第四章「坑道」④
薄暗い坑道を、一列に並んで進んでいく。歩いている間、話す者はいない。さりさりという足音が幾重にも重なって、彼らの周りの空間を埋めている。
彼らは、箱の中にあった食料を、きれいに六等分して持った。そして、燃料や衣類などを分担して持った。明らかに華奢なフローラとシルヴィーは食料を持っただけだったが、それに文句を言う者はいない。
『情報』の箱の中身は、セディアとラスクが検めた。半ば予想していたことだが、その中身はほとんどウィンの読めない言語で書かれていた。
先頭を行くセディアは、分岐点に当たっては周囲を調べ、何かを判断して道を選んでいた。彼の判断が正しいのか、ウィンには分からない。行き着く先がどこなのかも、分からない。今は一連托生のこの旅路の中、彼の判断を信じて着いていくしかなかった。
大地の憑座であるウィンは、地面の上であれば、一度通った道を間違えずに辿ることができる。いくら分岐がややこしくても、大地の真ん中の坑道にいる限り、来た道と同じ道を通って、元の隠し扉に戻ることは可能なのだ。
だが、戻った先は燃えさかる邸である。いや、もう焼け落ちて敵が焼け跡を検分している頃だろうか。どちらにしても、戻るのは賢明な判断ではない。
奇妙な面子での、奇妙な旅路になったものだと、ウィンは思った。
皇太子。皇女に生まれた海の憑座。彼らに馴れ馴れしい少年。侍女でもある巫女。そして、大地の憑座とその兄。
セディア、フローラ、ラスク、シルヴィー、ウィン、ロディ。
その時、考えるともなく考えていた先程の疑問の答えにたどり着いた気がした。
あれは、真名だったのかな?
セディアの持った麻袋に書かれていた文字。あれは、もしかすると真名の頭文字だったのかもしれない。
*
この国では、赤ん坊が産まれて最初に迎える大きな祭りの時に、ソリス教司祭が洗礼名を付けることになっている。ソリス教の過去の聖人や、自然や花の名前にちなんで、西方風の名前を付けることが一般的だ。
ソリス教を国教と定めたおよそ百年前に、広く民は洗礼名を用いて呼び交わすべしとのお達しが出された。それ以来、日常的には洗礼名が用いられ、表記の際も、姓と洗礼名を書くことが一般的だ。
しかし、北ノ国の民は、洗礼名を受け入れることはできても、長年親しんだヒヅル列島風の名前を捨てることはできなかった。洗礼名を付けるのは構わない、だがヒヅル名も残したいとの想いから生まれたのが、真名だ。
赤ん坊が生まれた時に、二親が、もしくは彼らに近しい者が、子の幸せを願って付ける名前。家族やごく親しい者のみが知る、その子の魂の名前。
それが真名だった。
あの衣類を準備したのがラズリー卿、すなわちセディアやフローラの叔父やその手の者なら、彼らの真名を知っていてもおかしくない。セディアだからとSにすると、敵にも彼の荷物だと分かってしまうから、一部の人しか知らない真名で表記した可能性は高い。逆に、ラズリー卿はラスクの真名を知らないだろうし、彼の荷物であることを隠す必要もないと考えたのだろう。
『トリス・K・セディア』?
ウィンは、彼の名前の正式表記を思い浮かべた。K。彼の真名は、どんな名前なんだろう。
*
時折休憩を挟みながら、ただひたすら坑道を歩く。休憩の間は、ランプの油を足し、各自が水を飲み、干し芋を齧る。あとは無言の時間が続く。
邸を出てからどれくらいの時間が経ったのか、よく分からない。
フローラは疲れてきたのか、昨日の夕方に森でしていたように、座って膝に顔を埋めている。
シルヴィーはそんな彼女を守るように、傍らに寄り添う。
セディアとラスクは壁にもたれて、警戒心を誇示するかのようにロディを睨んでいる。
ロディは、彼らから最も遠い位置で壁に寄りかかり、知らん顔でよそ見をしている。
ウィンは、そんなロディの横で、セディアとラスクを警戒しつつ、みんなの様子を見ている。
そんな気詰まりな休憩を三回ほど繰り返してから、しばらく歩いた頃だった。
例によって分岐で行き先を調べていたセディアが、振り返って言った。
「恐らく、出口が近い」
一同に緊張が走る。複雑に走る坑道を敵が把握しているとは思えないし、複数あるはずの出入口のどこから出てくるかの予想は難しい。だが、今から向かおうとしている出口が敵に知られていない保証はない。
扉を開けた途端、敵に囲まれる可能性だって、なくはないのだ。
「先頭を代わろう」
ラスクが言った。セディアは黙ってラスクと入れ替わる。
そのまま、また少し歩いた。
ふと、空気の流れが変わった気がした。これまでも、どこかに空気穴があるのだろう、時折風の流れを感じることはあったが、今回はそれよりも力強い、植物の匂いを感じた。
そして、
「明かりだ」
と、ラスクが告げた。
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