第五章「因縁の地」⑥
結論から言うと、この日の午後の移動はウィンにとって全く苦にならなかった。彼女が大地の憑座だからではない。セディアやフローラの馬が、彼女が必死で走らねばならぬほど進まなかったのだ。
戦場慣れしているとはいえ、このような逃亡は初めてなのだろう。セディアが方角を確認し地図を見て、街道を避けて天領に向かう道を指示する、その作業に時間がかかり、ウィンはしばしば立ち止まって彼の指示を待った。
また、傾斜のある山道を、しかも二人乗りで走るフローラ・ラスク組も前途多難で、曲がり道や傾斜の度に速度を落としていた。フローラの小さな悲鳴が、時々背後から聞こえた。
ウィンは、足場が悪そうなところがあるたびに立ち止まり、振り返って彼らの進み具合を確認した。
フローラたちに比べて、ロディとシルヴィーはずいぶん安定して走っているようだった。
そういえば、シルヴィーは『乗馬の経験がない』と言った。『馬に乗れない』と言ったわけではないんだな、とウィンはふと気付いた。
巫女だもの、経験はなくても、馬には乗れて当然なのかもしれない。
なかなか進まぬ旅路の中、ウィンはぼんやりと、因縁の地について考えていた。
*
ミトチカの、かの村の平穏は五年前に破られた。立太子したばかりの、若干十四歳の皇太子セディアによって。
彼は―年齢からから考えても彼だけの仕事ではないだろうが、かの村の秘密を掴んだ。そして、秘密裏に売られるはずの情報を操作し、陽国に嘘の情報を流した。
それを信じて出陣した、件の王子率いる陽国軍は、手酷い敗北を喫した。かの王子に土をつけたのは、セディアが初めてだった。
しかしセディアの剛腕ぶりは、それだけで止まらなかった。
彼は、彼の村を焼き払った。
家々を。人々を。女子どもに至るまで。
これまでの行為に対する罰であり、見せしめであった。
人々を捕らえて生きたまま焼き尽くす。鬼の所業である。
しかし、彼の為したことを非難する者はいなかった。それほどかの村の罪は重いと、世論が見做したのだ。
これまでどれほどの兵が、国境付近の戦で命を落としたか。
どれほどの人々が、戦で食糧を奪われて飢えて死んでいったか。
秘密は大人だけで守れるものではない。一緒になって周囲を謀った子どもも同罪だ。
親も兄姉も失った幼な子や赤子がどうやって生きていくのか。一緒に逝かせてやるのが情けではないか。
そうして、彼の村は滅んだ。
焼け跡には、城が建った。ミトチカ城である。
かの村の罪を忘れさせないために。周囲の村々を守るために。監視するために。
ミトチカ城は威容をもって今日も高台を見下ろしている。
この勝利の結果、国境は大幅に陽国側に押し下げられた。ミトチカには、平穏が訪れた。城に出入りする兵が増え、役人が増えた。店が立ち、市が立った。ミトチカは、経済的にも潤った。
そしてセディアは、かの地の英雄になった。
そんな話が人口に膾炙しているセディアの武勇伝である。
*
おい、と背後からロディが呼びかける声が聞こえて、ウィンとセディアは足を止めて振り返った。
彼女たちに、フローラ・ラスクの乗った馬とロディ・シルヴィーの乗った馬が追いついてくる。
「なんだ?」
「いつまで走るつもりだ?森は日が落ちるのが早い、そろそろ野営の準備を始めるべきだ」
ロディの言に、セディアとラスクは視線を合わせてから頷いた。
「そうだな。野営にいい場所を探そう」
「小川か泉の近くだ。岩陰か洞窟みたいな身を隠せるものがあればいいんだが」
そう言ったロディの前で、シルヴィーが身を捩った。周囲に目を走らせている。
「どうした?」
そう言ったロディを仰ぐように見て、シルヴィーは
「おろしてください」
と言った。
馬から下りたシルヴィーは、そっと周辺の樹々に触れていった。残された五人は、黙って彼女の一挙手一投足を見守る。
しばらくして、シルヴィーが残りの面々を振り返った。美しい銀髪がきらめく。
「木の洞でも構いませんか?人が二人くらいは入れるそうです。近くに泉があります」
「十分だ。案内できるか?」
そう答えたのはロディだ。
「はい。ここから馬で少し走ります」
シルヴィーがロディと馬の元に歩み寄る。
「なんだ、今のは?」
困惑した様子で、セディアが誰にもなく尋ねた。困惑しているのが自分だけであることが、困惑に拍車をかけているようだ。
「あんたは憑座や巫女の力を信じてないんだろ」
ロディは素っ気ない。
「あいつの……侍女の力だと言うのか?」
セディアの発言に、ロディは思いっきり顔を顰めた。
「『シルヴィーの』力だ」
そう言い捨てて、ロディはさっとシルヴィーを馬に乗せて自身もまたがる。
憮然として彼らを睨むセディアに、ラスクが馬を寄せて囁いた。
「言ったろ、『役に立つ』んだよ」
第五章はこれでおしまいです。
次回更新は7/21(水)の予定です。