073 レーベルク防衛戦(16)
日も徐々に傾き、黄昏時に差し掛かろうとした頃、恭兵は作戦会議を終え、渋顔から指示された場所に単独で来ていた。今回の恭兵の持ち場となる南大門の城壁上に設置されている物見やぐらだ。
活動拠点によれば、禍獣が城塞都市に到達するまで残り三十分。指示された場所には、現地工作員により、防衛作戦の準備がすでに整えられていた。
「……な、なんで、こんな事に……」
恭兵の独り言は、誰にも届くことなく、風に吹かれて消えていく。準備自体は、問題なく終わっているのだが、別の問題が発生し、恭兵の頭を悩ましていた。
「絶景ですわねぇ! この街に、こんな処があるなら、もっと早くに来たかったですわ!」
「……そ、それは良かったですね……」
今から大規模侵攻の防衛作戦が始まる、独特の緊張感の中、華やいだ声が物見やぐら内に響き渡る。その声の主は、最近出会った中では、関わりたくないナンバーワンの【シェリル・ニューウェル】。扱いを間違えれば暴発する爆弾に、恭兵はどう対象するべきなのか悩んでいた。
「ロロも、そう思うでしょ?」
「はいっ! お嬢様の仰るとおりです!」
(このおっさんッ! なにが『仰るとおり』だッ!)
お嬢様の問いかけに、上機嫌に応えるのは【ロロ ・ヴェルレー】。その態度としゃがれた声のギャップが、より恭兵の苛立ちを高める。リリーのロロに対する苛立ちに共感を覚えた恭兵は、一刻も早く、お嬢様に立ち去って欲しかった。
「これも“キョウヘイ様”のお蔭ですわね! ありがとうございます」
「……お、お役に立てて、何よりです……」
(なんで、普通に話しかけてくるんだよッ! 空気読めよッ!)
早く立ち去って欲しいが、相手が元貴族とあっては、下手な事は言えない。貴族なんて人種に、接したことが無い恭兵は、つい先程も突然訪問に困惑していた中、お嬢様の言うとおりにしたら、危うく首と胴体が離れ離れになるところだった。
その為、下手を打てば、『打ち首されかねない』という恐怖から、当たり障りのない対応を心がけていた。
そんな恭兵の思いを見透かしてか、一向に立ち去る気配を見せないお嬢様は、どこか加虐性を感じさせるテンポの良い口調で、グイグイと会話を推し進めてくる。
「どうされましたの? 浮かない顔ですわね? こんな絶景を前にして、何か不満でも御座いますの? 不満を溜めると体に良くないですわよ? そうですわ! 私、腕の良い医者を存じています! ご紹介いたしまし――」
「――この状況のせいだよッ! ………………な、なんで、“お嬢様”がこの場所に、いらっしゃるんですか?」
恭兵のツッコミ気質を知ってか、知らずか、仕掛けてきたお嬢様の罠に、まんまと乗せられる形で、思わずツッコミを入れてしまった恭兵は、『しまったッ!』と後悔したが、時すでに遅し。ならばと、この勢いで、この場にいる理由を聞き出すことにした。
「嫌ですわ、先程のように“シェリル”とお呼びください。キョウヘイ様」
そんな恭兵の思惑など、知らぬとばかりに、恭兵の質問をはぐらかし、小首を傾けて、微笑むお嬢様。見る人が変われば、可愛らしい女の子に見えるかも知れないが、恭兵にとっては、悪魔のようなあざとい微笑みだった。
テンポの良い会話とツッコミを待っているかのような言動や態度に、もはや恭兵が止まれる材料などはなかった。
「――さっき、そう呼んで、死にかけましたよねッ?! そこの護衛さん、恐すぎなんですけどッ!? なんですか?! 即死系の罠ですかッ!? 大体――」
発端は、物見やぐらに来てすぐ、お嬢様が放った『私の事は、親しみを込めて、“シェリル”とお呼び下さい』だった。そう言われた恭兵が、素直にシェリルと呼んだ瞬間、お嬢様を避けながら、居合抜きのような見事な抜刀を見せたロロ。彼が言うには、恭兵の首に虫がいたので、追い払うために、抜刀したとのことだった。恭兵は、子供でも分かる嘘みたいな言い訳を聞き、自身の首に手を当てたまま、固まってしまった。
そんな状況を産み出したにも関わらず、ニコニコと笑みをたたえていたお嬢様の小憎たらしい顔を思い出し、溜まったストレスを爆発させた恭兵は、その物理的な恐怖の元凶をすっかり置き去りにして、気持ち良くツッコミ続けていた。
「――貴様ぁ!! お嬢様に対して、なんたる態度だ!!」
「――ヒィ!? す、すみません!」
しゃがれて、ドスの効いた怒号が恭兵に放たれる。今回は、抜刀された剣が喉元に突きつける形で、止まっていた。勢いで、誤魔化せると期待した恭兵が悪いのだが、短い時間で、二度も命の危機にさらされるのは、不憫としか言えない。
「ロロ、良いのです。キョウヘイ様は特別な存在なんですのよ?」
フフフフと笑いを押し殺したあと、振り返り、後ろのロロを諫める。一見すると恭兵を庇っているような言動だが、火に油だった。怒りで震える剣先は、すぐにでも、恭兵の首皮を切り裂きかねないほどだった。
「貴様ぁ!! お嬢様に何をした!? 洗脳だなッ?! 洗脳したのだなッ!!」
「――し、してないです! 断じて、洗脳なんてしてません!! 早く剣をしまって下さいッ!」
流石に、これ以上は拙いと、必死に懇願するが、ロロに、恭兵の言葉など届くはずもなかった。本来であれば、見事な土下座を披露したい所だが、突きつけられた剣のせいで、動くこともままならない。
「そうですわよ? これは運命の出会いなんですよ! ねぇ、キョウヘイ様?」
八方ふさがり状態の恭兵を尻目に、とどめを刺すがごとく、お嬢様から、この場で放てる最狂の一手が繰り出された。
「――なッ! ……オマエ、コロス!!」
「――や、やめて下さい! お嬢様! 本当に殺されちゃう!」
「ふふふ……」
「――いや、笑い事じゃないからッ!!」
美狂姫。リリーが言ったお嬢様の通り名だ。恭兵は、その名から加虐性を持った美しい令嬢なのだろうとは、考えていたが、逃げ回っている恭兵の姿を大きな目で捉えながら、笑うお嬢様を見て、『やっぱり、関わらなければ良かった』と後悔しながら、剣を片手に追い掛けるてくるロロから、必死で逃げ回っていた。
「ハァ……、ハァ……、ハァ……」
(これ以上、相手のペースに乗せられたらダメだ)
数分間は続いただろうか。なんとか、ロロの追撃を逃れた恭兵は、乱れた息を整えながら、気持ちを切り替えることにした。
「フゥ…………」
――パンッ!
恭兵は、自身の顔を両手ではたき、『よし!』と気合いを入れ、お嬢様をここから追い払おうと声を上げた。
「お、お嬢様、そろそろ、帰っ――」
「――ところで、初めて見る道具ですね? これで、攻撃するのですか?」
お嬢様が興味を示したのは、現地工作員が物見やぐらに設置した武装。GGFの中では、拠点防衛フェイズでのみ、使用可能な固定兵器だ。
「………………」
仕切り直し、主導権を握ろうとした矢先、出鼻を挫かれる形となった恭兵は、今更な質問にどう答えるべきか悩んでいた。悩まされている時点で、また、相手のペースの乗せられているのだが、それどころではない恭兵は気付いていない。
「どうしました? お答え頂けないのでしょうか?」
長く続いた沈黙が、正解と認めているようなものだが、考えるても答えが出なかった恭兵は、話題を変えて、誤魔化すことを選択した。
「…………も、もう、本当に帰ってもらえないですかね? もうすぐ始まるんで……」
「あら、お邪魔にはなりませんわよ? となりで見てるだけですもの」
「い、いや、充分にお邪魔なんですが……」
「――貴様!! お嬢様を邪魔者扱いするとは、許せん!!」
「ヒィ!? す、すみません!」
今回は、剣を突きつけられる前に、フライング土下座に成功した恭兵は、何度も頭を地面に擦りつけていた。
「……が、帰ることには賛成です。お嬢様、ここは危険です。屋敷にもどりましょう」
最上位の謝罪をしている恭兵を見下ろしながら、発言を肯定しているロロを『……えッ?』っと見上げる恭兵は、それなら、突きつけた剣を引いてほしいと心から願っていた。
取っているポーズは正反対だが、思いは一致している二人からの視線に、笑いを堪えるように、少し俯いたお嬢様は、悪戯を思いついた少女ような仕草で、喋り始めた。
「でも、“私の目”には、ここが一番安全だと――」
「――お嬢様ッ!! ダメです! 戻りましょう!」
慌ててお嬢様の発言遮るロロを見て、嬉しそうに笑うお嬢様。どうやら加虐的な性格は、味方も対象としているようだ。
(……私の目ねぇ。ひょっとして、ブロルさんみたいな特殊スキル持ちかなぁ? それで、名前を当てられたのかなぁ? ……いや、今はとにかく早く帰って欲しい……)
ロロがお嬢様の発言を遮ったせいで、逆に“私の目”が印象に残ってしまった恭兵だったが、考えるのも面倒だと、二人のやりとりを見ながら、ため息を吐き出していた。
「――あぁん、もう! 引っ張らないで下さい! ちゃんと自分で歩けますぅ! では、また、お会いしましょうねぇ! キョウヘイ様――」
結局、大規模侵攻まで、残り十分となるまで、居座ったお嬢様。最終的には、主君の後ろ襟をつかんで引きずっていくロロに対し、『最初っから、実力行使すれば良かったのに』と思いながら、ドップラー効果でも発生させそうな声を上げるお嬢様を残念な気持ちで見送っていた。




