第三章「皇太子」②
そう言って、ウィンは彼の深緑の瞳を強く見据えた。睨んだと思われても言い訳はできない。
青年はくっと口の端を持ち上げるように笑った。笑ったのに、なぜかその精悍な顔立ちが歪んだ気がした。
「面白い」
そして、ずっと上体を乗り出すようにして彼はウィンを見た。
「ん?そなた女か。何故、女の身でそのような格好で武器を持つ?フローラを助けたと聞いた。何故、そのような生活に身を置く?」
「もう!お兄様!」
話を意図せぬ方向に持っていかれて、フローラが怒った。
「ウィンは憑座なんだって言ったじゃない。三人の憑座と巫女は、同じ日に産まれた女の子なんだって。ほんっとに今までわたくしの話を聞いてなかったのね?」
「頭の中に女神の声が聞こえる云々と言われて、そのまま信じる方がどうかしている」
青年は言下に切り捨てる。
「こんなこと言うのよ!ね、ロディ」
フローラはロディに向き合った。
「ウィンが大地の女神とお話できること知ってる?ウィンが憑座ってこと、どう思う?」
ああなるほど、とウィンは思った。
これが『二人をお兄様に会わせたい』理由だったのだ。憑座の妹を持つ兄としての、青年の態度が不満だったのだろう。同じ条件で、ウィンを受け入れているロディを見習えと言いたいのだ。
「存じております。大地の女神に祝福された、幸せな妹だと」
ロディの答えはフローラをいたく満足させたらしい。彼女は満面の笑みで兄を振り返り、
「ほら!お兄様、聞いた?」
と両手を大袈裟に広げた。
「ロディはちゃんとウィンと大地の女神のことを理解してるのよ。わたくし嘘なんかついてなかったでしょう?海の女神は、オセアは、本当にいるの」
「お前に話を合わせただけだろ」
青年は相手にしない。
「いえ、違います」
ウィンは、静かに断言した。
「姫さまは、海の女神様と、確かにお話になっておられます。今回私たちが姫さまをお助けできたのも、海の女神様が大地の女神様を通じて、私に命じられたからです」
「女神を通じて命じた?」
「憑座同士は直接心の中で話すようなことはできません。しかし、自分の女神様とは、心の中でお話ができます。そして、女神様同士もお話をされます。いつでも、というわけではありませんが、憑座の命に危険があるような時は女神様たちが助けてくださいます」
「わたくしがオセアにお願いして、オセアが大地の女神にお願いして、大地の女神がウィンに頼んで、それで助けに来てもらったの」
フローラの勝ち誇った顔は、ココシティの近くでラスクに名乗らせた時の表情を思い出させる。彼女は続けた。
「都合よく通りがかった人が、都合よく武術に秀でていて、都合よく助けてくれたとでも思う?」
青年は考え込むように眉根を寄せる。
「わたくしが呼んだのよ」
妹の勝利宣言に、青年はお手上げとばかりに両手を挙げた。
「わかった、わかったよ。信じなくて悪かった。お前は確かに海の女神とやらと話ができる。ソリス教徒としては罰当たりな話だが、まあそのおかげで今回は助かった。めでたしめでたし。それでいいな?」
そして、
「ほら、もういいだろ。お前が会わせたかった大地さんには会った。憑座とか女神とかも理解した。俺はこんなことしている場合じゃないんだ。早く都に戻らないと」
しかし、フローラはまだ動かない。
「憑座について分かっていただいたところで、お兄様に知っていただきたいことがあるの」
「なんだ」
「この二人をわたくしの近衛兵に加えます」
ウィンの隣で、ロディが思わずと言った様子で天を仰いだ。このお姫様は、本人の了承を得るという手続きを知らないらしい。
「お前の近衛兵に?」
青年も初耳だったらしく、表情を一変させた。
「そばに置くという意味か?」
「そう。巫女のシルヴィーがわたくしに付いていてくれることも、とても心強かったけど、彼女は武芸者じゃないわ。ウィンみたいに武器をふるって戦ってくれる人と心で通じ合えれば頼りになるじゃない。それに、ウィンとロディの関係を見たら、お兄様のわたくしに対する認識も変わるでしょう?」
フローラはにこにこと語る。一方の青年はどんどん渋面になる。
「近衛兵って……身元は確かなのか?そもそもこいつら、何者なんだ」
「ウィンは憑座よ。それで十分でしょ?不足があるならおじさまに身元を引き受けてもらえばいいじゃない」
「近衛兵が何か分かっているのか」
「分かってるわ。皇宮で見張りをしたり、宮から出る時に護衛したりする兵でしょ。わたくしが自分で動かせる直属の兵でしょ」
「そんな重要な役職に、どこの馬の骨とも分からないやつを就かせられる訳ないだろう」
「その近衛兵が信用できないから、こんなことになってるんでしょう!」
フローラの指摘は鋭かったらしく、青年が一瞬詰まった。そこに、フローラが畳みかける。
「わたくしの近衛兵の任用権はわたくしにあるわ。お兄様に知ってもらいたかっただけで、了解を得る必要なんてないのよ」
まずい。この兄妹げんかにフローラが勝ってしまったら、ウィンたちは意向を尋ねられることもなく近衛兵にされてしまう。
「姫さま」
とロディが口を開いた。何をいうのかと、青年が怪訝な顔をする。
「なに?」
「それは、おやめになった方がよろしいかと」
一転、青年がほっとしたように見えた。しかし、
「なんでよ?」
逆に、頭に血が上ったのはフローラだ。
「仕事を放り出してきたって言ったじゃない。護衛の仕事をして生計を立ててるって。近衛兵でもやることは同じよ。待遇だっていいし、ものすごく名誉なことよ」
フローラの主張に、ウィンは頭が痛くなってきた。このお姫様は、自分の近衛兵になることが二人の幸せだと、本気で信じているのだ。疑いもしないから、確かめる気にもならないのだろう。
さて、何と答えたものか。ウィンがそう考えていた時である。
(まったく、傲慢な子ね)
頭の中に大地の女神ディージェの声が響いた。
次回更新は5/19(水)の予定です。