第三章「皇太子」①
翌朝、食事を終えたウィンとロディが今後について話し合っている時に、コンコンと控えめに戸が叩かれた。慎ましやかなその音だけで、シルヴィーがそこにいると分かる。
どうぞ、とロディが応えた。
失礼いたします、と一礼しながら入ってきた彼女は、顔を上げて目を丸くした。ウィンとロディが、すっかり旅支度を整えて彼女を待っていたからだ。
「皇女に拝謁し必要な話をしたら、その足でここを出る。皇太子には会わない。無礼かもしれないが、荷物も持って行かせてもらう。いいな?」
ロディがシルヴィーに宣言する。
シルヴィーは、困ったように眉を寄せて首を傾げた。その仕草が、彼女が言い兼ねている内容を兄妹に雄弁に伝えた。
「まさか……」
巫女はこっくりとうなずく。
「皇太子殿下は、夜のうちにこちらにお着きになりました。姫さまと一緒に、お二人をお待ちでございます」
ロディが小さく呻いた。結局、すべてフローラの思い通りだ。ウィンとロディは、すっかり彼女の掌の上にいるのかもしれない。
*
部屋の前で荷物と武器を取り上げられた。できることなら渡したくなかったが、
「管理するのは私です。お二人の目の届くところに置いて、お帰りの際はすぐにお返ししますから」
とシルヴィーになだめられ、兄妹は渋々従った。まあ、帯剣したまま皇太子に謁見する訳にいかないのは分かる。
扉を開けたシルヴィーが一礼し、
「お連れしました」
と言って、一歩ずれてウィンに道を譲った。部屋の中が目に飛び込んでくる。
彼女らの部屋よりもさらに贅沢な作りで、棚に並べられたガラス細工の調度品が朝日を浴びてきらきらと輝いていた。
「来た!お兄様、来たわよ!」
興奮気味のフローラの声に、年代物の机を前に腰掛けていた青年が振り向く。背後で御光のように朝日とガラスがきらめく。青年とウィンの、目が合った。
噂通りだ。
やはり噂はあてにならない。
相反する二つの印象が、ウィンの心に浮かんだ。
噂通りなのは、その整った顔立ちだ。深い緑色の瞳に二重瞼、整った眉にすっと通った鼻筋。程よく日に焼けた肌。フローラよりも暗い栗色の髪は、ゆるやかにうねり首の後ろで無造作にまとめられている。
上品でゆったりとした白いシャツに革のベスト。特に派手な服を着ているわけではないのに、そこにいるだけで部屋が華やかになるような印象は、フローラに初めて会った時に抱いたものと同じだ。
噂と違うのは――噂からウィンが想像していたのは、ヘラヘラした優男だった訳だが――その知的な雰囲気である。武人として優秀というのは、知将という意味もあるのかもしれない。それに、ラズリー卿ほどとは言わないが、決して華奢ではない鍛えられた肉体と、それが生み出す凛とした佇まいも、予想に反するものだ。
不機嫌を隠そうともしないその表情のせいで分かりにくいが、顔全体の雰囲気がフローラによく似ている。フローラの方が目元が柔らかくて、目の色が違うくらいで、本当に……。
「ウィン」
後ろからロディに声をかけられてウィンは我に帰った。一礼して部屋に入る。
目が合ってからずっと、青年から目が離せずにいた。随分不躾な振る舞いだったが、気を悪くしただろうか。しかし、なぜ彼は目を逸らしも、怒りもしなかったのだろう?
ウィンに続いて部屋に入ったロディは、さっと跪いて首を垂れる。ウィンもそれに倣った。背後で、シルヴィーが扉を閉める音がした。
この部屋には、青年とフローラ、シルヴィーしかいないようだった。フローラがよほどウィン達を信用しているのか、この邸によほど信用できる人がいないのかは分からないが、随分無用心だと思った。
身分の下の者から口を開くのは無礼に当たるから、ウィンとロディは頭を下げたまま、彼らが話し出すのを待った。
「ね、お兄様。さっき話したウィンとロディよ。二人とも、顔を上げて。そんな状態じゃ話もできないわ」
兄妹は、こっそり顔を見合わせて躊躇った。フローラはよくても、皇太子はよくないんじゃないか?
「ほら、早く。お兄様、ウィンはわたくしと同じ憑座なのよ。大地の女神と話せるのよ。私が言ってたこと、嘘じゃないの」
青年の奥の椅子に腰掛けたフローラは、よく眠ったからか空元気なのか、すっかりはしゃいでいる。あまり逆らうのも得策ではない気がして、ウィンとロディはそっと顔を上げた。
「お初にお目にかかります。ロディと申します。こちらは妹のウィン。二人で憑座を探す旅をして参りました」
ロディが自己紹介をする。と、
「ウィン?」
青年が、口を開いた。落ち着いた、深みのある声だ。
「随分と強気な名前だな。一体何に『打ち勝つ』というのだ?」
名乗りもせず開口一番に、それこそ随分な言いようである。これだから、皇子ってのは……と腹が立った。腹が立ったから、ウィンは本当のことを言うことにした。
「自分自身に」
「己に?」
「はい。そして自分の運命に」
次回更新は、5/15(土)11時頃の予定です。
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