第二部 第一章「のちに彼はかく語りぬ」①
「よお」
待ち人が来たはずなのに、俺は最初、誰から声をかけられたか分からなかった。それくらい、彼の雰囲気は変わっていた。
「どこのならず者かと思った」
にこやかに迎える相手ではない。だから俺は、初手として憎まれ口を叩いた。だがこれは本音でもある。いつの間にこの男は髪を短くしたのだろう。
この国では長い髪を束ねるのが普通で、短髪は野盗や地方のならず者くらいしか見かけない。見かけないはずなのに、最近俺の周りには妙に短髪の人間が多い。
「遅かったな」
続けて率直な感想を述べると、青年はその整った眉をひょいと上げて、
「やっぱり、待ってたのか」
と、こちらを観察するような目で見た。
「まあな。しかし」
そう言って、こちらも彼をじっくりと見る。
「腹立つくらい晴れやかな顔しやがって」
憎まれ口その二だ。本音その二でもある。別れる前に見たこの男は、もっと厳しい顔をしていた。張り詰めていた。
「そうか。そうだな」
青年は、少し照れたような顔で笑った。その表情も、以前の彼がすることのなかったものだ。
「ひとりか?」
「ああ」
「律儀だな」
彼が誰も伴わずにここに来た理由は、言われなくても分かっている。話を、聞いてやらねばなるまい。
「俺の担当は昼までだ。もうすぐ交代が来るから、その辺で待ってろ」
「それは……」
「大丈夫、今のお前には、誰も気付かないさ。髪型だけじゃない、表情が違うからな」
戸惑う目の前の男にそう言ってやると、彼はふっと笑った。いい笑顔だ。その笑顔だけで、彼にとってこの一冬がどんなものだったか、説明されなくても分かる気がした。
満開だった桜が散り始めようかという時期だった。水は温み、風は和らぎ、空気にはどこか甘さが含まれていた。
そんな中を、川原に降りていった。
川というほどの川でもない。めだかや源五郎くらいしかいないような小川だ。川沿いに植えられた桜から散った花びらがくるくると流れて、川の流れの機微を教えていた。
ささやかなその命のたまりが、俺は好きだった。
穏やかな春の陽だまりに、青年は佇んできた。穏やかで優しげな笑みを浮かべて、舞い散る花びらを眺めていた。
その様子は、まるで一幅の絵のようだった。
こちらに気付いた彼はひらひらと手を振った。彼が動けば絵は崩れるものと思っていたが、動いてなお、その風景は芸術性を保っていた。
そこに踏み込むのは無粋な気がして、しばしそのまま青年を含む風景を見守る。すると、彼は怪訝な表情を浮かべて立ち上がりかけた。
そこに至って、俺はその美しさを守ることを諦める。
風景の中に歩み入り、彼の隣に腰掛けた。
長いことずっと、憎み続けていた男の隣に。
しばし、ふたりで黙って川面を眺めた。
用があるのは、この男の方だ。だから、彼から話を切り出すのを待ったのだが、青年は一向に口を開く気配はない。何から話すべきか、迷っているのかもしれない。
彼の立場を鑑みると、確かに話出しにくかろうと気付く。なぜなら、俺はかつて彼を拒否し、彼の元を去ったのだから。一度は拒絶された相手を口説き落としに来たこの男が、慎重になるのは当然かもしれない。
「腹減った。飯を食いに行こう」
無粋な話になるだろう、この風景の中で、そのような話をしたくはなかった。
「飯?」
彼は鸚鵡返しに聞き返す。
「食ったのか?」
「いや、まだだけど」
「この辺の労働者が食いに行く食堂があってな、なかなかうまいんだ」
彼の眉が寄る。人混みに出ていくのを躊躇っているのだろう。なにせ、この男はお尋ね者だ。首を取って然るべきところに持ち込めば、一生遊んで暮らせる金が手に入るだろう。
「大丈夫、さっきも言ったが、下手なことを言わない限りばれないさ。堂々としてろ」
納得したのかしないのか、青年は諦めたように立ち上がる。
ほんの半年前までは、歩み寄ることなど考えたこともなかった男と連れ立って、俺は馴染みの飯屋を目指した。
お久しぶりでした。
当面、週に1〜2回を目安に更新予定です。