【番外編】「冬」02
【番外編の続きです】
次に目を覚ました時、最初に目に飛び込んできたのは薄暗い部屋の天井だった。周囲に人の気配はなく、当然両脇にあった温もりも消えている。それでもあまり寒さを感じないのは、今が日中で外が晴れているからだろうか。
いつの間にか正面、つまり真上に向けられていた顔を動かして周囲を伺おうとするが、やはり頭が重くてうまく動かせない。
はあ、と小さくため息をついて、視線だけで周囲を伺う。
と、かたりと戸が開いて、誰かが入ってきた。ぱちゃぱちゃと、水が桶の中で跳ねる音。続いて、ざあっとそれが甕へ注がれる音。誰かが水を汲んできだのだ。
声をかけようと、音の方へ顔を向けようと試みる。
その気配に、彼女が気付いた。
「セディア!?」
その人が、桶を投げ出して彼の元へ駆け寄ってきた。
「セディア……」
彼女は笑い泣きのような表情を浮かべてしゃがみ、彼の顔を覗き込んだ。
「ウィン」
微かな彼の呼びかけに、彼女は頷く。そして、はっと肩を震わせて、
「みんなに知らせてくるね?」
と立ち上がりかけた。
待って。そう言いたいけれど、咄嗟に声が出ない。それでもウィンは、彼の表情の変化を読み取ったのか、再び腰をかがめて、
「どうしたの?」
と問うた。
「まって」
今度は、微かに声が出た。ウィンは、小さく首を傾げる。
まだ、ふたりでいたい。君と一緒にいたい。
うまく言葉は紡げないから、そう伝えたくて彼女を見つめた。
ふっと、彼女の表情が緩む。
「うん」
彼女は彼の隣に腰を下ろす。
「ここに、いるよ」
伝わったような、少し違うような。
でも、彼女がこうしてそばにいてくれるのだから、まあいいか。
「一緒に、いるよ」
*
「ウィン、麻紐はあれで全部か……っと」
話しながら板戸を開けて入ってきたラスクが、二人を見て足を止めた。
「お、起きてんのか」
所作の割にはほぼ足音を立てずに近付いてきて、彼はセディアの顔を覗き込んだ。
「何か飲むか?」
目線で小さく頷いたセディアに、ラスクは頷き返して、朝のうちに作っておいた白湯を器に入れて持ってきてくれた。
「ほい」
飲ませるのはお前の役目だと言わんばかりに器を渡されて、ウィンは面映い気持ちになる。
「身体を起こして飲む?」
ラスクと目を合わせるのは恥ずかしくて、さっと器を受け取ってセディアに向き合って尋ねる。しかし、その口は答えを作ろうとはせず、その視線は応も否も伝えてくれない。彼は、ただじっと彼女を見つめている。
「なに?」
セディアの伝えたいことが分からないウィンは、素直に疑問を口にする。けれど、なおも彼は無言で彼女を見つめ続けるだけだ。
どうしたんだろうと、ウィンが心配し始めた時だ。げっ、と、突然ラスクが呟いた。彼を振り返ると、何かに思い至った、でも気付きたくなかったという表情で、セディアに対して冷ややかな目線を向けていた。
「このど変態」
ラスクは時折、セディアに向けて心底の侮蔑を向ける気がする。
ウィンが何のことだか分からずに首を傾げると、ラスクはセディアから視線を外さないまま、
「口移しで飲ませてほしいんだとよ」
と、口にするのも汚らわしいという表情で言った。
口移し……?
まさかと思って今度はセディアに視線を注ぐと、彼は幼子のような曇りのない眼差しを彼女に向けていた。目が合っても引き続きじっと見つめられる。
えっ、ほんとに?
ウィンの動揺を見てとったのか、彼がぱちぱちと瞬きをした。そして、その口が動く。
いや?
声にならない声で、切なげな瞳で、彼はそう尋ねた。
「い、いやっていうか」
しどろもどろにウィンが答えようとすると、
「邪魔者は去るとするか」
ため息と共にラスクが出て行く気配がした。と、彼は戸口のところで立ち止まって、
「なあウィン、嫌になったらいつでも別れていいんだからな」
ウィンが振り向くと、今度はきちんと彼女の目を見て、ラスクは言った。
「こんなに大事になったからとか、今更引き返せないとか、考えなくていいからな。このど変態についていけないと思ったら、俺に言え。ちゃんと別れさせてやるから」
言い終わるや否や、ついっとラスクの視線がウィンからセディアに移った。それを追うと、セディアは半眼でじっとりとラスクを睨めつけていた。
「すぐ別れろなんて言ってないだろ、睨むなよ」
ラスクはまたセディアに冷たく吐き捨てた後、うってかわってウィンには思いやりのある口調で、
「お前は、お前の気持ちに正直でいいってことだ」
と言って頷いた。
「じゃあな。ごゆっくり」
そう言って、今度こそ彼は戸口から姿を消した。