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金平、天の岩戸開きの事

上もなく、下もない。


前もなく、後もない。


時の進みさえ存在しない「彼方(かなた)」に、金平の意識はたゆとうていた。


光も音もない世界を金平の「意識」だけが進んで行く。ここが「何処か」は金平は知らない。だがここが「何か」は、金平には理解(わか)っていた。



何の前触れも無く「八幡神」に頭突きをかまされた坂田金平は、目の前にチラチラと火花を散らした後、気がついたら「彼方(ここ)」にいた。



光も音も無く、ただ心象(イメージ)だけが世界を形作るこの空間を、金平は一度だけ目にした事がある。


その光景を見せてくれた頼義によれば、人間が知性を得てから今日に至るまでに生まれ、生き、死んだ全ての人間の記憶と知識がここに収められているのだという。なぜそのような空間が存在しているのか、その空間にどのような意味と役割があるのかは誰にもわからない。ただ「彼方(ソレ)」は間違いなく存在し、今も刻々と人類の記憶と経験を記録し続けているのだという。普通ならばそんな途方も無い与太話など一笑に付するところだが、ここにこうして立っていると、その実在を受け入れることはたやすい事だった。



「ちっ、あのクソ神め、余計なことしやがって……」



ようやく理解が追いついた金平は、自分をここに送り込んだ「八幡神」の意図を悟り、深くため息をついた。



(俺に説得役なんて任されたってよお、自信ねえぞう……)



それでもやらぬわけにはいくまい。そもそも頼義(かのじょ)をここに追い込んでしまった原因の半分はほぼ自分にあるのだから。


金平は目をつぶり「そうあれかし」と念じる。物理法則に縛られない、純粋な情報の海であるこの空間であればそれだけで十分だった。歩く必要も無く、名前を呼ぶ必要も無い。ただそう念じれば、彼女はそこにあるだろう。誰に教えられたわけでもないのに、金平はその事を知っていた。


金平の想像通り「彼方」に引きこもっていた源頼義が姿を現わ……


……さなかった。


「頼義に会いたい」と念じた金平の目の前に現れたのは彼女ではなく、果ての見えぬほどに巨大な両開きの石扉だった。


重く、固く、何者の侵入も許さぬと言わんばかりの重厚な門扉は、金平の立ち入る事を頑ななまでに拒んでいる。



「あ・の・や・ろ・お・〜!こうまでして拒絶しやがるかあ〜!」



金平が青筋を立てて憤慨する。



「コラ!出て来いお前、ざっけんじゃねえぞコラ、いつまでも亀の子みてえに閉じこもってんじゃねえこのやろう!!」



めいいっぱいの大声をあげながら石扉を叩いたり蹴ったりとを繰り返す。扉の奥からは何の反応も無い。



やがて殴り疲れた金平はその拳を収め、あぐらをかいて座り込み、石扉に背中を寄りかからせる。



「よお、大将。聞こえてるんだろ?」



背中越しに金平は扉の向こうにいるであろう人物に話しかける。まだ返事は無い。



「帰るぞ、まだ決着はついてねえ。いつまでもこんなとこに閉じこもってないで帰ろうや、俺と……」


「いや」



初めて返事があった。



「即答かよ!?なに意固地になってやがんだテメエは!あ、いや……だからよ、おれも、その……悪かっ……」


「謝らないで。金平は悪くない、あなたは悪くないの……」



石扉の向こうから声が聞こえる。聞き間違えようのない、彼女の声だ。



「私、恥ずかしい。情けない。今度こそは自分で自分を殴りつけたい……誓ったのに、約束したのに。私が、()()()()()んだって……」


「はあ?」



思わぬ独白に金平は反射的に振り向いて首を傾げた。



「なーに言ってやがんだバーカ。お前に守られる筋合いなんてねえだろうが、俺はお前の『目』で『剣』だ。守るのは俺の仕事だっつーの」


「うん、金平ならそう言うと思う。でもダメなの。それじゃダメ。あなたに守られるだけの私では、この先前に進めない。強くならなくちゃいけない。あなたを守れるくらいの人間にならなくちゃ、私、あなたの隣に立てない……」


「…………」


「金平が隣にいてくれる事、私とっても嬉しかった。どんなに苦しい時でも、死に瀕した時でも、金平はいつも必ずそばにいてくれた。あなたがいればどんな苦境でも乗り越える事ができた」


「お、おう……」


「でもね、いつの間にか私はその事を()()()()()()のように思うようになってた。金平に甘え、頼りきっている自分に気がつかなかった」


「そんなこと……ねえだろ」


「ううん。だから金平が去って行ってしまった時、私は心の底から動揺した。この先何を頼りにすればいいのか、自分がどうしたいのか、何をするべきなのかを完全に見失ってしまったの。だから……」


「ここに逃げて来ちまったってことか……」


「そう……いえ、違う、違うの。ここに逃げてきたのはもっと単純な理由。私、今までそんなことにも気がつかなかった」



石扉の向こうの声が一瞬途切れる。



「何だよ?何に気づいてなかったって?」



焦れた金平が聞き返した。



「私、あの子に嫉妬(やきもち)焼いてたんだ」


「…………はああ!?」



金平が思いっきりヘンな顔になった。



()()を世話する時の金平の声……あんなに穏やかで優しげな金平、私は知らなかった。見たことも無かった。私の前では見せない顔を、あの子の前ではしてみせた。私にはできない事を……」



頼義の告白を聞いて、不覚にも金平は呼吸が荒くなり、鼓動が早鐘を打つように鳴り響いた。耳の後ろで自分の心の臓がドクドクと脈打つ音が聞こえる。



「ああ、そうなんだあって。私その時初めて気がついちゃった。えへへ」


「あ……いや、よう。それって、つまり……」



金平が()()()()()()になって聞き返す。顔がどんどん赤くなるのがわかる。情報だけの世界で、なぜこんなに物理的な生理現象に悩まされるのか金平にもよくわからないが、もう彼自身も目の前が真っ赤になってよくわからない状況になっていた。



「うん。よくある事……そうでしょ?」


「あ、ああ……」


「ね、わかるでしょ?いくら躾けても言うこと聞かないバカ犬が、なぜか散歩してる時に知らないおじさんには妙になついたりするアレ。ほんと腹たってくるわよね。ああいう時」


「…………」


「…………」


「犬かよ俺は!?」



思わずツッコんでしまった。



「え、なんか例えおかしかった?」


「メチャクチャおかしかっただろうがよ!!お前何か、俺の事犬程度にしか思ってなかったのかコラ!!」


「えー、可愛げがあるだけ犬の方が……」


「やかましいっ!!真面目に話聞いてた俺がバカみてえじゃねえかコノヤロウ!!」


「なによう、私だって真面目に話してるでしょーっ!!」


「余計タチが悪いわコラ!お前、お前なあ……!はあ……」



一度は本気で怒り出した金平だったが、叫んでいるうちにだんだんバカらしくなってきて、ついには思わず笑い声が混じるようになってしまった。



「ったく……いいよ」


「え?」


「犬でもいい。犬でも何でも構わねえ。それでも俺は……ちゃんとお前の隣にいてやっからよ」


「金平……」


「なーにが『私あなたに頼っちゃう〜ダメなオンナねアタシあははん』だバーカ。そんな甘ったれた態度取るようだったら容赦なくどついてんだろうが、俺は」


「ちょっとお、私そんなアホの子見たいな喋り方してないでしょ!?なによ人のことバカにしてー!」


「うるせー、お前なんかこれっくらいの扱い方で十分だバーカバーカ」


「おのれー主君に向かってその態度許すまじ、そこへなおれ金平、今度こそその首切り落としてくれる!!」


「おう上等だ、やってみやがれ、()()()()()()でな!」


「あ……」


「……俺はどこにも行かねえ。お前がどこへ向かっていくのかは知らねえが、俺は最後までお前の隣にいる。約束だ。お前が道を誤ったんなら、全力でお前をぶん殴ってやるさ。だから……」


「……うん」


「帰るぞ、常陸国へ」



その言葉をきっかけに、微動だにしなかった重い石の扉が少しずつ開いて行った。

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