろす小高い丘が、丸ごと石垣で囲まれていて、まるで城郭都市だ。出入口にあたる城門は一箇所のみで、入る時は検問を受ける。
と言っても、直轄地になってからは自由な商いのために比較的検問は甘い。特に出る方は、実質自由と言ってよかった。
城門の手前に、馬屋がある。街を訪ねた人々の馬を預かって、面倒をみてくれる場所だ。代金はマイソー氏が先払いしてくれているはずだった。ウィンは自分の馬の革紐を解き、手際良く鞍を載せる。隣でロディがそれに倣った。
「どこまで行くんだ?」
ロディが短く尋ねた。
「丘が二つあったでしょ?石垣の外にある方の麓辺りだって」
「近いんだな。助けに行くって、あっちはどうなってるんだ?」
「詳しくは知らない。でも、複数の敵に襲われてるみたい。馬があった方がいいんじゃないかって言ってた」
「大地の女神が?」
「そう」
言うと、彼女は馬を曳いて城門に向かった。ロディの小さなため息が後ろから聞こえた気がしたが、ウィンは無視することにした。
*
案の定、城門はすんなりと出られた。だが、マイソー氏との契約を破って黙って出てきた以上、またこの街に入るのは簡単ではあるまい。ロディが石垣と店の屋根越しに見える雇い主の店を申し訳なさそうに振り返るのを横目で見つつも、ウィンはすぐに馬にまたがった。
ウィンは、鼓動が高鳴るのを感じていた。この先に何があるのか、どんな敵が待っているのか、分からない。だけど、そこには探し求めた相手がいるのだ。自分と同じ運命を持つ、憑座が。
街道の端に、木の塊が見えてきた。
(ウィン、あそこに壊れた荷馬車があるの分かる?)
大地の女神が彼女に語りかける。
(うん、見える)
(そこまで行ったら、左に逸れて。その先の丘の近くに、あの子がいるわ)
馬車を牽いていた馬なのか、馬車の残骸の近くで一頭の馬が草を喰んでいた。その馬が、ウィンたちの馬の蹄の音に、驚いて顔を上げてこちらを見た。
街道の周囲は、腰の高さほどの草が茂る中にまばらに木が生えており、丘に近づくほど木が多くなる。
街道から百メートルほど離れた一本の木の周りで、鳥がギャアギャアと騒いでいた。あれはクスノキだろうか。
木に向かって馬を駆ると、所々に血痕が飛んでいることに気付く。倒れている人を二人、目の端に捉えた。
そして。
クスノキに寄り添うように、少女が立っていた。
いや、少女というには成長しすぎているかもしれない。もはや子どもではない、でも大人の女性にはなりきれていない、そんな年頃だった。ウィンと同じくらいだ。彼女が海の憑座なのだろうか。
彼女は、明らかに西方の血を継いでいる容姿をしていた。栗色の長い髪はゆるやかにうねり、雪のように白い肌との対比が美しい。遠目でよく分からないが、瞳も真っ黒ではなさそうだ。ここからでも整った顔立ちをしているのが分かる。
町娘のような衣装を着ているが、その佇まいから、つややかな髪から、身分の高さが滲み出ていた。
彼女を守るように……クスノキが闘っている?
ウィンは目を疑った。いや、クスノキだけではない。騒いでいる鳥たちも、どうやら彼女の敵を、自らの敵と認識して攻撃している。
彼女に寄り添われた木は、触手を伸ばすように長い枝を振り回し、敵が彼女に近づくのを妨げていた。鳥たちは、彼女を狙う者の背に頭に、嘴や爪をつき立てていた。
そして、彼女を守る者が、もう二人。
一人は、こちらも同年代の少女だ。背が高い。銀色に輝く真っ直ぐな髪を風になびかせながら、両手を前方にかざしていた。彼女も、この島――ヒヅル列島にもともと住む人々とは異なる外見であるように思える。
しかめた顔や腕への力の入り方からして、彼女は何かを―心に念じているように見えた。あるいは闘っているように。彼女が木や鳥を従えているのだと、ウィンは直感的に思った。
もう一人は、小柄な少年だった。赤みがかった茶色の短髪に、利かん気の強そうな顔立ち。商人の丁稚のような格好。彼は、少女とは異なりその格好にしっくり馴染んでいる。ただ一つ、髪型を除いては。
この国では、短髪は珍しい。見かけるとしても野盗か地方の無法者くらいなのだ。身分の高そうなクスノキの少女と短髪の少年の取り合わせに、ウィンは違和感を覚えた。
少年は短弓を手に、木の隙間を抜けてこようとする敵を射ているようだった。だが、彼の矢筒の残りは心許ない。
彼女たちの周囲に、何人かが倒れているのが見える。服装からして、道中でもここでも、倒れているのほとんどは少女らの側の人間のようだった。
最初に、ウィンたちの来訪に気付いたのは少年だった。ウィンと目が合う。敵への加勢だと思ったのだろう、ほんの一瞬だが、少年の顔に恐れが浮かんだ。ウィンは小さく首を振って、自分が彼らの敵ではないことを伝えた。そして、ロディと二手に分かれ、クスノキに群がる刺客たちに背後から襲いかかった。
少年よりわずかに遅れて彼女たちに気付いた刺客たちは、手練れ揃いのようで、瞬時に隊列を組み直し、後方からの打撃に備えた。全部で八人いる。四人ずつが、前方と後方にそれぞれ武器を向けた。
兄妹は騎馬の有利を生かして、馬上から槍で棒で一撃を与えては離れる。隊列を乱れさせると、その隙を突いて少年が矢を浴びせてきた。
彼、いい腕してるなあ、とウィンは内心舌を巻いた。敵の注意が前後に分かれた今、クスノキはかなり余裕を持って少女を守護しているようで、少年は攻撃に転じたのだ。
挟み撃ちの体制を取れていて、クスノキや鳥たちの援護があるとはいえ、単純な戦力的には三対八である。普通にいったらちょっと厳しいな……と、彼女は憑座の力を使うことを決めた。
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