第四章「坑道」③
でも、すごいなあ。
ロディと斬り合っているセディアの様子を見て、内心ウィンは感心していた。皇太子の身で、これほど武芸に精通しているとは。相手がロディだから、そして武器の相性があるから苦戦しているものの、戦場に出しても恥ずかしくない、いや、誇るに足る武芸達者だ。
さて、それにしても。
「ロディ、その辺にしときなよ」
頃合いを見計らって、ウィンは声をかけた。ロディはセディアに向かって槍を振るうのをやめ、壁際に追い込んだ彼に槍の穂先を向けたまま、じりじりと後退った。
そして、十分な距離を取ると、ふん、と見下した視線をセディアに投げてから構えを解いた。
この坑道の中で、道が分かるのはセディアだけだ。殺す訳にはいかない。フローラが登場し、圧倒的な有利が分かってからのロディは、完全に憂さ晴らしでセディアをいたぶっていたと、ウィンは思う。
ほんとロディはこの人のこと、嫌いだなあ。
ウィンの隣まで戻ったロディは、フローラの方を向いて、
「世の中のすべての人間が、あんたを大切に思っているわけじゃない。自分が身を挺したら争いが止むなんて思い上がりは、捨てた方がいいぜ」
フローラの頬にぱっと赤みが刺した。黙って唇を噛む。
なるほど。ロディはそれを実体験としてフローラに教えたいのもあって、セディアを追い詰めていたのかと、ウィンは合点がいった。
うーん、親切なような、酷なような。
「フローラを見張っていろと言ったはずだ」
セディアが荒い息を吐きながら、シルヴィーを睨む。巫女は、黙って俯いたまま返事をしない。
その様子に、フローラが復活した。
「お兄様、ほんとにわたくしの話を聞いてなかったのね。巫女は、憑座を助けることが最優先なの。人間としての意思や感情よりも、巫女としての使命のために体が動くのよ。わたくしを見張ってろなんて物騒なこと言われて、シルヴィーが従う訳ないでしょ?」
そう。女神たちを通じて、フローラとウィンは、セディアとラスクがこの場で二人を仕留めようとしていることを教えられていた。
教えられなくても、最も重要な『情報』の箱だけを開けなかったこと、ウィンたちに頼み事をしてまで広間に残したこと、そしてラズリー卿の邸での彼らの目配せ。状況が、彼らが兄妹を狙っていることを教えていた。彼らもまだまだだな、とウィンは思う。
そして、その事実を受け止めきれないフローラのために、事前に止めずにあえて襲わせて事態を把握させた訳だ。不意打ちさえでなければ、対応できる自信は十分にあったから。
フローラが、くるりとウィンに向き合った。
「大丈夫だった?まさかほんとにお兄様たちがこんなことをするなんて」
さすがに今はロディに優しい言葉をかける気にはなれないらしい。しかし、ウィンが返事をする前に、そのロディが口を挟んだ。
「お姫さん、悪いが危機管理としては兄貴の方が正しいぜ」
「え?」
「俺はウィンとずっと一緒にいるから、憑座同士殺し合いたくない気持ちも分かる。巫女はそういうもんだというのも理解できる。だがな、あんたの兄貴が置かれてる立場からしたら、俺たちを抹殺しようと考えるのが普通だ。俺が逆の立場でもそうする」
「なんで……?」
フローラは泣きそうな顔でつぶやいた。ロディは、フローラにとことん現実を認識させる気らしい。ウィンは、さすがに可哀想に思えてきた。
「俺たちが生きて逃げてることの証人だからだよ」
ロディに代わって、セディアが答えた。まだ息が荒い。
「こいつらが敵に走れば情報が漏れる。どんな格好で、どこに向けて、何人で逃げたか。安否が分からないうちは時間を稼げる。そして、逃げ切りさえすれば、再起できる」
「そう、だから信用できないやつは斬り捨てるべきだ」
ロディが頷いて言った。
「賛同いただけて嬉しいね」
セディアは、ロディに余裕の笑みを向けようとしたが、綺麗な顔が引きつっただけだった。
「賛同はするが、俺たちも黙って斬られてやる訳にはいかない。だから、決着をつけるしかないんだよ」
そう言うロディの槍を握る手に再び力がこもるのを、ウィンは見た。
「なんで?なんでよ?協力してくれればいいじゃない!昨日みたいに、力を合わせてわたしを助けてよ!」
「あんたの兄貴と護衛くんが、それを許せばな」
フローラは、きっと兄とその配下を睨む。どちらも、彼女と視線を合わせようとはしない。ロディが続ける。
「俺は別に、あんたを守るのは吝かではない。ウィンの憑座仲間というなら尚更だ。だけど、自分たちの命と引き換えにはできない」
「お兄様!ラスク!この人たちに手を出さないでって言ってるじゃない。それで解決するわ!わたくしのお願いを聞いてよ!」
「だめだ、危険すぎる」
フローラの叫びを、セディアは言下に切り捨てる。
「俺たちに勝てると思ってるのか」
そう言ってロディが彼を睨む。セディアはそれを正面から受け止めた。
「あんたたちは俺を殺せない。この先の道が分かるのも、『情報』の箱を開けられるのも俺だけだ」
「腕の一本や二本斬り落としても、道案内くらいはできるだろ」
「だが箱は開けられないだろうな」
「やってみなきゃ分からないぜ。死にそうになったら開け方を教えるかもしれない」
二人が睨み合い、再び緊張感がその場を支配する。
「やめて」
フローラが、二人の間に立ちはだかった。先ほどまでとは違い、声に落ち着きが戻っている。
「フローラ、いい加減にしろ」
「いやよ。ただでさえウィンたちには、昨日助けてもらった借りがあるわ。わたくしの誇りにかけて、彼女たちを守ってみせる」
苛立ちを含んだセディアの鋭い視線を、フローラは静かに穏やかに受け止めた。しばし、視線での攻防が交わされる。
沈黙を破ったのは、ラスクの特大のため息だった。やはり彼は、ひとに聞かせるためのため息をつく技術を会得していると、ウィンは思う。
「あんたら、気が済んだか。
セディア、嬢さんが言い出したら聞かない事くらい知ってるだろ。とりあえず諦めろ。時間がない。早く箱を開けて、先に進むぞ」
セディアはやれやれとでも言いたげに頭を振ってから、剣を鞘に収めた。そして、最後にもう一度フローラを睨んだ。
「後悔するぞ」
「しないわ。そして、誰にもさせない」
「そう上手くいくといいけどな」
そして、ラスクに向かって
「『情報』を開ける。ラスク、後ろ見とけ。フローラ、自分の言葉に責任を持てよ」
箱を開けるために無防備になる彼の背を、フローラも守れという意味なのだろう。彼女はうなずいて、くるりと回れ右をしてウィンたちの方に向き直った。
彼女の澄んだ青い瞳が、ウィンたちに向けられる。
「大丈夫だよ」
攻撃の意志がないことを、ウィンは両手を上げて伝える。フローラはまたうなずいて、ロディに視線を向けた。
「あんた、大したもんだな」
ロディはフローラに向かってそう言うと、槍を下ろして、ウィンに倣って両手を挙げた。その顔は、穏やかな笑みをたたえている。彼が他人を認めるのを、ウィンは久しぶりに見た。
彼に向かって、フローラがにっこりと微笑んだ。その顔は、今まで見た彼女の表情の中で一番、美しかった。
次回更新は、6/16(水)の予定です。