八幡神、兵を率いるの事
役人たちの止める声も聞かずに「八幡神」はズカズカと廊下を進む。
常陸陸奥国境近く、あと一歩のところで坂田金平と「丹生都姫」を取り逃がした一行はすぐさま国府石岡に戻り、そのまま国庁にいる常陸介源頼信の元へと向かった。
頼義はあれ以来依然として「八幡神」の姿のままである。青白く光る目を奥深くで光らせながら、「八幡神」は国庁の次官執務部屋の衝立を無造作に押しのけて中に入った。
最高責任者である常陸国司は「遙任」であるため現地には不在である。よって事実上の最高責任者は次官の「常陸介」である頼信がその職務を一手に引き受けている。今頼信はまさにその職務についているところであった。
頼信は「息子」である頼義と目を合わせる。互いに無言で見つめ合う事わずかな間であったが、何が起こっているのかすぐに察したか、頼信は静かに席を立つと頼義の前に恭しく頭を垂れた。
「恐れ多くも、八幡神さまにおかれましては御健勝のみぎりのご様子。頼信、恐悦至極にござりまする」
大仰に平伏する父を前にして頼義が冷たい視線を送る。
「ふん、相変わらず人生をクソつまらなそうに送っておるようなシケた面構えよのう頼信。歳を取っても性根は変わらぬものと見える」
何か因縁でもあるのか、「八幡神」はいやに頼信に対して辛辣である。
「今日参ったのは他でもない。貴様の娘が『彼方』の向こう側に閉じこもってしまった。理由は聞くな、『私』も知らぬ。まったく、あやつが『道』を塞いでしまったものだからおかげで『私』は現世に置いてけぼりを食ろうてしもうた。とんだ『天の岩屋戸』だわい」
そう言うと「八幡神」はどっかと腰を下ろして大あくびをした。供回りとして後をついてきた佐伯経範は、流石にあまりの傍若ぶりに動揺が隠せないでいた。
「というわけであの娘が機嫌を直して戻ってくるまではこの身体は『私』が好きに使わせてもらう。否やはあるいな」
何がどうなっているのやら、経範にはさっぱりわからない。だが無言で「良」と応える常陸介の様子を見る限り、二人の間では会話が成立しているようである。
「で、な。あの息長の小僧が『丹生都姫』を連れてあっちへ行ってしまった。これはまずい、非常にまずい。何がまずいのかは『私』も知らん」
もうこの神様が何を言っているのか全くわからない。どうやら「息長の小僧」とは坂田金平を指すらしい。
「なるほど、金平めが『丹生都姫』を伴って陸奥へ逐電しましたか。確かにかの姫が安倍一族の手に渡れば由々しき事に」
通じている。何であれで会話が成立するのだろうか。経範には「八幡神」が理解の及ばぬ存在であるのはもちろんだが、この常陸介という人物も底の読めなさにかけては「八幡神」に負けず劣らずの不気味な存在だった。
「して、この頼信めに何をお望みで?」
頼信が表情一つ変えずに「八幡神」に尋ねる。自分の「息子」……いや「娘」が得体の知れない神霊だかに憑依されてその身体を自由気ままに使用されているというのに、この男はそのような事は目にもくれないらしい。
「言うまでもあるまい。取られたものは取り返す。ましてあの『丹生都姫』なる娘御は徐福の置き土産なのであろう?ならばみすみすそのような宝物を北の蝦夷どもにくれてやるなど狂気の沙汰よ。よって『私』自ら討って出る故兵を出せ。さしあたり三千もあればあのような連中なぞ十分であろう。ふふ、五百年ぶりの東征よ、血が滾るわ」
そう言って「八幡神」は不敵にほくそ笑む。その様子に動じることもなく、頼信が訥々とその言葉に答えた。
「恐れながら、これより我が国は収穫期に入りまする、国軍に従事している若者たちもそれぞれの村に帰参して刈り入れの仕事に入る時期なれば、今まとまった兵を集めることはかないませぬ」
そう言うと頼信は無言で平伏する。その姿を見て「八幡神」が青白く光る目で頼信を見下ろしながら言った。
「ほう、貴様この『私』ごときには兵を出すのも惜しいと、そう申すか」
「いえ、決してそのよう……」
頼信が言うが早いか、その額に「八幡神」の鉄扇が炸裂した。頼信の被り物が吹き飛び、血がにじみ出る。その鉄線はかつて自分が「息子」となった頼義に護身用として与えたものだった。
「たわけが、貴様の意見なぞ聞いてはおらぬわ。収穫なぞ女子供、奴婢の一人まで駆使して行なえば済むこと。それで収穫がままならぬというのであればそれは貴様の不徳よ、その時は武士らしく腹を切れば良い、貴様らはそう言う生き物であろう?なあ、武士よ」
額を割られながらも微動だにしない父の前で「娘」は膝を折ってその顔を覗き込みながら空恐ろしい言葉を吐く。これは地獄の光景かと佐伯経範は戦慄した。
「…………」
「貴様らが我が陵墓にて働いた狼藉、忘れたとは言わせぬぞ?ここで借りを返せ頼信」
「……国軍を徴兵することはかないませぬ」
「貴様、まだ言うか……!?」
「されど、我が一門において人頭を集めればいくばくかの兵力には相成りましょう。寡兵なれどその実力は比類なきものと自負しておりまする」
「ほう?貴様の郎等を差し出すと?」
「然り」
「いかほど」
「千五百」
「八幡神」と頼信との間に不穏な沈黙が走る。
「ふふん、望みの半数ではちと数が足りぬが、まあ落とし所としては妥当よのう。なればその千五百人借り受けよう。その者らの命、この『私』の好きに使わせてもらうぞ。もちろん、生き死ににかかわらずな」
「……ご随意に」
「よかろう。では急ぎ兵を集め編成せよ。支度ができ次第あのケモノ臭い蝦夷どもの首を一つ残らず落としに参るぞ」
そう言って頼義……の身体に憑依した「八幡神」は、その目を爛々と輝かせながら例の不敵な笑みを経範に投げつけた。




