お妃様、平手でいいから殴ってくださいっ!
保健室に先生がいないなんてこと、本当にあるんだ。
消毒液だろうか、ちょっとだけ良い匂いを嗅ぎながら、私はそんなことを思った。
「榎本さん、ちょっと染みると思うけど……」
丸いパイプ椅子に座った私に、下から声がかかる。
うちのクラスの保健委員、沙霧咲妃ちゃんの小さな声だった。
体育の授業でずっこけて、膝に怪我をした私を、介抱してくれているのだ。
まだ高校一年になってからひと月も経っていないから、ちゃんと話をしたことはない。
けれど、物静かな様子とか優しい笑顔を見ていると、なんとなく咲妃ちゃんの人となりは知っていた。
いまも、なるべく痛くないように、私の怪我を消毒してくれている。
「いつっ……」
そうは言っても、けっこう派手に転んだため、それなりに傷が深く。
痛いものは、痛い。
私は我慢しきれずに、思わず声を上げてしまう。
「ご、ごめんね……」
咲妃ちゃんが、なぜだか泣きそうな顔で私に謝ってくる。
あれ? もしかして、私、恐がられている?
確かに、女子にしては少しだけ、ほんの少しだけ粗野かもしれないけれど。
「だいじょぶ、だいじょぶ――いっ……!」
手をひらひらと振った衝撃で――いや、私はバカか――咲妃ちゃんの手が傷に触れた。
私が顔をゆがめるのを見たからか、咲妃ちゃんは涙目で私を見上げる。
なんだろう……? なんだか、お腹の辺りがむずむずする。
お腹が空いているというか、なにかが欲しくなるというか。
「ごめんなさいっ、でも、あの、ちゃんと消毒しないと……」
声を震わせながら、咲妃ちゃんが言葉を紡ぐ。
この状況を端から見たら、私がいじめているみたいに見えてしまうじゃないか。困っちゃうな。
「――舐めて」
「え?」
私の言葉を聞いて、咲妃ちゃんはぽかんとしている。
よく聞こえなかったのかもしれない。
「咲妃ちゃんが、私の膝を、舐めて消毒して」
一字一句はっきりと喋ったから、私のお願いはしっかりと伝わっただろう。
そのはずなのに、まだ咲妃ちゃんは唖然としているけれど。
「痛いから、早くしてくれない?」
「えっ、あっ……は、はいっ……?」
じれったくて、キツい言い回しになってしまったが、咲妃ちゃんが我に返ってくれたようだから、まあいいか。
でも咲妃ちゃんは、おろおろと、私の膝の怪我と私の顔を往復して眺めるだけ。
いっこうに、治療してくれる様子がない。
「チッ……」
「っ!」
私が舌打ちすると、咲妃ちゃんは慌てて、顔を私の膝に近づけた。
上目遣いで、さらに潤んだ瞳が、私に向けられる。
また、お腹が変な感じになった。なんだろう、これ。
「あの、本当に……?」
何度も伺いを立ててくることに苛立ちつつ、私は、早くしろという意味を込めて、自分の顎をくいっと動かす。
それを見た咲妃ちゃんは、意を決したのか、おそるおそる舌を出した。
「ぁっ……」
咲妃ちゃんの舌が傷に触れた瞬間、ぴりっと腿に電気が流れる。
それがお腹を回って胸、首を伝って脳に届いて、なんらかの脳内物質を分泌させた。
「……止めなくていいから、続けて」
私が声を上げたから引いていたのだろう、咲妃ちゃんの舌を呼び戻す。
またおそるおそる、咲妃ちゃんは、怪我している私の膝を舐めはじめた。
「いっ……ぁっ、いったぁ……」
「っ! ぁっ、はぁ……はぁ……」
私が多少の悲鳴を上げても、咲妃ちゃんは中断しなくなった。
息をしやすいようにだろうか、口を開いて舌を突き出しながら、私を舐めている。
頭が痺れるような痛みには波があって、それが傷の深さによるものなのか、舌が当たる強さなのか、判断はつかない。
それとは別に、咲妃ちゃんの温かな息が膝を撫でてきて、なんだかくすぐったくて背中がぞわぞわする。
咲妃ちゃんが触れているのは指の先ぐらいの面積なのに、お腹とか頭とか背中とか、いろいろなところがおかしくなってしまっていた。
「……んっ、咲妃ちゃん。あっ、止めないで……?」
離れかけた咲妃ちゃんの頭を、私は両手で掴んで、膝に押さえつけた。
その勢いで、柔らかい唇が私の傷に触れて、じんわりと痛む。
「んぅ、んむむ……?」
「あははっ、なに言ってるかわかんな――痛っ、ぁあ……」
咲妃ちゃんの口から垂れた涎が、私の脚を滴ってくすぐったい。
しばらくの間、保健室には咲妃ちゃんの荒い息づかいだけが響く。
涎が私の踵を濡らすころ、咲妃ちゃんを解放した。
私の膝に押さえつけられて息がしづらかったのだろう、咲妃ちゃんは床にしゃがみ込んだまま、肩を上下に動かしている。
なんだか、痛かったけど、それが気持ちよかった……?
私、えむなのかな。
「ねえ、咲妃ちゃん」
私が声をかけると、咲妃ちゃんはびくっと身体を震わせて、おそるおそるこちらに視線を向けてきた。
咲妃ちゃんの涙で潤んだ瞳で、私の心臓はドキドキと早鐘を打つ。
してほしい、咲妃ちゃんに。
「……咲妃ちゃん、あの、平手でいいから、殴ってくれる?」