頼義、裳羽服津にて怪異に出会うの事
「さえき?佐伯ってアレか?『佐』の字に伯耆の『伯』って書いて『佐伯』か?」
金平がそう聞き返したが当然読み書きも知らぬ村の者には通じない。とにかく、この常陸国で「さえき」と呼ばれる異形の者らしき集団が古来存在し、「まつろわぬ民」として土地の者とたびたび諍いが生じているらしいということはわかった。聞くに、この土地では昔からそういった異形の者たちを「山の佐伯」あるいは「野の佐伯」と呼んで恐れていたらしい。
「は、なんでえ。てっきり竹綱んとこの佐伯のオヤジが坂東くんだりまで来て悪さ働いてるもんだとばかり思ってたのによう」
「金平、故人に対して失礼ですよ。もう……」
頼義はそう言って金平を小突く。そう叱りながらも、彼女は懐かしさに胸がこみ上げてくるものを感じた。
かつて、都を襲った酒呑童子率いる鬼の軍勢を撃退するために同じ鬼狩り紅蓮隊の仲間であった渡辺竹綱は配下の老将佐伯末永と共に平安京の羅城門で押し寄せる鬼たちと勇ましく戦い、その地で二人とも戦死した。佐伯末永とは頼義は竹綱に紹介されて一度挨拶を交わしただけの間柄であったが、さすが「渡辺党」という海賊……もとい海商集団の頭目の一人として名を馳せただけあって、海の男らしい日焼けした精悍な顔つきは今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
「してみると、佐伯どのはこの辺りのご出身だったのでしょうか」
「いやあ、確か聞いた話では豊後の海部郡ってとこにある佐伯湊を根城にする海賊の親分だったはずだ。なんでも先代はあの藤原純友と一緒に瀬戸内で暴れてたって自慢してたからな」
「はあ」
その話は初めて聞いた。「渡辺党」とは竹綱の父君である鬼狩り四天王の筆頭渡辺綱を頭目とした海商組織である。その規模は淀川の船渡しから瀬戸内、九州、果ては遠く唐国に至るまで足を延ばす程の規模だという。それだけ巨大な組織であれば優秀な人材はいくらあっても足りないくらいではあろうが、よりにもよって帝に弓引いた逆賊ともいうべき人物の一族まで仲間に引き入れている綱の鷹揚さというか器の大きさに感心してしまった。
ひとまず佐伯末永はこの土地とは関係ないとして、やはりその「山の佐伯」と呼ばれる連中のことはこのまま放って置くわけには行かぬように思えた。話し合いで解決するにせよ、武力行使でもって平定するにせよ、まずは現地の実情を確かめる必要がある。
長い前置きになったが、以上のような理由で頼義と坂田金平は二人して問題の「山の佐伯」らが出没するという筑波山の麓をこうして捜索しているわけである。捜索といっても、村人たちの証言通り彼らは風のように現れてすぐさま去って行く。こうして足を棒にして歩き回ってもその痕跡はとんと辿ることも叶わなかった。
金平が見渡しても、周囲は雄々しい筑波の山嶺と低木の散らばるのどかな風景が続くばかりである。金平も次第に夷狄の誅戮などという殺伐とした雰囲気が薄れ、物見遊山のようなダラけた気分になってきた。胸元にかかる頼義の体の重みが心地よい。このまま二人でのんびりするのも……
「このあたりかしら、金平?なにをぼうっとしているのです」
頼義の一言で夢見ごごちも終わりを告げた。我に返った金平は慌てて周囲を見回す。まばらに生えた木立の中に金平の背丈よりも大きい一枚岩が二つゴロンと横たわっている。側には泉から湧き出たばかりの小川がこんこんと清らかな水を溢れさせている。
「あ、ああ。大岩が二つ並んでやがる。『夫女ヶ石』ってのはコイツの事だろう。つまり、ここが村の連中の言ってた『裳羽服津』って場所じゃあねえのか」
金平はなんとはなしに顔が赤くなるのを紛らすように大きな声で言った。この辺り一帯は地元の連中が春秋に集まって例の「嬥歌」の宴を催す、言わば「ハレの舞台」であるところらしい。なるほど山の景観を愛で、川の水に楽しみ、飲み食いして踊り歌うにはうってつけの場所と言えよう。ここで男女は飯を食い、酒を飲み、そして連れ立って離れた草叢に隠れて……というわけだ。
「やれやれ、俺もそんな季節に来たかったぜ」
金平はつまらなそうに言いながら懐から竹皮に包まれた握り飯を取り出してもっしゃもっしゃとかじりだす。酒好きの金平からしてみればおあずけをくらった犬のような心境なのだろう。頼義はそんな彼の物言いに思わずクスッと笑う。
「さて……『津』と言うからには昔はここまで船を上り下りする船着場があったのかもしれませんが、今はもう小川が流れているだけのようですね。年月を経て川が枯れてしまったのかもしれない」
頼義は小川の水をすくって口に含みながらそう言った。周囲には確かに朽ちた木材やら腐った古縄やらが散らばってはいるが、往時の船着場としての隆盛をうかがえるような景色はもう見られない。もっとも、そのような人気の少ない僻地だからこそ「嬥歌」のような秘め事が行われるわけで……
「金平」
「はいっ!?」
心の内を見透かされたかのようなタイミングで声をかけられたために思わず声が裏返ってしまった金平は手にした竹の皮を放り出し慌てて場を取り繕い、
「お、おう、なんだよ」
と一応は格好つけて見せたものの、どうにも締まらない。
「これ以上ここで得るものは無いようです。奴らは夜動くかもしれない。いったん麓まで戻って、日が暮れてから改めて出直しましょう」
そう言って頼義は手を差し出し、馬に乗せろと催促する。金平はふう、とため息を一つついてその手を取り、彼女を鞍に上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜が更けてから二人は再び馬を駆って「裳羽服津」と呼ばれる平原に赴いた。
金平は近くに来るや、異変にすぐに気づいた。夜中とはいえ雲ひとつない満月である、これだけ明るければ見間違うはずはない。金平は馬を走らせながら次第に不安を隠せなくなって来た。
「金平……この道で確かですか?昼間とは違う道のようですが」
頼義も不安げな声で金平に問いかける。
「お前も感じるか。道は合ってる、間違いねえ。だが……」
「ええ、匂いが違う。気温も湿度も、返ってくる音の響きも……!」
金平は目を凝らす。今走る道は間違いなく昼間通った山道だ。それは確信がある。だが……
(なんで……こんなに暗い……!?)
昼間通った時はこの辺りは低い木立がまばらに伸びているだけで、日を遮るような高い木々は無かったはずだ。それなのに今走っているこの道は天を覆い尽くさんばかりの巨木が立ち並んでいる!
突然目の前に現れた障害物に気づいて金平が急に馬を止める。手綱を引かれた馬は大きく嘶いて前足を高く上げて立ち止まった。
「金平?どうしたのですか急に……」
「なんてこった……」
金平は頼義の言葉も耳に入らずに、目の前にある今自分たちを足止めした二つの巨石を呆然と眺めている。
「夫女ヶ石だとう……?じゃあ、じゃあこの木々は一体どこから生えて来やがったんだ!?」
金平が叫びながら天を見上げる。上空には満月を覆い隠すほどに伸びきった大樹の枝葉しか目に入らなかった。