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金平頼義、獣に遭遇するの事

夫女(ぶじょ)ヶ石……?どういうことですか金平!?」



頼義が金平に問う。目の見えぬ彼女にはこの「裳羽服津(もはきつ)」の地で起きている異変を直接目撃することはできない。ただこの一帯の様相が昼間来た時とは明らかに変化しているのだけは感じ取れた。



「樹だ……昼間はこんなものは無かったのに、ここら一面、()()()()()()()()!!」



金平も訳がわからずにただ周囲を見回すばかりだった。似たような地形を見間違えているのかとも思ったが、つぶさに観察してみても、岩も小川も昼間見たものと寸分違わぬものだった。何より、昼間来た時に金平が投げ捨てた竹の皮がそのまま同じ場所に落ちている。



「まさか、『山の佐伯』……!?知らずのうちに彼らに結界を張られていたか!?」



頼義はそう叫んで反射的に脇に挿した七星剣の直刀に手を伸ばす。「結界」とは本来仏僧が加持祈祷を行う際、現世の穢れが祈祷場所に入り込まないように聖別する行為を指すが、方術士、陰陽師などと呼ばれる異能の技の使い手たちが使う、その場にいながら全く別の空間を重ね合わせて異界に対象を落とし込む秘術の呼び名として使われる事もある。頼義たちはその「結界術」によって「異空間」に閉じ込められたのだろうか?



「わからねえ……とにかく『敵』なら何かしら仕掛けて来やがるだろうよ、油断すんなよ!」



金平は叫びながら頼義を馬から降ろし、自らも剣鉾を構えて周囲を見回した。空気が重い。音一つ無い「森」の中に満月の光が所々漏れ射すだけだった。


しかしやがてどこからか小さく「かさ、かさ」と木の葉を踏む音を二人は捉えた。音のありかを求めて金平が剣鉾の切っ先を巡らす。細長い月に光の中に浮かぶ巨大な影にその切っ先がピタリと合った。


その影は見た目の大きさに比して随分と小さな足音だけを響かせながら、ゆっくりと二人の前を横切り、「夫女ヶ石」の大岩の上に飛び乗った。



「GRRRRRRRRRR……」



常人ならば聞いただけで身も凍らすような不気味な鳴き声が聞こえる。その影に月の光が不意に差し込んだ。



「こ、こいつは……」



金平はその影の全身を目の当たりにして絶句した。



「金平、何です、何者がそこにいるのですか!?」



頼義が七星剣を構えながら叫ぶ。金平は()()()と唾を飲み込みながら、



「……猫だ」



と呟いた。



「はあ?」



思わず頼義が間抜けな声を上げる。



「猫だ、それもバカでっけえ……熊ぐれえあるぞコイツ。黄色くて、黒くて、縞々(シマシマ)だ」



えらく語彙(ごい)の貧困な表現で金平がその影の身姿を頼義に説明する。



「なんて……なんて、ブサイクな猫なんだ……!こんな()()()()()()の猫、俺は見たことねえぞ!!」



金平は大真面目にそう言いながら剣鉾をその巨大な「猫」に向ける。頼義はあっけに取られて口をあんぐりと開けて脂汗を流す。



「気をつけろよ、猫とはいえこれだけのデカさだ、()()()()()()()だけでも大ごとだぜ!誰だよこんなとこに猫を放し飼いにしてる莫迦(ばか)野郎は!?飼うならちゃんと家で飼いやがれクソッタレが!!」



頼義は呆れてものが言えない。



「金平……」


「ああ!?」


「それは……『虎』なのではないですか?」



彼女は辛うじてそれだけ言った。



「ああん?莫迦(ばか)かオメーは!?虎ってなあアレだろ?大陸にいる西方を守る神獣とかいうヤツだろ?何でそんなご立派なモンがこんな()()()にいるんだよ!?猫だ猫、どう見たって猫だろコイツは!!」



ど田舎で悪かったなコラ。あとコイツに莫迦(バカ)呼ばわりされると非常に腹が立つのがよくわかった。頼義は深くため息をついた。金平は聞きかじりの知識で「虎」という存在を知ってはいたようだが、伝説の聖獣と実在する動物としての「虎」との区別はついていないようである。もっとも頼義も実際に生きた虎を見るのは初めてだ。昔、左大臣藤原道長(ふじわらのみちなが)卿の屋敷に自慢げに敷き詰められた虎皮の敷物を一度目にしたきりの知識ではあったが、それでも普通猫と見間違える奴はいまい。



(ああ、やっぱこいつバカなんだなあ……)



思わず頼義は生温かい気持ちで金平に向かってため息をついた。



二人を見下ろす巨獣が猫なのか虎なのかはこの際どうでもいい。問題なのはこの巨獣が明らかに頼義たちに敵意を向けている事だった。こればかりは笑い事では済まされない。


獣は大岩の上に立ったまま吠えもせずにただ二人を眺めている。だがその両目は、少しでもおかしな動きを見せればたちまちその牙と爪で容赦なく襲いかかろうという殺気に満ちていた。



「来る……」



不意に、どこからともなく声が聞こえた。



「来る、来る……備えよ、構えよ。アレが来るのだ……再び、この地に、あの……おそろしい……」



声の主がどこから響くのか、二人は周囲を見回す。頼義はハッとして思わず声を飲む。今まで何もいなかったこの「森」の中に、無数の何者かの気配を一斉に感じたのだ。



「金平、います!気をつけて!」


「おう、どこだ!?どこから聞こえやがるこの声は!?」



金平は剣鉾を虎?に向けたまま見回すが、どこにも誰の姿も感じ取れない。虎?は黙って二人を見下ろしたままである。



「備えよ、大将軍なき今アレを止めるものはおらぬ。備えよ、守れ、ああ、恐ろしい……」



姿の見えぬ声の主の悲痛な言葉は途切れる事なく続く。



「何が、何が来るというのだ!?お前たちは誰だ、『山の佐伯』と呼ばれし者か!?」



頼義の言葉に声は答えず、ただ同じことを叫ぶだけだった。



「備えよ、備えよ……『悪路王(あくろおう)』が来る……!!」

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