第五章「因縁の地」①
坑道の出口では、誰も待ち伏せてはいなかった。少なくとも、出た途端に刺客に囲まれるようなことは起こらなかった。
まだ色づくには早い初秋の木々が、さわさわと優しく風に鳴っている。シルヴィーが、何本かの木にそっと触れた。
陽は頂点を過ぎて西に傾きかけたばかりのようだった。ラズリー卿別邸を出たのがまだ朝と呼べる時間だったから、二刻(約四時間)は坑道にいたことになる。
暗く湿った坑道から、穏やかで美しい秋の森に出て、一同はしばらく無言で佇んでいた。
その沈黙を、破ったのはロディだった。
「さて、可能なら俺たちはここで失礼したいんだが」
「馬鹿言うなよ。ここで失礼して、敵にタレ込むってのか?行かせるか」
ラスクが反論し、今日何度目かの二人の議論が始まった。
背が高く年嵩のロディに小柄なラスクが食ってかかる様は、子どもが駄々をこねているようにも見える。
「じゃあどうしろって言うんだ?お前たちとずっと行動を共にしろって言うのか。仲間だと思われて一緒に殺されるのはごめんだ」
「殺されるって決めつけんな、縁起でもない。キノ家領か天領に着けばいいだけだ。ここからだと天領だな」
「そこまで付き合えってのか」
「付き合った上でしばらく軟禁されてくれれば一番いいな」
「ふざけるな」
「ねえ、ロディ」
疲労が濃く滲む声音で、フローラがロディに話しかけた。
「なんだよ?」
ロディはラスクと議論していた攻撃的な口調のままフローラに対する。フローラは動じない。
「ココシティの近くで交わした、わたしたちの契約は、まだ終わってないんじゃない?安全な場所まで着くまで、わたしを護衛してよ」
「昨日代金をもらった。それでおしまいだろ」
フローラは、ゆるゆると首を振る。
「チクシーカは、わたしにとって安全な場所ではなかったのだもの。近衛兵にならなくてもいい、天領までわたしを連れて行って?」
「嫌だね」
そう言ったロディは、セディアとラスクに目をやって続けた。
「命を狙われてるのが分かってて、こいつらの近くにいるのはごめんだって言ってるだろ」
三人の会話を聞きながら、ウィンはだんだん苛々してきた。歩き詰めだった疲れもあるけれど、相変わらず我関せずとばかりに腕組みをして傍観しているセディアに対して、猛烈に腹が立ってきたのだ。
さっきから、この人はずっと黙っている。扉を開ける時もウィンを顎で使って自分は何もしない。
一体、この事態をなんだと思っているのか。誰のせいで、こんなことになっていると思っているのか。
「ねえ、何か言ったらどうなの」
声が刺々しくなったが、構うものか。ウィンの剣幕に、三人は議論を止めて彼女を見、その視線を追ってセディアを見た。
当のセディアは、ちらりと目を上げてウィンを見たが、肩をすくめただけで返事をしない。その仕草が、ますますウィンを苛立たせる。
「なんでこんなことになってると思ってるの?ラスクが一生懸命主張してるのも、結局はあなたとフローラを守るためでしょう?黙って見てないで、何か言ったらどうなの」
セディアはなおも返事をしない。少し目をすがめて、珍しそうにウィンを見ただけだ。
「ねえ、聞いてる?」
重ねて問いかけるウィンに対して、セディアは少し眉間に皺を寄せてから口を開いた。
「……お前たちは、何者だ?」
「え?」
予想外の発言に、ウィンは彼の整った顔を見つめる。そこからは、何も読み取れない。
「お前たちの目的はなんだ。なぜ今、この面子でここにいる事態になっている?」
この人は一体何を言っているんだろう。なぜこんな事態になっているかなんて、こっちが聞きたい。
「目的ってどういう意味?私たちは、ただ巻き込まれただけだよ?焼ける邸と心中したくなかったから、付いてきただけ」
その答えを聞き、セディアはまた、彼女の顔を見たままじっと考える。そして、
「ココシティで、フローラと関わった件は?」
なんだか、外国の人と話をしているみたいだ。会話が全然噛み合わない。
「ねえ、だから、何が聞きたいの?」
セディアはふうっとため息をつくと、理解の悪い子どもに諭すように言った。
「憑座仲間だからフローラを助けた。そんな話が信じられると思うのか?百歩譲って、お前たちを呼んだのがフローラだということは認めよう。だが、それだけで、会ったこともない相手を命を懸けて助けるというのか?他に目的があったんだろう?それを聞いているんだ。金か?フローラの信用を得ることか?」
思いもかけない言葉に、ウィンはぽかんと口を開けてしまった。怒りすら飛んでいった。
なんでそんな話になるのか分からない。なんでそんな発想になるのか分からない。皇子様と流浪の民だからなのか、この人と私の相性の問題なのか。
「お兄様、なんてこと言うのよ……」
いつの間にか座り込んでいたフローラが、ぐったりとしつつもセディアに抗議する。
兄と違って、いい子だなあ。
そんな妹に向かってセディアは邪険に、
「黙ってろ。俺はこいつと話してるんだ」
その言葉に、ぽかんとしすぎてしばし忘れていた腹立ちが戻ってきた。ほんと、なんなのこの人。
ウィンは、努めて冷静な声を出す。
「命をかけるような戦いじゃなかった。憑座の力を使って、三対八だったら、楽勝ね」
「甘い」
「え?」
斬り捨てるような言い方に、そしてまたも予想を大きく裏切る返事に、ウィンは戸惑う。セディアは、その深緑の瞳は、刃物のような鋭さで彼女を見据えた。
「甘いな。武器を取って戦っている時点で、命をかけてるんだ。命のやりとりをする舞台に立ってるんだよ。何を考えてるのか知らないが、そんな得物で」
彼はそう言ってちらりとウィンの棒に目を遣る。
「刃物を持った相手と戦うなんて、甘ちゃんもいいとこだ」
次回更新は、7/3(土)の予定です。