スキのカタチ (8)
もう夕方って言って良い時間だけど、まだ太陽が明るく照りつけている。ああ、夏なんだね。高校一年生、青春真っ盛りの、夏。
外にいると我慢出来そうに無いから、下駄箱前の談話コーナーでベンチに腰かける。西日がきっつい。丁度柱の陰になる位置に陣取ったけど、床の照り返しだけで十分暑い。ここを設計した人、何考えてたんだろう。
ペットボトルのお茶を一口飲む。水分補給してないと、あっという間に脱水症状を起こしてしまいそう。みんな良く部活とかやるよね。ヒナは今日一日でグロッキーですよ。色々あって、もうクタクタ。考えてみたら盛り沢山の一日だった。
夏休みの学校は、大冒険だ。
色んな恋の話をこれでもかって聞かされ続けた。もうお腹いっぱいです。青春ってすごい。ヒナはハルのことで精いっぱいだけど、みんなも自分のこと頑張ってるんだね。まあ、銀の鍵を遠慮なく使っていた頃に、そういうものだってことは判っていたけどさ。
結局また使っちゃった。しかも、友達であるサユリに対して。サユリの心の錠前を、ヒナは無遠慮に解き放った。ごめんね。サユリが傷ついていく姿は見たくなかったんだ。
サユリが自分でやったことを、ヒナは台無しにしてしまったのかもしれない。選択肢に正解なんてない。何を選んでも、常に後悔が付きまとう。今回は、ヒナが望む姿をサユリに押し付けてしまっただけだ。本当に、サユリには申し訳ないと思う。
ヒナのエゴ。自己満足。何と言ってもらっても構わない。その通りだ。批判は甘んじて受ける。
こういうことをするから、人に言えなくなるんだ。自分にとって都合の良い世界を作るために、銀の鍵を使っている。他人の望みを、気に入らないと踏みにじる。無かったことにする。
だって死んじゃうかもしれないんだよ?そう思う事ですら、ヒナの勝手な価値観。判った上でなければ、銀の鍵の力は使うべきではない。他人の人生を、ヒナの好みで一方的に書き換える。そこに正しさなんて、一握りも無い。
でも。
「お待たせ、ヒナ」
ぱたぱたと足音がして、サユリと、サキと、チサトがやって来る。ううん、こっちこそごめんね、変なわがまま言っちゃって。今日はどうしても、みんなと一緒に帰りたかったから。
ヒナの友達。ヒナの大切な人たち。
ハルがいてくれれば、ヒナには何もいらない。確かにそうなんだけどさ。ハルと天秤にかければ、絶対にハルが勝つんだけどさ。
でもね、ヒナは、もう彼女達の中身に触れてしまったんだ。ヒナには責任がある。ヒナの選択が、正しかったのか、間違っていたのか、見届けないといけない。一緒に歩いて行かないといけない。その運命をもたらした者として、願いを踏みにじった者として。
「サユリ、平気?つらくない?」
「大丈夫。慣れっこだって言ったでしょ?」
そんな痛みに慣れないでよ。痛い時、苦しい時、助けてくれる誰かを見つけてよ。今はそれが水泳で良いじゃない。
「ヒナの方こそ、朝倉は良かったのかい?」
「良くない。けど、今日は良いの」
サキだってそうでしょ。良くないけど今は良い。いつかは答えを出す。そういうこともある。時間が必要なこともあるし、優先順位の問題だってある。
「チサト、ちょっと陽に焼けた?」
「うん、なんか夢中になっちゃってたみたいで」
こっちはもうアツアツだね。無理だけはしないでね。周りが見えなくなると危ないよ。屋上から見られてるのに気付かなかったりとかね。自重しよう。うん、自重。
みんな揃って、笑顔でいたい。ヒナの願い。ヒナの望み。ヒナのわがまま。ヒナの身勝手。
自分勝手じゃない人間なんていない。みんな、自分の望む世界がある。これが、ヒナの望む世界なんだ。それを叶えられる力があるというのなら、やっぱり使ってしまう。手を伸ばしてしまう。それがいけないことだって、判っていたとしても。
携帯にメッセージが飛び込んできた。ハルからだ。もう、心配性だなぁ。どうしました、ヒナの大切な彼氏様?なになに、『大丈夫?まだ学校?』って、もう、すっかり旦那様だね。素敵な束縛をありがとう。大好きだよ、ハル。
「みんな、ちょっといい?」
ぎゅっと固まって、携帯のカメラをこちらに向ける。四人分の笑顔。ピース。うん、良い写真だ。
ハルに送信する。『大丈夫!』文句無いでしょ?ヒナは泣いてないよ。大事な友達に囲まれて、今とっても楽しい。ハルと一緒にいる時とはまた違った楽しいが、ここにはある。ほら、ハルは勉強に集中集中。ちゃんと補習終わらせてくれないと、ヒナはそれこそ泣いちゃうぞ。
「ヒナのところは円満だなぁ」
サユリもそんな呆れたように言わなくても良いじゃないですか。円満ですよ、円満。好きって気持ちはね、何よりも強いの。どんな暗闇も、苦しい道のりも、好きって思えるから歩いていけるの、信じていられるの。
サユリだって判ったでしょ?ああ、記憶は消しちゃったんだっけ。でも、心に灯る小さな火は消えていないはず。
「ヒナ」
並んで歩いて帰る途中で、サユリがヒナの名前を呼んだ。眼鏡に夕日が反射して、サユリの表情は見えない。声のトーンが、なんだかいつもとちょっと違う。
「ありがとう、ヒナ」
記憶は確かに消した。
何かが残っているのだとすれば、それはサユリのすごく奥深くにある何か。
ヒナはそれを読むような野暮なことはしない。必要なら、いつか言葉になって出てくるだろう。
サユリの好きの形は、胸の中にちゃんとある。
読了、ありがとうございました。
物語は「ハルを夢視ル銀の鍵」シリーズ「ヨルに咲く花」に続きます。
よろしければそちらも引き続きお楽しみください。