第二部 第二章「すみれの人」①
「ごめん」
空いていた腕も肩に回されて、すっぽりと包み込むように抱き締められたと思ったら、謝罪の言葉が降ってきた。
「なにが?」
「一人で行って。残される君の気持ちを、理解できてなくて」
それ今更?と言いたい気持ちがないではないが、左肩の上にとすんと載せられた顔の重みが彼が落ち込んでいることを物語っていたから、
「分かった上で、行きたい気持ちを通したのかと思ってた」
と、ぼそりと答えた。
「分かっているつもりでいた。だけど、さっきの君の顔を見るまでは、本当には分かっちゃいなかった」
彼はそう言うと、ウィンの身体を解放した。肩を掴んで向き直らされ、改めて抱きしめられた。
「もう、一人で行動はしない。君も、納得できないなら話してほしい。冬の間にも言ったろ。我慢しなくていい。わがままを言ってくれ」
人通りはごく疎らとはいえ道の真ん中だ。こんなところで何をしてるんだという気持ちが微かに湧いたが、それよりもいろんな感想と反論と自らの反論への反駁が溢れてきて、ウィンはしばし押し黙る。
「ウィン?」
心配そうに、彼は身体を離して彼女の顔を覗き込む。
「私の気持ちと、あなたの気持ちがぶつかった時はどうするの?今みたいに」
嘘のない、妥協のない瞳が彼を射抜く。
「俺が折れる」
「そんなのは」
セディアの即答にウィンはゆるゆると首を振って、
「望んでない」
「そうか」
「でも」
ウィンは慎重に、言葉を選ぶ。
「あなたが一人で危険なことをして、私だけ安全なところにいるのは嫌」
それは嫌だ。今回我慢してみた結果分かったこと。私は、待つのは向かない。
「それは、知っておいて。危険を冒すなら、一緒に冒したい」
「分かったよ」
セディアは、何が嬉しいのか顔全体で笑った。そして、その顔がウィンにそっと迫ってきた。
往来の真ん中で、と今度こそ言いたかったけれど、彼女の唇は、言葉を形作る前に優しく塞がれてしまった。
*
二日後、ロディが荷物をまとめてやってきた。森の小屋から去った時よりも荷物は増えていて、ぎりぎりの生活をしていたウィンからすれば、兄は大層裕福見えた。
「で、どこへ行くんだ」
逗留していた農村に別れを告げて(春耕の時期に農作業を引き受けたウィンは村から非常に感謝され、ずいぶん引き止められたわけだが)、歩くことしばらく、もういいだろうとロディが口を開いた。
「ラスクと合流する」
セディアが答えた。
「歩きか?」
「途中の森に、馬を隠してある」
「隠してる?誰が世話をしているんだ?」
ロディは連れ立っている面々を振り返った。
ウィン、セディア、フローラ、シルヴィー。ラスクがセディアの配下を探しに行っているとすれば、馬の管理をする人間はいないように思われる。
セディアが、ちらりと視線をシルヴィーに向けた。シルヴィーは、少し迷ってから、
「誰も世話はしていません。森の中に放してあるのです」
「はなしてある?」
ロディはシルヴィーに聞き返した後、合点がいったと頷いて、
「森に着いたら呼び寄せるのか?」
「はい。健在である限り、呼びかけに応じてやってきてくれるはずです」
「そんなこともできるんだな」
以前と同じ、あるいはより親しげな二人の会話に、ウィンはほっとする。あんな別れ方をしたけれど、また仲間になれそうだ。
「今日は野宿だ。体力は大丈夫か」
「誰に聞いているんだ」
セディアとロディも、打ち解けてはいるけれど、その分遠慮がなくなっている気がする。
「俺より、お前だろう。死にかけた人はもう野宿ができるほど元気なのか?」
「あいにく、元通り以上と言っても過言ではない」
そう言ったセディアにいきなりぐいっと肩を抱かれて、ウィンはつんのめる。
「ちょっと!」
「可愛い彼女に看病してもらったからな。元気にもなるさ」
「歩いてる時はやめてってば」
「ごめんごめん」
掴む方はいいかもしれないけれど、掴まれる方はびっくりする。もう。何度も言ってるのに。
「やっぱりあれ、取り消そうかな」
「あれって?」
ロディがげんなりと言った言葉に、セディアがウィンを解放しながら聞き返した。
「お前らのこと認めるってやつ。人前でいちゃつく奴は気に入らん」
「こんなことで取り消されてたら、今日の夜には追い出されてるんじゃない、お兄様」
くすくす笑いながら発されたフローラの言葉に、ロディが露骨に嫌な顔をする。
「わたしから見れば、お兄様はロディにずいぶん遠慮しているように見えるもの」
「冬の間に比べてってことか?」
フローラは楽しそうに頷く。
「俺、お前らと一緒にあの小屋に残らなくて本当に良かった……」
そんな会話を聞きながらウィンがちらりとシルヴィーを窺うと、彼女も盗み見るようにこちらを見ていた。目が合った。
「ずいぶん賑やかな旅路になりましたね」
珍しく、彼女の方から口を開いてくれた。
「ほんとに」
二人で顔を見合わせて笑いながら、ウィンは、ラスクが帰ってきても、仲間が増えても、こんな雰囲気でいられればと願わずにはいられなかった。