【番外編】「冬」03
【番外編の続きです】
妙な沈黙が場を支配する。
どうしよう。
でもずっと固まっているわけにもいかなくて、ウィンはそっと病床のセディアに視線をおろした。
「いや?」
彼は、微かな声で再びそう尋ねる。
嫌じゃ、ない。でも何と言っていいか分からなくて、ウィンはただ首をぶんぶんと振った。
それを見た彼は、あからさまに安心した顔をする。そして、期待に満ちた目を。
どきどきと、鼓動が高鳴る。
水を、飲ませてあげるだけ。旅をする中で、病に倒れた人や怪我人に口移しで水を飲ませるのを目にしたことはある。それと同じことだ。
そう自分に言い聞かせて、器の水をひとくち含んだ。
そして、そっと彼に近づく。彼は、はにかんだような、照れたような、嬉しくて堪らないような、そんな顔で笑って、目を閉じた。
かさりとした質感の後に、思いがけず柔らかく質量感のある感触が続いた。彼が、催促するかのように、軽く唇を開く。ウィンもそれに倣うと、すうっと口内から水分が吸い取られていった。こくり、と彼がひとくちの水を飲み下した音を確認して、ウィンは身体を起こした。
自分でも真っ赤になっているのが分かるほど頰が熱い。どんな顔をしていいのか分からなくて戸惑っていると、心底嬉しそうに笑んだ彼の口が動いた。
もういっかい。
彼の唇がそう形を作る。
もう一回?
認識した途端、また顔に熱が集まる。
もう一回いって、もう一回ってこと?
いや、確かに三日間も寝ていたのだ。水をしっかり飲むのは大切かもしれない。早く元気になってほしいもの。そのためには必要なことだ。
そう気を取り直して、先ほどと同じように水を口に含む。にこにこと幸せそうに細まる彼の目に見られるのが恥ずかしくて、今度は目を瞑ったまま唇を合わせた。
上手く息が合って、水はするりと彼の口の中に移動してゆく。ほっとして顔を上げると、今度はいたずらっぽく寄せられた彼の眉が目に入った。また、彼の口が動く。
もういっかい。
もう一回???
思わず白湯の入った器を見る。起きて早々、そんなにたくさん飲んでいいものかしら。というか、何回口移しするつもりなのか。羞恥心はそろそろ限界だ。
そう思って彼を見ると、セディアは微かに首を振った。
ん?
ウィンが首を傾げて見せると、彼の口が動いて、もういっかい、と告げた。
首を傾げた姿勢のまま思案することしばし、彼のいたずらっ子のような笑いの深まり方に、ウィンは突然その意図に気付く。
『このど変態』
ラスクの悪態がウィンの耳に蘇る。確かに、この人はど変態だ。意識を失ってさっきまで三日間も寝ていたのに、このまま目覚めないんじゃないかとみんな心底やきもきして、ウィンは責任を感じもして、気が気じゃなかったのに。
もう一回、今度はただただ口づけをしたいということか。
というか、水を飲むのも口実だったのかもしれない。
起きるなり、というか、恋人として認識するなり、求めてきたということか。
そこまで考えて、ウィンははっとする。
恋人、なんだなあ。
彼は彼女と共に生きたいと言った。彼女は、それに応えた。それはつまり、人生を共にするということで、恋人ということでいいのだろう。
だから、彼は彼女を求めているのだ。求めてくれているのだ。
ラスクは、嫌になったら別れていいと言った。ウィンの立ち位置を慮った優しい言葉だ。
でも、ウィンはセディアのそばを離れるつもりはなかった。
一生を共に過ごしたいと、この人となら女として生きていいと、この人を愛したいと、あの旅路で思ったから、ウィンはここにいるのだ。
それに、彼に求められることは嬉しかった。初めて、誰かに女の子として扱われるのは、くすぐったくはあったけれど、彼が自分を愛してくれているのが嬉しかった。
だから、彼女はそっと彼の唇を自分のもので覆った。
初めての口づけは、優しく、甘く、穏やかに、ゆっくりと時間をかけて二人の中に刻み込まれた。
番外編は今回で一旦終了です。次回から本編を再開する予定です。