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王女殿下の死神  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞


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18 二正面作戦

 魔術師にとって、対魔術師戦とは基本的に己と相手の魔力量の優劣、術の精巧さや相性によって決着がつくものである。

 概ね、体内の魔力量が多い者が優秀な魔術師であり、対魔術師戦は質より量の側面が強い。

 ただし、上位の魔術師になってくると互いの魔力量だけで決着がつくことは少なく、熟練した魔力操作を始めとした魔術式の精巧さが勝負を分けることになる。

 その意味では、ロンダリア連合王国における勅任魔導官は、魔術師の中でも最上位に位置する存在と認識されている。

 その称号を、わずか十四歳にして手に入れたリュシアン・エスタークスは、紛れもなく優秀な魔術師なのだろう。

 特に、対魔術師戦も含めた対人戦闘に特化した魔術師として。






「……何と言うことだ」


 王都の地下に張り巡らされた地下水道を逃走しながら、アンドレイ中尉は(おのの)きながら呟いた。

 喉がひりつき、服のあちこちが焦げ、そこからのぞく肌の一部は火傷によって火ぶくれを起こしている。


「中尉、一体何が……」


 事態の把握が追いつかないのか、オリアーニ大佐はかすれた声で尋ねた。彼は今、アンドレイ中尉の部下である魔導班の一人に肩を支えられなければならないほどの酷い火傷を負っている。早めに治癒の術式を使わねばならないが、まずは逃走して安全を確保することが最優先であった。

 しかも悪いことに、この場にはアンドレイ中尉と部下の魔導士一人、オリアーニ大佐の三名しかいない。

 それ以外の人員はすべて―――。


「燃焼術式です」喉の痛みを抑えながら、アンドレイ中尉は答えた。「直前に捉えられた魔力波長から、リュシアン・エスタークスのものに間違いありません」


 それ以上説明にするには、アンドレイ中尉の喉の痛みは深刻だった。吸い込んだ熱波によって気道をやられているのだ。応急の回復術式で気道火傷による呼吸困難となることは防いだが、喉を完全回復させるだけの時間的余裕がなかった。

 そもそも、ロンダリア外務省にヴェナリア執政府情報調査局の活動が気取られていたことから、オリアーニらは警戒感を強めていたのだ。

 拠点としていたヴェナリア料理店を火災に偽装して焼き払い、地下倉庫の秘密扉から地下水道に脱出する。

 そのはずだったのだ。

 気付いた時には地下倉庫を、強力な燃焼術式が焼き払っていた。

 燃焼術式は換気の悪い地下倉庫の酸素を焼き払い、熱波と爆風で倉庫内の機密書類や魔力探知装置を破壊し、情報調査局の人員を殺傷した。

 アンドレイ中尉は咄嗟に防御用の結界を張ったが、それで助かったのはオリアーニ大佐と部下の一名のみであった。

 恐らく、相手は王都中心部で被害範囲が大きくなる爆裂術式を使うことを躊躇ったのだろう。そうでなければ、アンドレイ自身も含めて拠点に詰めていた情報調査局員は全滅していたはずだ。

 だが、地下にいる人間を効率よく抹殺するという点では、燃焼術式はあまりに悪辣過ぎた。

 少なくとも、魔導を神聖視する伝統的な魔術観を持つ人間の思いつくことではない。


「……」


 アンドレイ中尉はリュシアン・エスタークスという少年魔術師に対する認識が甘かったことに歯がみする思いだった。喉をやられては、呪文の詠唱にも支障が出てしまう。

 三人の諜報官は最悪、大使館に逃げ込むことも考えて地下水道を逃走していく。

 王都における局員で無事なのは、大使館職員の身分を得ている者しか残っていない。現地の協力員は何名かいるが、ロンダリア官憲による捜査が行われている現状では接触は危険だろう。

 一方で大使館であるならば、外交特権によって身を守ることが出来る。

 しばらく暗闇が続く地下水道を壁伝いに歩いて行くと、徐々に地下空間に響く水の音が大きくなり、風の音も聞こえてきた。

 王都を三重に取り巻く運河、その第二運河へと流れ込む地下水道の出入り口へと近づいてきたのだ。

 三人は地下水道が合流して大きな流れとなっている場所へと辿り着き、行き先にかすかなガス灯の明かりが見える。

 彼らがほっと息をついたのもつかの間。

 不意に、運河へと繋がる地下水道の出口を黒い影が遮った。


「……」


 アンドレイ中尉の警戒感が一気に跳ね上がった。

 全身を漆黒の大外套で包んだ、小柄な影。


「……リュシアン・エスタークス」


 諜報官でもある魔術師の青年のかすれた声に応ずるように、フードからのぞく紅い瞳が地下水道の暗闇に妖しく光った。


  ◇◇◇


 三人目の肉体が爆ぜたところで、黒衣に身を包んだ魔術師は片手を廃墟の床につけて己の体を支えなければならなくなった。


「結構、頑張るもんだね」他人事のように、どこか空々しい感嘆の声が響く。「でも、そろそろ限界なんじゃないの?」


「黙れ……っ!」


 リュシアンの声は苦痛に満ち、喉から絞り出したように低くかすれていた。


「そこまでして、あの王女とこの国に尽くす意味があるのかな?」


 心底不思議そうに、アリシアが問いかける。そうまでして守るべきものだとは、彼女にはどうしても思えないのだ。

 そんな彼女に、息も絶え絶えな声が、それでもはっきりとした発音で反論する。


「協力者になってくれと言っておいて、人質を取り、相手に呪詛をかける。あんたのどこに、誠意を見ろっていうんだ?」


「そりゃあ、私は魔術師。まあ、女だから魔女って言ってもいいかな? 魔女だもの。多少の手練手管は使わせてもらうよ」


「……あんたも結局、他人の感情よりも自分の感情を優先する人間なんだな」


 うつむいたまま、フードの下から呪いにも似た声が吐き出される。


「それじゃあ結局、エルと同じだよ。自分の感情のままに、他人を支配しようとする。そして他者を利用することに愉悦を覚える。どうしようもないエゴの塊」


 それは、アリシアへの批判ではなく、エルフリードへの批判であった。


「その“醜さ”を、俺は嫌悪と共に見守ってきた。その“醜さ”が、俺から“世界”を奪った」


 耐えられない何かを吐き出すように、呪詛にも似た声でリュシアンは言う。


「俺が何度、あいつを夢の中で切り刻んだと思っている!? 切り刻んで切り刻んで、それでもなお側にいたいと、浅ましくも思う俺の“醜さ”にさらに打ちのめされて!」


 慟哭にも似た叫びが、廃墟に響き渡った。


  ◇◇◇


 運河から地下水道に吹き込んだ風が、大外套の裾を翻した。


「……っ!」


 その手に握られていたものを認識した時、アンドレイ中尉は反射的に防御術式を記した呪符を展開した。

 黒い、長弓。

 大外套で体を覆っている少年魔術師が素早い動作で魔力で編まれた矢を番え放つのと、アンドレイの防御結界が展開するのは同時だった。

 半円形の地下空間に、魔力が乱れ飛ぶ。

 衝撃と共に、みしりと魔法陣と共に展開した防護結界に罅が入った。アンドレイは即座に魔力を注入して結界の損傷を修復する。だが、彼の背には嫌な汗が流れていた。こちらは喉を負傷しているため、呪文の詠唱はなるべく行いたくない。声を発するときの喉の痛みは、それだけ魔法発動のために必要な集中力を乱す。

 だから、予め術式を刻んだ呪符や霊装に頼らざるを得ない。しかしそれとて、装備数には限りがある。

 唯一、ここが地下空間でリュシアンの火焔魔法を封じていることは幸いだった。流石に空気の流れの悪い場所で火焔魔法を使えば、術者自身も窒息する恐れがある。

 もし最初に放たれた魔矢が、数日前に拠点を吹き飛ばしたような爆裂術式であれば、アンドレイも防ぎようがなかっただろう。ロンダリア-北ブルグンディア間の国境紛争で部隊ごと吹き飛ばしたというリュシアン・エスタークスの魔力は危険だ。

 だが、地下空間に籠もっている間はそれを封じることが出来る。とはいえ、それがどれだけこちらに有利な材料かは判らない。相手は、自らの得意魔法を封じられることを承知で、この狭い空間を戦場に選んだのだから。


「退け!」


 アンドレイ中尉が叫ぶのとリュシアンが動き出すのは同時だった。

 黒衣の魔術師はばじゃりと水路の水を跳ね上げ、アンドレイらの後ろに回り込もうとする。そこには、彼の命令を受けて地下水道を引き返そうとするオリアーニ大佐を抱えた部下がいた。

 アンドレイ中尉は素早く腰の刺突短剣(スティレット)を抜く。


「〈雷霆よ、貫け〉!」


 錐のような刃の先端をリュシアンに向け、彼は喉の痛みを無視するように素早く呪文を詠唱する。

 電撃魔法は修練が難しい魔術の一つだが、攻撃用魔法としてこれ以上最適なものはない。何故なら電撃はその早さ故に、実質的に回避不能だからだ。

 バチン、という音と共に目を焼くような稲妻が地下水道を覆い、リュシアンに襲いかかる。

 刹那、アンドレイ中尉の視界を闇が襲った。


「何っ!?」


 稲光が細く拡散し、消えていく電撃魔法。

 リュシアンのまとう黒衣の大外套の裾が緞帳のように広がり、アンドレイの稲妻を弾いていたのだ。

 自動防御霊装。それだけでも珍しい霊装だというのに、自身の渾身の電撃を難なく防いだことからみて、高い対魔術効果を持つものだと、ヴェナリアの魔術師は判断する。


「……っ!」


 水しぶきが跳ね上がる音と共に、リュシアンは奥へと逃げようとする部下とオリアーニ大佐を追撃する。自らも負傷している部下の動きは鈍い。

 ひゅん、と空気を切る音と共に繰り出されたリュシアンの回転蹴りによって、二人同時に地下水道の石畳の上に叩き付けられた。


「〈風よ、刃となりて切り裂け〉!」


 その背中に、アンドレイ中尉は刺突短剣の切っ先を向ける。風刃の呪文は、相手の注意を大佐と部下から自身に向ける程度の効果しか期待していない。

 事実、やはりリュシアンの防御霊装によって風刃は防がれてしまう。


「……うん、ああ。クラリス? 逃亡者三名を発見したよ。場所は第二運河沿いの地下水道出口」


 そして、相手の意識を逸らすという意図すら叶わない。

 リュシアンはアンドレイの存在などまったく無視するように、どこかと魔導通信を繋げながら未だ呻き声を上げる二人の意識を刈り取った。恐らく、機密漏洩防止のための自殺をさせないためだろう。

 アンドレイは即座に逃走を決意した。

 これまでに王都で得た情報・人脈を維持するためにも、全滅は避けなければならない。最悪、大使館に逃げ込めば外交特権での保護が望める。そこまで逃走すれば、少なくともこの少年魔術師にヴェナリアの諜報機関が完敗したという汚名は免れることになる。

 自身の体に身体強化(エンチャント)の魔術をかける。

 地下水道を抜け、第二運河から地上に出る。運河に沿って並ぶ貿易商や倉庫群の屋根へと飛び移り、ヴェナリア大使館のある場所を目指した。

 そこへ―――。


「逃がすと思った?」


 ぞわりと、アンドレイ中尉の肌が粟立った。

 耳元で呟くような、ごく小さな声。

 殺意も敵意も感じられない、ただ淡々と必要なことをこなそうとするような、そんな少年の声。

 咄嗟に振り向けば、白刃がアンドレイの喉元に迫っていた。

 足にかける身体強化の術式を強化し、屋根から一気に跳ぶ。

 リュシアン・エスタークスは、二振りの小剣(ショートソード)を抜いていた。それが空を切る。彼もまた、身体強化(エンチャント)の呪文で屋根から屋根へと跳び移り、アンドレイを追撃する。

 ヴェナリアの魔術師は、さっとリュシアンの剣を観察する。

 赤い装飾の施された剣と、黄色い装飾の剣。

 明らかに通常の武器ではない、霊装だった。

 感情を映さない淡々とした表情と共に、振りかぶられた二振りの小剣が振り下ろされる。


「くっ!」


 アンドレイは片手で自らの霊装である刺突短剣(スティレット)を強く握り、それを受け止めた。だが、お互いに空中を跳んでいる状態である。足場がないため、踏みとどまれない。

 ひゅん、と振るわれたリュシアンの足をアンドレイは腕で受け止める。蹴られた勢いのまま、彼は付近の倉庫の屋根へと着地した。一瞬の間を置いて、リュシアンも危なげない姿勢で着地する。


「〈地よ、泥濘となりて沈め〉!」


 その着地の瞬間を狙って、アンドレイは足場崩しの術式を放った。屋根は土ではないが、もたらされる効果は同じだ。

 だが、相手の反応速度も異様だった。姿勢が崩れる寸前、赤い剣を沈む屋根に突き刺した。瞬間、屋根は何事もなかったかのように元の形に戻る。

 わずかにしゃがんだ姿勢になったリュシアンに、アンドレイは刺突短剣(スティレット)で斬りかかる。

 本来の刺突短剣はものを斬ることは出来ないが、彼の刺突短剣には霊装としての機能を持っていた。丸みを帯びた刀身には、予め切断術式を仕込んである。

 キン、と金属同士がぶつかり合う高い音が響く。体勢としては、アンドレイが有利だ。

 だが、リュシアンはわずかにしゃがんだ姿勢から上段蹴りを繰り出した。ヴェナリアの魔術師は視界に相手の足を認めた瞬間、後ろに仰け反った。

 リュシアンは蹴り出した勢いのまま、背面へ倒立回転してアンドレイと距離を取る。

 その一瞬の攻防の間に、ヴェナリアの諜報官たる男はこの少年魔術師の特性を、ある程度まで見抜いていた。

 赤い装飾の小剣(ショートソード)は、破魔の効果を持つ霊装。

 そして、リュシアン・エスタークスは()()()()()()()()()()()()()()

 魔術師の行う魔術戦とは、基本的に魔術を打ち合って行われるものだ。そうした相手ならば、この少年の技量でも十分に対抗出来るだろう。赤い小剣の効果も相俟って、それなりに対魔術師には効果的かもしれない。

 だが、自分は魔術師であると同時に、特殊任務をこなす諜報官だ。白兵戦の訓練は一通り受けているし、それが諜報の場面で役に立ったこともある。

 この少年もそれなりに訓練を受けているようだが、少なくとも年齢に由来する経験において自分に劣っているのだろう。だから、“死神”はこの自分を未だ仕留めるに至っていない。

 彼は魔術については若くして勅任魔導官になる程の天賦の才を持っていたようだが、武芸についてはそうでもないらしい。

 とはいえ、油断は出来ない。

 まだ黄色い方の小剣の効果は不明であるし、こちらの魔術攻撃は効かない反面、相手の魔術攻撃をこちらは完全に防ぐことが出来ないのだ。


「……」


「……」


 互いの視線が、相手を窺うように交差する。

 先にそれを逸らしたのは、どういうわけかリュシアンだった。表情の読み取りにくい顔の中で、目だけが一瞬だけはっと見開かれ、王都の一角に視線を向けたのだ。


「〈雷霆よ、貫け〉!」


 その隙を逃がすアンドレイではない。即座に電撃呪文を放ち牽制すると共に、背後に向けて思い切り跳んだ。

 あの自動防御霊装たる外套に電撃は防がれたが、それは予測の範疇。

 一瞬でも時間を稼げれば、自分が逃げられる可能性が上がる。そう考えて放った魔術だったのだが―――。


「……何故追ってこない?」


 リュシアンはアンドレイの逃走した方向とはまったく違う方面へと、跳躍していったのである。

 その背中は、どこか焦っているようでもあった。


  ◇◇◇


「理解出来ないね」


 冷めた声で、アリシアは言った。


「そうまでして、あの王女の側にいる理由が判らないよ」


「あんたに判ってもらう必要なんてない」


 拒絶の声は明確。そこには、相手との共感を拒絶する意思がはっきりと現れていた。


「……」


「……」


 無言の対峙。

 アリシア・ハーヴェイの顔から、初めて表情が消えた。


「……君なら、私のことを理解してくれると思っていたんだけどなぁ。そんなに、あの王女に毒されていたんだ。結局、君も貴族の子。専制主義と帝国主義の信奉者ってことなのかな?」


 すっと彼女は指を鳴らす形にして手を突き出す。


「でも、君のその判断で苦しむ子がいることを忘れていないよね?」


 エルフリードに掛けられた呪詛は未だに有効。交渉材料としては十分な価値がある。アリシアはそう判断している。

 本人が苦痛に屈しないのであれば、人質を使うだけである。


「……」


 黒い大外套の少年は答えない。ただ地面にうずくまったままだ。


「君の大切なお姫サマ、最悪、死んじゃうかもしれないね」その様子を冷めた目でアリシアは見下ろしている。「〈(まが)つ鎖よ、彼の者を縛れ〉」


 パチン、と彼女は指を鳴らした。


「ぃぎっ……」


 だが、エルフリードの呪詛を強化したはずが、苦痛の声が目の前でうずくまるリュシアンから聞こえてきた。

 リュシアン……?

 そこで始めて、革命運動家たる魔女は疑問を抱いた。

 苦痛に耐える小柄な影がまとう大外套のフードを掴み、一気に引きずり下ろす。


「……ああ、なるほど」


 無表情から、嫌悪と憎悪を混ぜ込んだものに、アリシアの表情が変わる。


「つまり、私は嵌められたわけだね。エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオル」


 にぃ、と伏せられた顔の下で嗤う気配があった。


「その醜い顔を見せなよ、王女殿下」


 ぐい、とアリシアはうずくまる少女の髪を掴み上げた。

 不機嫌そうな目付きの少年のような印象を受ける少女。その顔は苦痛に耐えながら、アリシアを嘲るような笑みを浮かべていた。

 そして、その喉元には小型の水晶球が付けられたチョーカー。


「あんた、ようやく気付いたみたいだね」


 エルフリードの口が動く。だが、その声はリュシアンの口調、リュシアンの抑揚だった。


「まあ、私の体からリュシアンの魔力反応があるのだ。魔術師であるほど、気付かないというあいつの言葉は正しかったようだな」


 チョーカーを引き千切るようにして外しながら、本来の声と口調、抑揚に戻ったエルフリードが言う。

 ただし、その声の中には抑えきれない苦痛が滲んでいる。それでも挑発するような口調を崩そうとしないのは、彼女の矜持故か。


「どうだ、私の演技も中々のものだろう? まあ、リュシアンとは長く共にいるからな、奴の考えそうなことを言い、あいつの口調を真似することなど造作もないが」


「……醜い顔が、さらに醜くなっているね」


 エルフリードを刺すような鋭い視線を向けて、アリシアは指摘する。

 今、エルフリードの顔には赤い紋様が走っていた。まるで、古代の呪術師を連想させるような紋様が線となって顔から首へと流れている。服の下の肌も無数の紋様で埋め尽くされていることが容易に想像出来た。


「ふん、私の醜さなど、誰に指摘されるまでもなく知っている。さっきもそう言ったであろう?」


 自嘲するように、そして自虐するように、エルフリードが嗤う。


「それで、私はリュシアンではなかったが、どうす―――」


 エルフリードは最後まで言葉を紡ぐことは出来なかった。

 アリシアが荒々しい動作で髪を掴んでいるエルフリードを床に叩き付けたからだ。


「そのリュシアンはどうしたんだい? お姫様の危機に駆けつけないなんて、随分と薄情な騎士様じゃないか」


 苛立ちの中に焦りの混じる声だった。だが、その問いにエルフリードは嗤いを返すだけだった。


「まあいいか」


 冷たい視線で王女たる少女の髪を放し、アリシアは立ち上がった。


「未だあなたが人質だって事実には変わりないし、あの少年が駆けつけるまで貴方の悲鳴でも聞いて暇を潰すことにするよ」


 そう言って、ぱんぱんと手を叩く。それに従って、彼女に操られ、残り十人となった人間たちが動き出す。


「あなたの体中に書き込まれた紋様、それが呪詛なんかの黒魔術から守護する術式だってことは判る。だから、呪詛じゃない、どんな苦痛ならその術式を破れるのか試してあげるよ」


 アリシアは楽団の演奏における指揮者のように手を振って、自らの操り人形とした人間たちを動かした。十人の男たちがエルフリードの四肢を掴み、仰向けに押さえつける。


「くっ……」


 苦痛によって体が上手く動かせないエルフリードは、何の抵抗も出来なかった。ただ少しだけ顔を歪めただけだ。


「例えば、指を一本一本折っていく。爪を一枚一枚剥いでいく。刃物で皮膚を少しずつ削いでいく。ああ、あなたはそんな(なり)でも女の子だから、女の子に相応しい屈辱を与えるのもいいかもしれないね?」


 自身の優越を確信している嗜虐的な言葉と共に、アリシアは王女を見下ろす。

 その内容は背筋が凍りそうになるものだったが、エルフリードの脳裏は自らの身に迫る危機に対して、どこか冷めていた。それは、リュシアンにこの身を好きに扱えと言った時から覚悟していたことだからだ。


「……ふん、流石テロリストは考えが野蛮だな」


 だから、エルフリードは男たちに押さえつけられたまま、嘲弄するように言い放った。体が動かせなくとも、口は動く。

 少なくとも、この魔女の望むような醜態を晒すつもりはない。それはエルフリードなりの矜持であったし、何よりも無様で惨めな自分をリュシアンは望まないだろう。

 あの少年がこれ以上、世界に絶望しなくてすむように、自分は“自分”で在り続けなければならない。


「……その言葉、訂正してもらうよ」


 そんなエルフリードの態度に、苛立ちを隠しきれなかったらしいアリシアが低い声で言う。


「私たちは共和主義者、革命家だ。君たちのように人民を搾取する傲慢な王侯貴族と悪徳資本家とは違う」


「はっ! 妄想もそこまでいけば立派なものだな」エルフリードは歯を剥いて嘲笑を見せた。「魔術で人を操り、無関係の人間までもを爆弾で殺す。貴様らの行動どこに大義があるというのだ?」


「骨の髄まで専制主義に凝り固まっているお姫サマには判らないよ」


 彼女の言葉に応ずるかのように、エルフリードを取り押さえている男たちが動き出した。

 一人がエルフリードの右人差し指を掴み、残りが服に手をかける。


「―――っ!」


 メキリ、という音と共に骨が折られた。

 呪詛の痛みとはまた違う、壮絶な激痛がエルフリードを襲う。だが、意地で悲鳴は上げなかった。ただ、体の反応だけはどうにも出来ず、思い切り背が仰け反ってしまう。

 全身から脂汗が噴き出し、呼吸が荒くなる。


「へぇ、結構耐えるんだね」少しにやけた顔つきで、アリシアが言う。「ああ、それとも呪詛の所為で痛みに鈍感になってしまったのかな?」


「……なんと、でも、言え」


 荒い息の合間で、エルフリードは不敵に笑ってみせた。それはどこか、狂気じみた笑いでもあった。

 少なくとも、まともな精神構造を持つ人間の浮かべる笑みではないことだけは確かだった。

 そのことに、アリシアは苛立ちを覚える。彼女が憎んできた専制主義・帝国主義に凝り固まった王侯貴族、利益だけを求めて人民を踏みにじる悪徳資本家と、この王女は根本的に在り方が違う。

 どうすれば、自分たちの共和主義者の敵たるこの女を壊せるのか。

 衣服を無理矢理剥ぎ取られていく様子をじっと観察しながら、アリシアは杖をトントンと指で叩いていた。


「……」


 その時、不意に感じた、魔力の気配。彼女の拠点を覆う結界を強化しようと杖を振るおうとした瞬間、連続した弾着があった。

 結界を破砕し、魔力で編まれた矢が廃墟に降り注ぐ。


「……騎士様の登場にしては、少し遅いんじゃないかな?」


 破壊された結界を越えて侵入してきた黒衣の少年に対して、アリシアは皮肉げに語りかけた。


「……」


 無言の威圧感と共に、ふわりとリュシアンは床へと着地した。ぽたりと、自らの血の雫を落としながら。

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