第二部 第一章「のちに彼はかく語りぬ」④
「それはそうと、お前、ウィンに手を出してないだろうな」
しばしの穏やかな沈黙のあと、頃合いを見計らってロディはそう尋ねた。
聞こえなかったのか意図が分からなかったのか惚けたつもりなのか、目の前の男は首を傾げて見せた。
顔が引き攣っている。惚けるならもう少しましに惚けてほしいものだが。
気まずいです、答えたくありませんという雰囲気が全身から漂っていて、これではむしろ手を出したと言っているようなものだ。
じとりと睨んでやると、ついっと視線を逸らされた。
いやいや、お前、女たらしで通してたはずじゃなかったか。お尻の青いガキじゃないんだから。
妹を奪った憎き男の、年甲斐もなく少年のような姿に、思わず、はあ、とため息が出る。
と、それに余計に焦ったのか、セディアが慌てて口を開いた。
「彼女が嫌がることは」
ほう、言い訳でもしようというのか。
「してな……」
しかし、言い募る途中で、彼は何かに思い当たったかのように言葉を切った。
「して、な、い?」
記憶を探るように、視線が上の方に泳ぐ。
嫌がることをした心当たりがあるということだな。これは。
完全に墓穴を掘ったセディアを、ロディは呆れながら眺めた。無表情を貫こうとしているようだが、微妙に変化する眉と口元を見れば、記憶を辿っていることは明らかだ。その時のことを思い出しているのだと思うと、無性に腹が立つ。
「お前、それ断言できないのってなかなか最低だぞ」
声に思いっきりげんなりした気持ちを乗せてそう言ってやると、セディアは記憶の旅路から帰還したようで、
「いや、いやでも」
と言いながら、見る間にその顔が真っ赤になっていく。
「きちんと、話をしてる。半年もあったんだ、いろんなことがあった。その中で、たくさん話をして、一緒に生きていくためにお互い頑張ろうって決めたんだ。これまで全く別の道を生きてきたから、すぐには分かり合えないこともある。だけど、大丈夫」
準備してきた言葉ではないのだろう、考えながら話すその言葉は、格好は良くないが、素直な気持ちのように聞こえた。
しかし、
「大丈夫、ねえ」
それだけで大丈夫と言い切られるのはいささか不満だ。
「今回お前は一人でここに来てるが、ウィンはそれに納得してるのか?」
「え?」
「お前一人を危険な目に合わせて、自分は安全なところで待ってるなんて、ウィンが好むと思えないんだが」
「そこは、納得してもらった。俺が筋を通したいからと」
まだ頬に赤みを残しながらも、真面目な目をしてセディアが頷いた。
しかし、ロディの口からは、はあ、と先程を上回るため息がこぼれた。
お前は何も分かっちゃいない。
「今朝発ったのか?」
「いや、昨日の朝だ。明日には帰るつもりだが」
今度こそ、セディアの答えにロディは足を止めて頭を垂れた。吐けるだけの息を全て吐き出した後、ロディは覚悟を決めた。
「行くぞ」
勢いよく顔を上げ、そう言うや否や踵を返して歩き始めた。
「どこへ?」
セディアが背中に問いかけてくる。分かってもらわないと困るのだが、説明している時間が惜しい。
「お前らが拠点にしてる所へ。今頃ウィンがどんな気持ちでお前を待ってるか、想像できないのか」
「え?」
「馬を借りるぞ。道案内しろよ」
*
「ちょっと、ちょっと待てよ」
突然の早足に、セディアは慌てた。
「帰るってことか?今日中に?俺、馬使う金持ってないぜ」
足を止めないまま振り向いたロディは、なかなかの嫌悪感に満ちた目でこちらを見た。
「金は出してやる。早く帰ることが先決だ」
さらに進行方向に向きを改めてからも、
「聞きたいことはいろいろあるが、とにかく今は急げ。陽が落ちるまでに、ウィンに顔を見せてやれ。話はあとから聞く」
街の駅舎で馬を借りた。二頭だと馬鹿にならない金額だが、ロディは躊躇うことなく支払った。護衛業は順調ということか。あるいは、二人乗りは何が何でも嫌だということか。
歩くと一日掛かりだった道中も、馬だと一刻ほどで着く。目的地に一番近い駅舎に馬を預け、あとは徒歩で半刻ほどだろうか。
すでに陽はずいぶん長くなっている。この調子なら、まだ夕方までは間がある時間に村に着けるだろう。
そう告げると、ひたすら先を急いでいたロディの歩調が少し緩んだ。
「この先の村か」
「ああ」
「海には出なかったんだな」
「最初はそのつもりだったんだ。海に向かいながらあんたの足跡を探りつつ、手下を集める。だけど、途中でそれらしい噂を聞いたもんだから」
「途中の村に滞在して、俺を探しに来たってことか?」
「ああ、そうだ」
そう答えながら、ロディの声音に少し不服の色を聞き取った。
「何か問題があるか?」
「あるな」
ロディは前を見たまま、足を止めずに言った。