表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻の書  作者: こばこ
100/129

第十八章「選択」⑥

「セディア!」

 その瞳が閉じると同時に身体から力が抜け、彼はぐったりと地面に横たわる。

「セディア!セディア!」

 呼びかけながら、身体に染み付いた動作で脈をみる。首元に手を当てようとマントの結び目を外して、ウィンは気付いた。

「すごい熱……」

 頬は雨に濡れて冷え切っていたが、衣服に隠れた部分は燃えるように熱かった。首筋に触れる。脈が弱いのは気のせいだろうか。

 かかえて小屋に運びたかったが、ウィンの腕力では到底かなわない。

「ラスク!フローラ!……シルヴィー!助けて!みんな、シルヴィーに伝えて!」

 さわさわと森が鳴いたような気がした。

「セディア、しっかりして」

 せめてもと、水たまりに浸かった彼の顔を膝に乗せ、手拭いで顔を拭いた。ウィンは、持参したマントを傘のように掲げ持って、彼に注ぐ雨を遮った。そして、もう片方の手でぐっしょり濡れた彼のマントを外した。太ももに、セディアの熱い体の重さがかかる。それ以上にできることは彼女にはなかった。

「誰か、誰か助けて」

 セディアを庇っているせいで、ウィンの背中は雨にさらされている。彼の顔を載せた脚も、半分は水たまりに浸っている。寒い。こんな中で自分を待ち続けていた彼の苦しみを、今更ながら痛感していた。

 ばしゃばしゃと、雨水を踏む足音が聞こえた。小屋の方からだ。ロディたちの助けは期待していなかったけれど、もしかして来てくれたのだろうか。

「ロディ!」

 期待に振り向いた彼女の目に映ったのは、傘を被り旅支度をした兄と従者の姿だった。


 *


「ロディ……?おにいちゃん……?」

 助けに来てくれたのではないことは、一目で分かった。まさか、まさかと言葉を継ぎたいけれど、恐ろしくて声にならない。

 ロディは諦観の眼差しでウィンを見つめていた。その彼がゆっくりと口を開いたその時、ウィンの背後から激しい物音がした。

「お兄様!お兄様!」

 フローラがなりふり構わない様子でセディアにむしゃぶりついた。膝が水たまりで濡れた。

「お兄様っ」

 そしてウィンの方をきっと睨みつけたあと、

「ラスク!」

 と叫んだ。

 呼ばれるまでもなくセディアの横に駆けつけたラスクは、

「すぐに身体を温めないと。小屋に運び込もう。手伝え」

とウィンを仰いだ。しかし、ウィンの目はロディに固定されていた。

「おにいちゃん」

 ウィンが繰り返した。

「こいつらを呼んだな、ウィン」

 フローラたちを見ながら、ロディは静かな声で言った。穏やかな表情だった。

「来る頃だと思っていた」

 そして、兄は再びウィンに向き直った。

「ウィン、お別れだ」

 ウィンはふるふると首を振る。ロディは目を細めてその動作を見守ってから、妹から視線を外した。

「ラスク、小屋は火を焚いていて温かい。湯も沸かしてある。好きに使え」

「お、おう」

「シルヴィー」

 呼びかけられた巫女は驚いて目を瞬いた。

「雨の中すまないが、森の出口まで連れて行ってくれないか。出る方は適当に歩いても出られるのかもしれないが、危険は犯したくない」

「いや!シルヴィー、だめ!」

 セディアを膝に乗せたまま、ウィンが叫ぶ。シルヴィーは困惑したように二人を見比べる。

「シルヴィー、だめ!」

「シルヴィー、連れて行ってあげなさい」

 二人の声が重なった。フローラが、今まで聞いたことのないような厳しい声を出していた。

「行けないのなら海の女神から命令してもらうわ。でも、そんな必要はないでしょう?

 ロディとその人を、森の外に案内してきなさい」

 シルヴィーは、静かにうなずいて目で二人を促した。ロディもうなずいて、ウィンには一瞥もくれず、歩き出した。

 ウィンの知らない道だ。大地の憑座の力では、自分の通ったことのない道を辿ることはできない。今追わなければ、本当に一生の別れになるかもしれない。

 ウィンは思わず立ち上がろうと腰を浮かせた。と、膝の上のセディアの頭がぐらりと揺れた。慌てて手を出したが、意識のないその頭は無常にも水たまりに向かった。ラスクの差し出した手も間に合わなかった。

 バシャンと嫌な音が響いた。


 ラスクがセディアの頭の下に腕を差し入れ、水のたまった地面から距離を取る。

 ウィンが顔を上げたときには、ロディたちは木々の向こうに姿を消していた。

「おにいちゃん……」

 そう呟いたのとほぼ同時だった。

 ぱん!と音がして、またウィンの右頬に衝撃が走った。呆然として平手の主を仰ぐと、涙に顔を歪めたフローラが、ウィンの頬を張ったままの姿勢で彼女を睨みつけていた。

「あなたは何をやってんのよ!」

 およそ彼女らしくない乱暴な言葉と態度で、フローラはウィンに掴みかかった。

「お兄様がこんなになってるのも、ロディが出て行ったのも、ぜんぶあなたが選んだことの結果でしょう!いつまで自分を可哀想がってるの!自分の選択に責任を持ちなさいよ!」

 そう言って中腰のウィンをセディアの横に押しやった。ウィンは半分転ぶようにセディアの横の泥水に座る。

「何もかも自分の思い通りになんてならない!あなたはお兄様を選んだんでしょう!じゃあ何があってもお兄様を選んだことを貫きなさいよ!お兄様にもロディにもそばにいてほしいなんて、甘ったれるのもいい加減にしなさい!」

 今日だけで二回張られた頬を真っ赤に腫らして、ウィンは俯いた。水に濡れて黒さを増したその髪から、ぱたぱたと水滴が落ちる。

 項垂れたまま、誰の顔を見ることもできず、ウィンは、

「ごめんなさい……」

 と蚊の鳴くような声で呟いた。

「謝ってもらわなくていいから、さっさと手を貸せ。こいつ本当に死んじまうぞ」

 ラスクがぶっきらぼうに言う。ウィンは黙ってうなずいて、ラスクと共にセディアの冷え切った身体を小屋に運んだ。

 樹海の奥の奥、池のほとりの粗末な山小屋。まもなく本格的な冬を迎えるこの地に、まだ幼さの残る五人が残された。



 《第一部 完》

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ