003 裏世界っぽい?(3)
玄関の小窓から朝日が差し込んでいる。その光が土間に乱雑に積み上げられている靴達を照らしていた。お世辞にも整理されているとは言えない。きっと、玄関の設計者が見たら、ガッカリする光景だろう。まぁ、独り暮らしの玄関なんて、そんなものだ。
この光景を生み出した張本人である恭兵は、玄関からリビングにつながる廊下に置いてある、パッキング済みの背負い袋を見ながら、満足げな表情を浮かべていた。
「うむ、我ながら、完璧なバックパッキングだ」
ソロキャンプを始めてから、必要なキャンプ道具が、背負い袋に収まるように、試行錯誤を繰り返してきた。
オートキャンプ場に行く事が多く、車もミニバンなので、沢山の荷物が積める。その為、背負い袋に、収める必要は全くと言って良いほど無い。
ただ、『ソロキャンプに熟れている感じを出したい』という理由だけで、背負い袋に収めることに、こだわっていた。
この影響で、軽量でコンパクトなキャンプ道具への買い換えが必要となり、サイズ違いの機能的には同じような道具が、隣の部屋に眠っている。
「今回は、一泊二日だから、背負い袋一つで、上手く収まったなぁ。……よし、準備万端! 出発しますか!」
朝日が差し込んでいるとはいえ、少し薄暗い玄関を出て、アプローチを通り、エレベーターの前まで歩いていった恭兵。しかし、目の前のエレベーターのデジタル表示部には、『メンテナンス中』の表示が出ていた。
「……まったく、使えなくなるなら、事前に連絡してほしいよなぁ」
恭兵の住んでいるマンションは、ワンフロアに一世帯のみの造りで、駐車場は地下にある。恭兵の部屋は、二階なので、重量を感じる背負い袋担いでいても、そこまで大変な階段移動ではないのだが、意気揚々と出てきたところ、出鼻を挫かれたような気分になってしまい、愚痴をこぼしていた。
「知っていれば、昨日の内に荷物を車に載せたのになぁ」
恨めしそうな目をエレベーターに向けつつ、愚痴りながら、地下駐車場につながる階段へと続くドアから出ると……。
「――え?」
そこは階段ではなく、森だった……。
あまりの出来事に、一瞬の空白が生まれる。そこから、押し寄せる思考の波が、恭兵を飲み込んでいく。
(も、も、も、森!? な、なんで?! 確かに、林間キャンプ場に行く予定だったけども!? ワープ? ワープで、時間短縮したのか?!)
「ラッキーだよね? 時短でラッキーだよね? イェーーイ! ヤホーーーーイ!!」
普段では、考えられないテンションで、声を張り上げていた。完全に混乱していたのだ。無理もない。突然、見知らぬ森に、放り込まれたのだ。
「落ち着こう。……そうだ! 一旦、部屋に戻って、落ち着こう」
そう思い付き、慌てて振り返った先には、エレベーターホールに続くはずのドアが存在していなかった。
「――ドアないじゃん!! ドアどこよぉぉ!」
恭兵が発した魂の叫びが、辺りに木霊した……。もちろん、誰からの返事もない。
「まずい、まずい! 非常にまずい!! こんな何処とも分からん森に放り出されたら、すぐに死んじゃうよ!! 現代人のひ弱さ舐めんなよ!!」
もちろん、いきなり、死ぬなんてことはない。仮にも、一泊二日分のキャンプ道具を背負っている。食料こそ少ないが、冬キャンプにも、対応できる自慢の装備品たちだ。だか、混乱状態の恭兵は、誰かのせいにしたいのだろう。
(……いや、ひょっとしたら近くに山小屋とかあって、優しい誰かに拾って貰えるかもしれない。そして、温かいスープを差し出されて、『大変だったね』なんて慰めてもらって、涙するんだ!! 肩なんか抱いてもらってそこからは、もう流れですよ。そして時は流れて、娘の結婚式に参加なんてことになるんだろう)
生物は、生命の危機を感じると、子孫を残そうとするらしい。だが、ここまで想像出来るのは、恭兵の特技いっても過言ではない。まさか、結婚通り越して、子育てまで終わらせているなんて、誰にも想像できないだろう。
(いいなぁ。なんてドラマだこれ? パっと見た感じ、とんでなく深い森に見えるけどきっと大丈夫!! ビバ未来の奥様!!)
ここまで、恭兵の思考時間は僅か2秒。欲望が渦巻く思考から抜け出し、導き出された言葉は……。
「だ、誰かに助けて下さい――――!!」
その瞬間、目の前に“ドア”出現したのだった……。
「――ドア出てきちゃったよっ!」
突然、現れた“見慣れたドア”に困惑しながら、開けようとするが、ビクともしない。
「なんで? なんで開かないの!!」
開かない事に焦りを覚え、ドアノブをガチャガチャと回していると、空中にデジタル表示が出てきた。
『05:58:32』
何かのカウンターらしく、減り続けている。
「…………まさか、“ゼロ”になるまで開けられないのか?」
ゲーム表示のような、非現実的なカウンターを見たせいか、妙な落ちつきを取り戻すことができた恭兵は、改めて辺りを見回してみると、どこかで見た風景だということに気が付いた。
「……あれ? なんか見覚えがある……。昨日のゲームで……」
少し先に視線を向けると、見慣れた人が立っていた。
「あれは、ハイラントか?」
ハイラントとは、恭兵がプレイしていたゲームの主人公で、カスタマイズ機能を使って、恭兵が考える最高レベルの渋い親父に、仕上げたキャラクターだ。
恭兵の厨二病が、ふんだんに盛り込こまれており、片目義眼で、歴戦の戦士オーラを纏った“渋顔”、それがハイラントだ。
いつも操作しているキャラの登場に、安心したのか、無防備に近づいてしまう。
――次の瞬間、恭兵の目に映ったのは、見知らぬ空だった……。
どうやら、いつの間にか、仰向けで倒れたようで、横を見ると渋顔と先生が見下ろすように立っていた。
「す、すみません。これは、どうゆう状況でしょうか?」
返事はない……。
「あ、あの、すみません。聞こえてますか?」
返事はない……。
仕方なく、立ち上がって渋顔に近づこうとすると、今回は、先生がライフルを構える姿が見えた。
――その瞬間、次に見えたのは、“先ほど見た空”だった。
「あれ? これ、先生に撃たれてる?!」
恭兵は、自身が気付いたように、先生に撃たれていた。殆どの場合、先生のゲーム上での役割は、渋顔の護衛だ。その為、渋顔に近付く存在を機械的に排除していたのだ。
「へ、下手に近付くとまた、撃たれるな……」
恭兵は、そっと立ち上がり、渋顔達から、離れるように移動すると、先生は撃ってこなかった。
「麻酔ライフルで、良かった……。これ、麻酔ライフルじゃなかったら、死んでたよね?」
自分が射殺される姿を思い浮かべ、身震いしつつ、他にも危険がないか、辺りを見回してみる。すると、“見慣れたドア”がない事に気付いた。
「――ドアどこいった!? あっ! 出てきた」
慌てて叫ぶと、見慣れたドア出現した。どうやら、一定時間経過すると消えて、思い浮かべると出てくるような仕様のようだ。
ドアノブを回してみると『02:53:31』と表示が出現した。初めに見たときは、『05:58:32』だったことを考えると、約三時間程度、寝ていた事になる。
「これ、ゲームの中だよな?」
近づくと撃たれるため、触ったりは、出来ないが、間違いなく、昨日までプレイしていたゲームのキャラ達だ。
「すみません! あなたはハイラントさんですか?」
離れた場所から、声をかけてみるが、反応はない。
「先生は、喋れない設定だったけど、渋顔は、喋られるはずなんだけどなぁ」
そもそも、恭兵が三時間も寝ていたにも関わらず、渋顔は、まったく動いてないように見える。
「……操作してないから、動かないのかもしれないなぁ」
へたに動いて、敵NPCが出てきたら瞬殺されそうだと考えた恭兵は、ドアカウンターが0になるまで、このままの状態で、待機することにした。
(ここなら、先生が守ってくれるかもしれないしな……)
万が一、敵NPCが出現した場合、渋顔に向かって走って行けば、恭兵自身も先生に撃たれる事になるが、恭兵に近づく敵NPCも撃たれることになるだろう。
「……先生に撃たれて、寝てる間に、天国なんてことが、無いように祈っておこう」
そんな不吉な未来を想像し、振り払うように首を振った恭兵は、祈るような気持ちで、渋顔達を視界にチラチラと収めながら、辺りに対する警戒を高めていた。