第二部 第二章「すみれの人」⑥
「火災から二十日近くがすぎ、なお身柄が捕えられない。いくつか情報は寄せられたものの、成果には結びつきませんでした。従兄弟殿はミトチカまでお出になりましたが、空振りだったと聞いています」
シュリの話題に、ラスクとロディが目を見合わせてにやりと笑った。偵察の時にミトチカで行った陽動のことを思い出しているのだ。ユンセアは、二人の目配せに気づいていないはずはないが、淡々と話を続ける。
「私的なもので言えば、各家が私兵を差し向けています。表向きには捜索ですが、その実は暗殺目的でしょう。ラージ家の忍びが痛手を受けたという話を聞いています」
ユンセアの瞼が、つと上がった。追手と出会ったかと、セディアに尋ねている。
「初日の夜だろ。手強かった」
「そうだったのですね」
彼女は頷く。
「どうやらお二人は生きて逃げた。そして、今は名乗り出る気はないらしい。出てきたら利用されるだけだということを分かっていて、かつ、それを押し返すだけの力がないからだろうと推測されました。
キノ家の者たちを人質にして出て来させることも可能でしょうが、その方法には次の手がありません。
お二人は人気があるので、公に処分はしづらい。先にあちらが見つけるならともかく、お二人から出てきてもらうのは都合が悪いのです」
事故に見せかけて損なうことができないから。
「ならば、今のうちに―お二人が力を蓄えて名乗り出る前に、王都の権力を掌握しておきたいと、バンナ家は考えました。しかし、ラージ家とキノ家を潰してしまうとやりすぎです。これまで政治を行なってきた二家を外して政治が混乱してしまうと、お二人が挙兵する隙を与えてしまう。あるいは、南や東に付け込まれるかもしれません。だから」
ユンセアが言葉を切った。お分かりですね?とその視線が尋ねる。
「他家の力を削ぎつつ、三家が政治を見る形にしようと」
聡明な主人はそう応えた。
「バンナ家がその頂点に立った上で」
忍びの女が付け加えた。
「なるほど」
セディアが一度眼を閉じた。考えを整理しているのだ。
「では、叔父上が未だ潜伏なさっている理由について、お前の考えを聞かせろ」
「バンナ家にとっての、『他家の勢力を削ぐ』ことは、ラージ家とキノ家を皇位継承争いから外すことですが、キノ家については、旦那様を除いたことも含まれていると考えます。成り上がりのラージ家は、皇位から遠ざければ権力は薄れていきますが、名門のキノ家はそうではありません。分家もありますし、古参の他家は、どこかに与するとしたら、歴史あるキノ家かバンナ家を選ぶでしょう。バンナ家にとって、キノ家の方がラージ家よりも恐ろしい」
「だから、俺たち二人を排除するだけでなく、叔父上も邪魔者だと?」
「そしてその魔の手を退ける力は、今の旦那様にはないのでしょう」
今の彼らに、その力がないのと同じように。堂々と名乗って王都に乗り込むことができないのは、彼らもラズリー卿も、同じなのだ。
「だったら、私たちみたいにあなたたちに連絡を取らないかしら?そうしたら、私たちとも再会できる可能性が高まるのに」
「……旦那様は、私たちのことを信頼していらっしゃらないのでしょう」
フローラの問いに、ユンセアは軽く眼を伏せて答えた。
「警戒していたケアラからだけではなく、他のところからも情報が漏れていた。となれば、関わった者全員が疑わしいのは当然です」
そして、伏せた眼を勢いよく上げてセディアを見た。
「主人は、我々を信用しておられるのですか」
「いや、完全にはしていない」
セディアの即答に、ユンセアは力強く頷く。
「賢明です」
「ただ、ある程度人数がいないと何もできない。だから、危険が少なく、ラスクが信用できると判断した者から呼び寄せている」
セディアの強い眼差しがユンセアに注がれる。
「ユンセア、ラスクを手伝え。他の者たちを見極め、信用できると判断した奴から俺の元に連れて来るんだ」
「私は……ひとり目なのですか?」
と、ユンセアが目に見えて動揺した。それまで一途にセディアに留めていた視線を、ラスクに移す。しかし、ラスクは今度は答えなかった。わざと視線を斜め上に泳がせて、分かってい知らんぷりをしている。ユンセアは何とも言えない顔でふうっと息をついた。そして、再びセディアに向き合った。
「承知しました。ラスクと共に、他の者たちを精査し、主人に引き合わせます」
「よし」
セディアは一同を見回した。
「今はここまでにしよう。今夜は野宿だ。ラスク、ユンセア。見張をしろ」