第三章「皇太子」④
「セディア!やべえ!」
そう言って駆け込んできたラスクが、扉の近くで中腰になっていたロディと危うくぶつかりそうになった。
「あんたら、なんでまだいるんだよ!?」
それはこっちの台詞だと思ったが、それ以上にウィンは、彼が青年の名を呼んだことに驚いていた。昨日は誰の名前も呼ばなかったのに、よりによって皇太子を?呼び捨てに?
一体彼は何者なのだろう。
ラスクは、扉を閉めて尋ねるように青年を見る。
青年は、ウィンとロディの方を向いて、
「去れ」
と短く命令した。
言われなくても早く去りたい。何が『やべえ』なのか分からないが、皇族のそんな事態につき合う気はない。一礼して立ち上がる。
「待って、だめよ!」
フローラが駆け寄って、ウィンの手を取る。炊事などしたこともないのだろう、柔らかなてのひらの感触に、振り払うのが躊躇われた。
「ねえ、お願い。わたし達はかなり危機的な状況にあるの。一人でも味方が欲しいところなの。一緒に来て」
「フローラ、いい加減に諦めろ」
「なんで?なんでだめなの?」
「姫さま、私は……」
「いい加減にしろっ!」
言い募る面々に向かって、ラスクが怒鳴った。その剣幕に、思わず一同は口をつぐむ。彼は怒りを乗せた声で続ける。
「オニキスがここに向かって国軍を動かした!ラージ家の私兵じゃない、国軍だ!ここにすぐにでも押し寄せるんだ。何を意味してるか分かるだろ!早く動け、どうするべきか考えろ!」
束の間の沈黙が訪れた。
「国軍を?」
「まさか、そんなことはできないわ」
「できちまったんだよ!動いてるんだ、もうすでに!」
そう言って、ラスクは青年に向き合った。
「昨日、都とここの間の街道であんたに会ったあと、俺一人が都に向かったろ?その後、姐さんに言われて俺はラージ家を張ってたんだ。ここはあと半刻もしないうちに囲まれる。逃げた方がいい」
彼が言い終わった時、再度扉が開いた。ラズリー卿と、見覚えのある青年が部屋に入ってきた。森に迎えにきてくれた青年だ、とウィンは思い当たった。おそらく彼が、ここにいる人間で最も信用できる人物なのだろう。
「聞いたか、セディア」
「ラージ・オニキスが、国軍を動かしたと」
「そなたたちがここにいることが知られている可能性がある。適当な理由をつけて私を討ち、巻き込まれた形でそなたたち二人の命を狙っているのかもしれない」
「俺たちの居場所がばれている……やはり、計画がどこかで漏れていると考えるべきですね。国軍を動かしたことについては?」
「ラージ家がここまで大胆な手を使ってきたということは、陛下の身に何かあったと考えざるを得ない」
セディア青年の表情が翳った。
「父上が、亡くなったということですね」
「もしくは、もう意識を回復しないと彼ら判断するほど、容体が悪化したか、だ」
二人の言葉に、フローラはウィンの手を離した。
「うそよ!だって、お父様は、一昨日はまだ……」
「それが事実かどうかは問題じゃないんだ!」
ラスクが苛立った声を出した。
「問題は、国軍が大挙してここに押し寄せてることだ。あんたたちがここにいることがバレてるのか、ラズリーさんが狙いなのか、どっちにしてもここは危険だ。早く逃げろ!」
ラスク少年の言葉に、セディア青年は瞳に強い光を宿してうなずいた。
「裏から出よう。叔父上、裏口の周囲を調べさせてください。馬はありますか?」
そして、ラスクに向き合い、
「ラスク、フローラのそばを離れるな」
ラズリー卿が目配せし、配下の青年がうなずいて部屋から出て行った。
先ほどから、ウィンたちは完全に放置されていた。そして、放置されたまま状況を知ってしまったことに底知れない恐怖を感じていた。
さっさと帰っておくべきだった。絶対にこんな話、聞くべきではなかった。
一緒に行動すれば仲間だと思われて、彼らを狙う国軍の標的にされるだろう。かと言ってここに残れば、包囲されて捕らえられる可能性が高い。危機に陥っているフローラを助けてやりたい気持ちはあるが、共倒れになる気はない。
今、彼らが夢中で話を進めている隙をついて脱出するべきか。しかし無言で出れば、邸の兵たちに見咎められるかもしれない。かと言って、挨拶をすればまたフローラがごねるだろう。
逡巡してロディを見ると、兄は一つ頷いた。二人がそろそろと動いて荷物と武器に手を伸ばした時である。思いがけずフローラが二人を振り返った。
「あなたたちも、わたしのそばにきなさい。一緒に出るわよ」
次回更新は5/26(水)の予定です。