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終 夢見る二人

「随分と、呆気ない幕切れだったな」


「不満そうだね、准将」


 煌びやかなシャンデリアが輝く広間の外、室内の光に薄暗く照らされた露台(バルコニー)で、諜報官と魔術師は語り合う。

 方や胸に勲章を下げた軍服姿、方や全体的に黒い印象を受ける貴族の子弟らしい上品な礼服姿。

 大柄で長身な男性と小柄で身長の低い少年は、実に対比的な光景であった。


「国会議事堂の爆破を阻止し、南ブルグンディア宰相の身辺に何も発生しなかったことはよい。王都内の反政府組織を壊滅させたこともよい。だが、我々はヴェナリアの情報調査局の活動を知る術を失ったのだぞ」


「別に、それはまた別の手段で探ればいいでしょ?」にべもなく、リュシアンはファーガソンの言葉を切り捨てた。「そもそも、諜報戦・防諜戦は准将の担当で、どうやってそれを実行するかはあんたが考えることであって、俺の考えることじゃない」


「だからこそ今回、儂は貴様を利用したのだ」


 悪びれもせず、ファーガソンは言った。


「准将、あんたは今回、少し俺たちを都合良く使おうとし過ぎたね」


「ふん、意趣返しのつもりか?」


「別に。姫はどうか知らないけど」


 リュシアンの視線が、大窓の向こうで開かれている夜会の中にいるエルフリードに向けられた。

 今日は前回の夜会とは違い、女性らしいドレスを纏っている。ここへ来る直前まで、本人は大変不本意そうではあったが。

 この日、南ブルグンディア大使館で、迎賓館で開かれた夜会に対する外交的答礼として南ブルグンディア宰相の名において夜会が開かれていた。

 まず晩餐会が開かれ、その後、食後のティータイムを挟んで広間での歓談という流れで夜会は進んでいる。

 そこに、エルフリードもリュシアンも、ファーガソンもモンフォートも参加していた。

 内閣主催の夜会に対する答礼であるため、エルフリードは王族の資格ではなく外相の甥の婚約者という立場で参加していた。


「准将みたいな人間が国家には必要だと思うけど、利用しようとする人間の性格っていうのは十分に把握しておくことだね」


「それは助言のつもりかね?」


「さあ? でも、姫の利益になるなら俺はあんたに協力するだろうし、逆に姫の不利益になることに巻き込もうとしているなら俺はあんたの思い通りに動いてやるつもりはないよ」


「今回の場合は?」


「姫に危ない橋を渡らせた」


「やはり、意趣返しではないか?」


「俺は姫の安全を考えて行動しただけだよ。あんたが勝手に意趣返しと思い込んでいるだけ」


「価値観の相違、というやつか」


「あんたが国家に忠実であろうとしていることは判るし、国家の利益になることは謀略を使ってでも実現しようとする人間だってのも知ってる。俺はあんたにとっての国家を、姫に置き換えているだけだから」


「若造、一つ良いことを教えてやろう」揶揄するような口調で、ファーガソンは続けた。「世の中ではそれを“惚気”というのだぞ」


「そう。だから?」


 ちらりと、リュシアンは視線だけファーガソンに向ける。諜報官による揶揄に、まったく動じた様子はない。


「ふん、まったく揶揄(からか)い甲斐のない若造だ。可愛げというものがない」


「生憎と、そういうものは忘れてしまったからね」


 冗談にしては、あまりに虚ろな口調であった。

 ファーガソンが憐れむような、そして探るような視線をリュシアンに向ける。幼くして人殺しに手を染めた少年に同情しつつも、この諜報官は少年魔術師の利用価値を冷徹に計算しているのだ。そういう人間だからこそ、王室機密情報局長の椅子に座り続けられているのかもしれない。

 リュシアンとしても、エルフリードがどれだけこの男を嫌っていようが、彼との協力関係を断つつもりはなかった。ファーガソンからもたらされる情報は、時としてエルフリードを守るために役に立つ。

 リュシアンは今回、各方面に貸しを作ることに成功している。

 ファーガソンは最終的な結果に不満を持っているようだが、そもそも議事堂爆破の第一報を彼もたらしたのはリュシアンであり、その意味では王室機密情報局に功績を一つ、作らせたことにもなる。

 一方、議事堂爆破を察知出来なかったことで、組織としての面子を王室機密情報局に潰された内務省であるが、リュシアンがクラリスにヴェナリア情報調査局の諜報員の身柄を引き渡したことで、彼らはヴェナリアの王都における諜報網を壊滅させた功績を得ることとなった。

 そして、王都におけるヴェナリアの諜報網を壊滅させたことで、ヴェナリアのロンダリアの反政府組織への支援は難しくなった。これで、ヴェナリア本国の対ロンダリア強硬派が利用出来る手駒を失ったことになる。ヴェナリア内部の穏健派が、一定程度、発言力を増す契機にもなるだろう。そうした意味では、リュシアンは伯父である外相と外務省にも利益をもたらしたことになる。

 特定の派閥に肩入れする姿勢を見せないことで、間接的にリュシアンはエルフリードを宮廷内や貴族間、あるいは官僚組織間の派閥争いから遠ざけることに成功したともいえる。

 いうなれば、彼は「エルフリード派」という派閥に利益をもたらすことに成功したともいえるが、その派閥は実質的にリュシアンしか構成員のいない派閥である。恐らく、周囲の人間からは派閥とすら認識されていないだろう。彼女を利用しようとするファーガソンや軍の人間はいるが、そうした者たちは別にエルフリードを支持しているわけではない。

 純粋な意味で彼女を支持する人間は、リュシアンしかいないのだ。そして、彼はそれで良いと考えている。

 兄である第一王子を蹴落とし、玉座を狙っているエルフリード。

 今はまだ、彼女が野心を露わにする時期ではない。男勝りの軍隊趣味の王女と思わせておけばいいのだ。

 少なくとも、リュシアンはそう思っている。


「……お前たち、ここで何をしている?」


 リュシアンの思考を遮るように、低く、詰問するような声が耳に届く。大窓のところに、エルフリードがいた。

 顔は声から想像出来る通り、不機嫌そうに剣呑な目つきをしている。


「……ふむ。では、儂はこれで退散することとしよう」


 リュシアンに向けて肩をすくめ、ファーガソンは王女たる少女に一礼すると彼女の脇を抜けて大広間に戻っていった。

 エルフリードは自身の脇を抜けていくファーガソンに、心底嫌そうな顔をしていた。

 思えば、今回の一連の事件に際して、彼女とファーガソンが直接会ったのは今回が初めてである。そして、その邂逅は一瞬で終わってしまった。


「あの狐めに、また何か言われたのか?」


「今回の件の文句」


 エルフリードの問いに、リュシアンは端的に答えた。


「王都で活動していたヴェナリアの諜報組織を俺が壊滅させたのが、お気に召さなかったらしい」


「ふん、お前は奴の部下ではないのだ。思い通りに動かなくて当然だろうが」


 エルフリードは露台の手すりに肘を預けるような形でもたれかかった。煌びやかな明かりの満ちる大広間の光景を、つまらなそうな視線で見つめている。


「……やはりこのような場所は性に合わん」


 舌打ちでもしかねない調子で、エルフリードは毒づいた。


「この服も、ひらひらとしていて落ち着かん」


 エルフリードはモンフォート公爵家の侍女たちによって、夜会服(イブニングドレス)を着せられていた。王族として正式に夜会に参加するわけではないので、本人は先日と同じく軍服で向かうつもりだったようだが、流石に連合王国としての面子を考えた宮内省式部職(宮内省の中で王族に関する儀式などを担当する部署。外交式典にも対応するため、職員には外務省出身者もいる)から苦言を呈されてしまったのだ。


「でも、それはそれで似合っているよ」


 貝紫色(ロイヤルパープル)を薄めたような、清冽さを感じさせる薄紫の生地を使ったエルフリードの夜会服(イブニングドレス)

 剣を振るうために付いた肩の筋肉を隠すためか、肩から胸にかけての露出は一般的な夜会服(イブニングドレス)よりも少なかった。首筋から覗く鎖骨とその周辺の白い肌、そして側頭部の髪を三つ編みにして後ろで一つにまとめた黒髪が、少女の女性らしさをわずかながらに演出している。


「……お前にそう言われると、何となくこそばゆいな」


 エルフリードは俯き加減に視線を逸らす。その頬は、かすかに赤く染まっていた。


「……それでもやはり、こんな服装は嫌いだがな」夜会服(イブニングドレス)の裾を摘まんで、彼女はすねたように言う。「自分が女であることを嫌でも自覚させられるし、何より籠の鳥にさせられたような気分になる」


「そうだね。俺も、いつもの軍服姿のエルの方が凛々しくていいと思う」


 素っ気なくも、エルフリードにとってはどこか温かみのある声だった。

 ただ、その言葉に自分はどのように返せばいいのか、彼女には判らなかった。リュシアンの普段の姿とは、“黒の死神”としての姿なのだ。そんな姿を、褒めるわけにはいかなかった。


「……」


 だからそっと、エルフリードは彼の手を握り込んだ。そうすると、リュシアンの方からも握り返しくる。

 しばらく、戯れのように二人で互いの手を握ったり、握り返したりしていた。


「……帰るぞ。私たちは、役目を果たしたのだ」


「ああ、そうだね」


 王都で発生した一連の陰謀と密やかなる二人の戦い。

 それはもう、過ぎ去ったことであった。


  ◇◇◇


 二人をエスタークス家の町屋敷(タウンハウス)まで送り届けたのは、モンフォート家の馬車であった。エルフリードが王族の資格で参加したわけではないので、そうなったのである。


「明日で、私もこの屋敷を引き払わねばならんな」


 名残惜しそうに、リュシアンの私室でエルフリードは言った。

 王都での一連の事件が終結し、彼女があえてエスタークス家の屋敷に逗留する理由もなくなった。正直、侍従や女官たちに(かしず)かれる生活というのは、エルフリードの好みではない。

 だったら、がらんどうに等しいエスタークス家の町屋敷で生活する方が性に合っているともいえた。

 ぽすん、と寝間着姿の少女は寝台に仰向けに倒れ込んだ。


「……なあ、リュシアン」


「うん?」


「ありがとう」


 それは今までの「礼を言う」といったような格式張った口調ではなく、ただ純粋な感情が込められたものだった。それでも、いささか羞恥の含まれた口調ではあったが。


「お前がいてくれなければ、今回の件はどうにもならなかった。私一人では、所詮ただの小娘。やはり無力に過ぎる。だから、ありがとう」


「俺も、君に助けられた。エルが一緒にいれてくれないと、俺も困る」


「ふふ、つくづく、私たちは難儀な人間だな」


 面白そうに、寝台の上でエルフリードは笑いを零す。

 リュシアンもエルフリードも、互いの存在がすでに己の一部として組み込まれてしまっているのだ。今更、一人でいることに耐えられようはずもない。

 今度はリュシアンの方から、そっと寝台に投げ出されたエルフリードの手を握った。互いの体温を、掌越しに感じ合う。


「……お前はまだ、私の行く末を見届けたいと思っているか? 野心と欲に塗れた、この私を」


「昨日も言ったでしょ? 今更だよ、それは」


 きゅっと、互いに握り合う手に力を込める。


「エルこそ、いいのかい? 俺は多分、君との誓いを果たせない」


 素っ気ない口調の中に込められた、リュシアンの悔恨。自分はもう、幼い頃の誓いを果たせるだけの無邪気さを失ってしまっている。

 どうしても醜いと断じることの出来なかった、幼い頃の自分たち。

 しかし、どれだけその輝きを集めても、もうリュシアンはあの頃のようには戻れない。


「愚問だな、それは」


 優しい罵倒が、リュシアンの耳朶を打つ。


「それに、私はもう十分にお前という希望を貰っている。リュシアン、お前はそんなことも理解していなかったのか?」


「……自分でそう考えるには、少し烏滸(おこ)がましい気がするよ」


 リュシアンの口元に、かすかな苦笑が浮かぶ。


「ならば、これからはそう考えろ。それにな、リュシアン、お前が私に対して気に病むことなど、何一つないのだ。それでもなおお前が気に病むというのなら、こう言ってやる」


 はっきりとした口調で、エルフリードは断言した。


「誓いは、果たされなくてもいい。誓いを交わしたという事実さえ残っていれば、私は、それだけで歩いていける」


「そこに、エルが一緒にいてくれるなら」


「ああ、私も、お前がそこにいてくれるなら」


 握り合い、指を絡めた手から伝わる互いの体温が、ひどく心地よかった。この手を、絶対に離したくないと思うほどに。この手を離すのが、怖いと思ってしまうほどに。

 温かくも、どこか硝子細工のような繊細な沈黙。

 やがてその沈黙を破ったのは、エルフリードの方だった。


「……今日は、一緒に寝よう」


 それは、怖がりな幼子の懇願にも似た、儚い声だった。


「ああ」


 そう言って、リュシアンもぽすんと、寝台に身を横たえた。

 二人の手は、まだ繋いだまま。

 寝台の中で、体を互いに向かわせ合う。


「……ああ、これはいいな」


 くふふ、とエルフリードはくすぐったそうに笑う。かすかな恥じらいを含んだ、少女の笑み。それにつられて、リュシアンもかすかな笑みを浮かべた。


「……おやすみ、エル」


「ああ、おやすみ、リュシアン」


 そうして、二人は眠りについた。

 いつかの昔、彼らが神聖な約束を交わしたあの日の夢を見ることを願って。

 ここまでお読み下さり、誠にありがとうございました。

 拙作「王女殿下の死神」は、これにて完結となります。


 全体を通してのご意見・ご感想等ありましたらば、よろしくお願いいたします。


 元々、魔術モノの戦記小説を構想していたこともあり、まだまだ書きたいことは多々あるのですが、ひとまず「王女殿下の死神」としては、これにて完結です。

 作中で言及している国境紛争などの題材を使って、実験的に異世界戦記小説を中編規模で執筆しようとも考えておりますので、機会がありましたらばまたよろしくお願いいたします。


 また、大東亜戦争(太平洋戦争)を題材とした架空戦記小説「蒼海決戦」シリーズも執筆しておりますので、ご興味のある方はそちらもご覧になっていただけると幸いです。


 ここまでのお付き合い、ありがとうございました。

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