影道仙女、変若水(おちみず)を語るの事(その一)
常陸国石岡にある国衙、つまり役所の一角に、これまでに交わされた公的文書や各郡の租庸調の納税帳簿、または各地の風土や歴史、昔話などを書き記した膨大な量の資料が収められた書庫があった。坂田金平はその書庫に着くや否やその重い門扉を叩き壊さんばかりの勢いで叩き始めた。
「おいポン、影道仙、いやがるんだろう出て来やがれこの野郎朝だ起きろコノヤロウバカヤロウ!!」
紙や木簡がうず高く積み上げられた庫内を火災から守るために分厚い土蔵と石扉でできた書庫であったが、金平はその扉すら破壊しかねない勢いで影道の名を叫びながら叩き続ける。
騒ぎを聞きつけて何事かと野次馬が集まったが、金平のひと睨みでみな蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。騒動が収まってようやく静寂を取り戻した頃、重い音を軋ませて書庫の扉が開いた。
「ふわああああああああああああ、ああん。あーよく寝た。うおー朝日がまぶしい、生き返るわ〜」
中から出てきた影道仙は女子ならばあまり人前でしてはいけないような顔で大あくびを繰り返した。いつも被っていた折烏帽子は外れて後ろへ落っこち、両脇で無造作に止めた髪はロクに手入れもしていないのかあっちこっち伸び放題で、ただでさえくせっ毛の強い巻き髪が蓬の葉のようにボウボウに広がっている。
「おや、外が騒がしいと思ったら金ちゃんではありませんか。私のためにわざわざ朝ごはんを持ってきてくれたのですかそれは重畳」
「持ってきてねえよ!」
「ええーっ!?なんというぬか喜び、ポンちゃんは天国から地獄へ真っ逆さまに落ちた気分ですう」
「アホかテメエ!いいからシャキッと目を覚ましやがれオメエに聞きてえことがあるんだよ」
「なんですかあ、スリーサイズは秘密ですう」
「うるせえ何訳の分からねえ事言ってやがんだボケ、オメエ、オメエ……」
「なんですか?」
「……くせえ」
「きゃー、やだー!女の子の匂いを嗅いでコーフンするとか金ちゃんはそのような特殊性癖の持ち主だったとはショックですう、ポンちゃん新しい世界を垣間見てドキドキします」
「ちげーよ馬鹿野郎テメエこのやろう!!オメエいつ風呂入った?」
「?今日は何月何日ですか?」
「わかった俺が悪かった。いいから湯浴みでも水浴びでもして身体洗ってこい。お前それは女が出していい匂いじゃねえぞオイ」
なぜか金平の方が涙目になっている。いったい彼女は何日この書庫にこもっていたのか考えるだに恐ろしい。いつも誰に対しても傍若無人な風を装っている金平だが、それでいて女性は女性らしく立ち振る舞って欲しいという古風な思想の持ち主でもあった。コイツといい頼義といい、金平の周りにはどうにも彼がそうであって欲しいと思うような「女性らしい」女性が見当たらない。
ふと金平は幼馴染で金平の鬼狩りの教官でもあった女武者の惟任上総介の顔を思い出してしまった。
(いや待て、アレはどちらかっつーと女らしくねえ筆頭だろうがよ……)
今は亡き惟任上総介が「なんだとコラ」と言った顔で睨みつけてきたような気がした。
とりあえず水浴びして身を清めた影道仙は服も新しいものに着替えて金平の元に戻ってきた。いつもの陰陽師の正装らしい男物の衣装ではなく、女物の小袖と袿を壺折りにしている。そういう格好をしていると彼女も年相応の少女らしく可愛らしい。
「へー、あの時『悪路王』を煽っていた連中の親分が自ら乗り込んで色々と工作していたわけですか。やるなあ」
金平が遭遇した安倍忠良の話を聞いて影道仙は素直に驚きの声を上げた。手にはどこから貰ってきたものか、特大の握り飯を二つも抱えてそれをぱくぱくと大口を開けて食べながら金平に話の続きを急かす。金平は彼女の持っていた握り飯を一つ奪うと負けずに大口を開けて頬張りながら話しを続けた。
「なるほどー。お師匠様に関してはまあそんなところではあろうと予測はしていましたが。いやいやいやしかし『変若水』ですかあ。確かにこの手の話をするならば出てきてもおかしくはないアイテムではありますが、それがまたなんで陸奥なんぞに隠されていたものやら、はて」
影道仙は指についた米粒をペロペロと舐めとって握り飯を包んでいた竹の皮で口元と手を拭き取りながらブツブツとまた独り言を繰り返す。どうも彼女は金平の前で女性らしい恥じらいの気持ちを持つという心がカケラもないらしい。金平のことを異性として微塵も意識していないのだろう。
「で、何なんだよその『おちみず』ってえのは?」
金平も同じく握り飯を平らげてゲップをしながら聞き返す。こちらはこちらでデリカシーのカケラも無い。
「なあに、どうという事はない」
影道仙が「ごちそうさま」と行儀よく手を合わせながら言った。
「不老不死の薬ですよ」
相変わらずこの陰陽師はとんでもないことをサラリと言ってのける。




