071 レーベルク防衛戦(14)
ギルドから出て行ったシェリルの背中を見送った恭兵は、リリーのシェリルへの対応に、抱いた疑問を聞いてみることにした。
「……あ、あのお嬢さんに、怨みでもあるんですか?」
「えぇ?! キョウヘイさんは、世間に疎い人?」
恭兵の質問に対して、信じられないものを見る目に変わったリリーから、逆に質問されてしまい、慌てて謝罪を口にする。
「す、すみません。あ、あの人は、有名人なのですか?」
驚かれたことに、ばつが悪い気持ちになった恭兵だったが、リリーの発言から、お嬢様が有名人だと考え、“聞くは一時の恥“とばかりに、躊躇いがちながら、さらに質問つづけることにした。
「マジっすか?! ……あっ、迷い人か。それなら知らないのも仕方ないっすね」
先ほどよりも、驚いたリリーだったが、恭兵が迷い人であることを思い出し、一人で納得していた。
「超有名人っすよ。悪い意味で。あんなのでも、一応、“公爵令嬢”なんすよ、あの人」
(“公爵令嬢”っ!? 現実世界では、爵位のトップだったはず……。異世界でも、同じなのかなぁ?)
「……き、貴族ですよね? あんな態度をとって、大丈夫なんですか?」
予想以上の大物に、平然と憎まれ口を叩いていたリリーに釣られて、恭兵自身も、軽くあしらう扱いをしてしまった事を後悔していた。
ただ、異世界の貴族事情は分からないので、ひょっとしたら、民間人との距離感が近い可能性もある。そんな淡い期待に縋るような思いは、実ることはなかった。
「普通なら、拙いっね。“陰湿なイヤがらせ”を受けるっすよ――」
(どうやら、異世界の貴族も、現実世界と同じくらいの権力を持っているみたいだなぁ。こりゃ、拙いかも……)
「――こっからは、ちまたの噂っすよ。何でも、親兄弟を殺したとか、婚約者の浮気相手をイジメていたとか、芸術にしか興味がないとか……。ついたあだ名が、美狂姫っす」
噂話と前置きして、話し出したリリーは、先ほどと同じような嫌悪感が全面に出ている表情をしていた。
(そういえば、さっきも美狂姫ってところで、嫌そうな顔をしていたなぁ。あんまり、良い意味じゃないとは思っていたけど、シェリルさんとリリーさんの間で、何か因縁があるのかなぁ?)
「な、なるほど……随分と過激な噂ですね」
疑問はあったが、深入りはしたくないとの思いが勝った恭兵は、リリー自身については、聞かないことにし、当たり障りのなさそうな返答をしていた。
「実際に、あのお嬢さんの親兄弟は行方不明で、領地は没収、お嬢さんは、ここに追放っすよ。公爵家は取り潰し目前って話っす」
噂話は、全くのデマではないようで、シェリルの家族が行方不明になっているため、様々な憶測が広がっているそうだ。
(昨夜の襲撃犯と関係があるのかもしれないなぁ。麻酔弾で眠らせたから、事情聴取出来てるよな?)
昨夜、襲撃を受けたことは、リリーも知っていた。しかし、その襲撃を行方不明と関連付けてはいないようだ。
(情報操作されているのかもなぁ。貴族なら情報操作も慣れてるのかも……)
「まぁ、親兄弟を殺したってところは、信憑性は低いっすけどね。あっ、婚約者の浮気相手をイジメていたってのは事実っす」
世間一般より、シェリルと近い関係にあるリリーは、何度か探りを入れたが、曖昧な答えで誤魔化されているらしい。はっきりと認めたのは、イジメていたことだけらしいが、それが世間から嫌われる一番の理由だそうだ。
「そ、それは同情の余地がありそうですけど……」
現実世界に当てはめて考えれば、浮気相手に対しては、ある程度の報復は仕方ないと世間は考えるはずだ。しかし、リリーの口ぶりからは、シェリルが世間から、かなり嫌われているような印象を受ける。
「イジメた相手が五十年ぶりの“聖女様”っすから。同情なんてされなかったんすよ」
「せ、聖女様?」
「そうっす。聖女様……は、分からないっすよね。えーと、“教会”が所有する“聖杯”を使える人が、聖女様っす」
リリーは、迷い人である恭兵に、分かりやすいように、説明してくれているのだろうが、次から次へと、新しいワードが出てきたため、恭兵からすれば、疑問だらけだった。しかし、色々と聞くチャンスではあったので、逃さないように、聞き込むことにした。
「きょ、キョウカイ? 精霊協会の事ですか?」
「いや、シュヴァイ教会っす。正式には、“シュネーヴァイス聖教会”だったと思うっす」
“シュネーヴァイス聖教会”は、異世界では、ポピュラーな宗教らしく、全体の三割くらいの人が信仰しているらしい。現実世界でいえば、キリスト教くらいの規模だ。“教会”といえば、“シュネーヴァイス聖教会”のことを指すらしい。
「な、成る程。そこに聖女様がいらっしゃると……聖杯が使えると何が凄いのですか?」
「“聖杯”は、枯れた土地を癒やすことが出来るんすよ」
“聖杯”は、使用者を選ぶ魔導具で、禍獣により、汚染された土地や、痩せた土地を回復させることができる希少な魔導具らしい。最後に使用者が現れたのは、五十年前のため、聖女様が見つかった時は、お祭り騒ぎだったようだ。
同じような効果を持った魔導具は、もう一つ確認されてはいるのだが、簡単に使用できるようなものではなく、歴史上、一度しか使用されたことがないらしい。そのため、現在は、聖杯が土地を回復させる唯一の手段となっている。
「なので、“シュネーヴァイス聖王国”にとっては、最高の切り札になってるんすよ」
「しゅ、シュネーヴァイス聖王国?」
「あっ! 分からないっすよね。北にある宗教国家っす。ウチの国とは、同盟関係にあるっすよ。その国教が、シュヴァイ教なんすよ」
リリーによれば、グリューエン王国とシュネーヴァイス聖王国は古くから同盟関係にあり、それを維持のために、王族に連なる者がそれぞれの国に、遊学する風習があるのだが、現在、シュネーヴァイス聖王国からは、王族の代わりに聖女が遊学に来ているそうだ。
これも、伝統らしく、聖女が誕生した場合は、王族よりも優先されるそうで、それくらい聖女というのは、地位が高いらしい。
「と、土地の回復って、そんなに需要があるんですか?」
「そりゃ、そうっすよ! 禍獣の発生率を大幅に下げてくれるっすから。農作物にも効果があるらしいっすよ」
聖女不在の五十年で、人間の生存圏は、約二十パーセント減少していた。これにより、まず、土地の価格が上がり、その影響で、農業地減少に拍車がかかり、食料品が高騰した。それに釣られるように、生活必需品などの様々な品物も値上がりしていった。
もっとも、様々な価格の高騰は、農業地域の減少だけが原因ではなく、流通の混乱も大きな要因となっていた。
昨日まで、安全に通行出来ていた街道に、禍獣が出没したり、住む家や職を失った人々が野党になったりと、治安の悪化が進んだ事で、護衛を増やしたり、遠回りを強いられ、価格が高騰していったそうだ。
そんな中、人の生存圏を拡大させることが出来る、唯一の存在である聖女が出現したのだ。人々からの期待は大きかったのだろう。
「な、なるほど、聖女様は、人気が高そうですね……。その聖女様が浮気……普通、聖女様って清廉潔白なんじゃ……」
恭兵のなかでは、聖女というのは、神に身を捧げているため、婚約者のいる男性と恋仲になるのは、違和感があった。
「まぁ、聖女って言っても人間っすから。いわゆる純愛ってやつで、第一王子と駆け落ち寸前までいったって噂っすよ」
どうやらシェリルは、未来の王妃候補だったらしい。それを他国の女性に奪われたのであれば、いくら相手が聖女様として、崇められていても、『聖女憎し』となることは、仕方ないと同情する人が、一定数、存在しそうなものなのだが、世間に嫌われているのは、シェリルだけのようだ。
「で、でも、それなら、なおさら、同情されそうなもんじゃないですか?」
「最初は、同情する人間もいたんですけど、いじめの内容が、あんまりに非道いから、内部告発があったらしいっすよ。内容知りたいっすか?」
「へ、へぇ~……遠慮しときます」
結局のところ、“聖女様に奪われた公爵令嬢”という話題性で、同情を集め、その後の“非道な行い”で、世間から嫌われたと言うのが、これまでの流れらしい。一度、高まった同情心が余計に、嫌われ度を高めているようだ。
「その方がいいっすよ。そんなこんなで、あのお嬢さんは、“国民の敵”って感じで、国中から嫌われてるんっすよ。もう、いいっすか? 早く行くっすよ」
「は、はい、よろしくお願いします」
これ以上は、話すのも嫌だと言わんばかりの表情で、ギルドホームに向けて、歩き出したリリー。その後ろを追いかける恭兵は、『“今は”失礼させて頂きます』と言った時のシェリルの顔がよぎり、『きっと、また絡まれるんだろうなぁ』と嫌な予感から、リリーと同じ表情になっていた。




