第二部 第四章「日嗣の御子たち」④
ロディは、少し考えてから、再び、
「それは、お前たちの総意か?」
と尋ねた。
「ああ。冬の間に話し合ったことだ」
「じゃあ、当然、風の憑座と考え得る人物についても話し合ったんだろう。さっき、目星はついていないと言ったが、どういう結論になったんだ」
「ラスクはね、十五歳の時に身体が光るっていうのが気になるっていうの」
それまで黙っていたフローラが、指先で空になった食器を弄びながら言った。まるで、その器の中にここにいない人がいるかのように。
「彼が、ウィンの正体に気付いたのも、きっかけはそのことだった。周囲に人がいたなら、そして憑座が立場のある人間なら、多少なりとも噂になったはずだ、って」
昨年の秋、身分を隠していたウィンの正体に、ラスクがいち早く気付いた件だ。彼は、戦場で男として戦っていたウィンが、絶対絶命の状況の中、逃げ出した時のことを知っていた。憑座の力が目覚め、身体が光り輝き、大地が吠えて揺れる中、颯爽と走り去った時のことを。
「でも、今回はわたしの件があったから――皇女の生誕の宴で身体が輝いたって話が広まったから、それを知ってから隠したかもしれない。だって、冒涜になるからね。皇女に対する神の祝福と同じことが、皇族でない人間に起こったと言って回ったりしたら。そのせいで、風の憑座に関する情報が隠されているのかもしれない。あるいは、ひとりでいるときに憑座の自覚が芽生えて、誰もその光に気付かなかったかもしれない。
ラスクは、味方が増えたら、その話の調査に誰かを向かわせたいと言っていた。二年前…いえ、もう二年半になるのね、あの十の月に何か異変があった者を探りたい、って」
フローラは誰の目も見ず、器の中に向かって話す。
「女神は魂憑祭を見ている。祭で、多くの者から祝福された、愛され、生き延びる可能性の高そうな子を憑座として選ぶ。だけど、それだけじゃないわ。その中で、自分の気に入った子を選ぶのよ。そう考えると、必ずしも身分が高かったり、富がある者の子だけが憑座になるわけではないのではないかしら」
「実際、過去にはそんな例もあったみたいだしね。何代か前の大地の憑座は、小さな町の商人の娘だったとか」
ウィンが口を挟む。やっと顔を上げたフローラはひとつ頷いて、
「海の女神と大地の女神によると、風の女神が好むのは、富よりも伝統と格式。女神と巫女への忠誠心。そして誇り高く、清楚で落ち着いた美しさ」
そして、ウィンに笑いかける。
「わたしたちは当てはまらないわね?」
「清楚で落ち着いた美しさってところが、特にね」
ウィンも、フローラと目を合わせて声を出さずに笑う。こういう明るい賑やかさは風の女神の好みではないらしい。
「だから、もしかしたら地方の神官の子に生まれていることもあるかもしれない。都市部の住民はかなりソリス教に染まってきたけれど、地方はそうじゃないでしょ」
西方宗教であり、北ノ国が約百年前に国教に定めたソリス教。それに準じず、密やかに昔ながらの三女神信仰を守っている人々がいることは、周知の秘密だ。北ノ国側も、公に活動しない限り、これまで派手に取り締まることはしてこなかった。費用の割に効果が上がりにくいこともさることながら、最大の理由は反発されて他国に人口が流出するのを恐れてのことだ。
「地方の三女神信仰者の子なら、お前たちの敵にはならないだろう。ソリス教神官の家系のラージ家にも、武力の家系のバンナ家にも馴染まない」
ロディが意見を述べた。
「でも、何があるか分からないでしょ」
フローラは取り合わない。彼女たちは、冬の間中、考え続けたのだ。『いつだって最悪の事態を想定しろ』。ここにいないラスクの言葉が、フローラの耳には聞こえる。
「ソリス教を国教に定めたトリス家憎し、の一念で動いているかもしれない。バンナ家は名門だけど、古くは春日国時代の豪族まで遡れるでしょう?そのことに魅力を感じるかもしれない。個人的に、恨みを買った人間がこちらにいるかもしれない」
誰がどう敵になるかなんて、分からないのよ。
フローラは、半分自分に言い聞かせるように、最後にそうつぶやいた。
ロディはフローラの反論に納得したらしく、
「周辺にいる人物の洗い出しはしたのか。同じ日に生まれた女子。結構絞られるだろう」
この問いに対しても、フローラは首を振った。
「皇族や貴族については、考えたわ。でも、絞りすぎないほうがいいと思うの。必要があれば、生まれ月や性別なんて、いくらでも誤魔化せるでしょう」
「ここに、いい例がいるものね」
ウィンが、自分の胸をとんとんと叩いて言った。男として生きてきたウィン。もしかしたら風の憑座だって、何らかの理由で世の中に男として認知されている可能性だってあるのだ。
「なるほどな」
「第一、ヒヅル列島に生まれるってだけで、北ノ国とも春日国とも、陽国とも分からないんだ。敵方にいたら厄介だし、警戒する必要はあるが、特定するのは、いざ対峙するまで不可能だと思うぜ」
セディアが、もうこの話を終わろうと言いたげに混ぜっ返した。話しているうちに、辺りはすっかり暗くなっている。
「だから俺たちは、風の憑座がどこの誰でも、対応できるように考えるしかないんだよ。俺が風呂に入るためには、近くに一人、駆け付けられる位置にもう一人、眠り薬を一緒に吸わないくらいにもう一人、少なくとも三人は護衛がいるな」
最後の方は、投げやりに言って立ち上がり、伸びをした。
「大変だな」
「おう」
そして、ロディも立ち上がった。
「他にも聞きたいことはあるが、続きは明日だ。寝よう」