表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スキのカタチ  作者: NES
6/8

スキのカタチ (6)

 冷房が強い。夏服だとちょっと寒いくらい。少し弱めた方が良いかな。

 微かに臭う消毒液の香り。後は、サユリからほんのりと塩素の残り香。一応髪の毛は綺麗に乾かしたつもりだけど、毛先が気になるのか、サユリは指先でくるくると弄びながら見つめている。眼鏡をかけていると、ヒナにとってはようやくいつものサユリ。綺麗な長い黒髪と白いシーツとのコントラストが美しい。

 カーテンに区切られたベッドの上で、サユリは上半身を起こしている。すぐ横に椅子を置いて、ヒナが腰かけている。なんだかなし崩し的に付き添いにされてしまった。まあ、暇なので全然構わないんですが。

 あの後、サユリはすぐに救助された。ヒナはショックを受けたが、水泳部員の対応は淡々としていた。どうも、いつものことであるらしい。女子部員が手を貸して更衣室まで連れて行く。慌ててヒナが後を追い、着替えやら何やらを手伝って、こうして保健室でサユリの様子を見ている。流れるような出来事だった。

 保健の先生は丁度不在にしていた。こういう時にいないとか非常に困る。手慣れた感じでサユリをベッドに寝かしていく水泳部員が冷静過ぎて怖い。脱臼って聞いてすっごい痛いイメージだったけど、割とアッサリ戻してしまった。なんだか、本当にいつものことなんだね。むしろゾッとするよ。

 サユリの方も、申し訳ないとは思っているみたいで、それでいて何処か諦めている感じだった。流石に最後にヒナが付きそうというところまでは想定外だったのだろう、今はちょっと気まずそう。うん、ヒナもどう声をかけて良いものやら悩んでいるところだよ。何しろ、あんまり見たくないものまで見えちゃったからさ。

 あれ、絶対普通じゃないよね。

「すまないな、ヒナ。こんなことに巻き込んでしまって」

 ようやくサユリが口を開いた。髪の毛から手を放して、ヒナの方を真っ直ぐに見つめてくる。いつもよりもオーラが少ない。こんなに弱ったサユリを見るのは初めてかな。サユリにはもっと自信と力に満ち溢れていてほしい。ヒナも元気が無くなってくる。

 サユリによると、こういう事故はしょっちゅうなんだそうだ。

「どうも私は故障しやすいみたいでな。カッコ悪いところを見られてしまった」

 遠い目をしながら、サユリは自分と水泳について語り始めた。ヒナ、今日は話を聞く日だね。いいですよ。もう何でも来いだ。

 サユリは幼稚園の頃から水泳をやっている。小学校、中学校と水泳教室に通い続けているので、もう十年以上か。ヒナとハルの関係くらい長いってことだと思うと、ヒナには実感しやすい。うん、確かにそりゃ長い。ヒナにハルとの思い出を語らせると、多分日が暮れるよ。あ、聞きたくない。そうですか。

 他にも色々と習い事をしてきたが、唯一続いているのが水泳なのだという。複数習い事をしているって時点でヒナには異次元の話だ。ピアノに、バイオリン、バレエ、舞踊、書道、えっと、まだあるの?意味判らない。

 サユリは一年を通して泳ぐのが好きなのだという。え、冬も?サユリはにっこり笑って頷いた。マジか。そりゃホンモノだね。温水なら泳いでる時はいいかもだけど、上がって外に出たら冬場とか凍え死にそうだよ。そもそも冬に泳ぐって発想自体が無い。夏にスキーしたいって話とは訳が違う。そりゃ、よっぽどだ。

 夏場は一緒に行ってくれる友達も、冬になると来てくれなかったとか。ごめん、ヒナもきっとそう。サユリの情熱はすごいんだけど、付いていくにはかなり気合が要りそう。いくら友達でも、そこまではなかなか。

 小学校も学年が上がってくると、今度はプールの楽しみ方自体が変わってくる。サユリは純粋に泳ぐことが好き。でも友人達はレジャープールで遊ぶという方が主流になってくる。うん、申し訳ないけど、これもヒナはそっちだな。浮き輪でぷかぷかしてたり、ウォータースライダー滑ったり。昔ハルと行ったなぁ。シュウとカイもいたけど。ビーチボールで遊んだ。また行きたいなぁ。

 そうなるとサユリは一人で競技用プールに通うことが多くなる。友達とは求めるモノが異なるのだから仕方が無い。水泳教室での仲間との付き合いがメインになる。

 しかし、水泳教室でもサユリほど長期で通っている子はいないという。幼稚園からずっとって確かに長い。プロの水泳選手でも目指すって言うなら話は別なんだろうけど。

「私は泳ぐこと自体が好きなんだ。ただ、どうも片想いみたいでね」

 長く続けている割に、サユリのタイムはそこまでのものでは無いらしい。へぇー、ヒナが見ていた時は水泳選手みたいだったけど、あれじゃあダメなのかね。泳げるってだけでもヒナは十分だと思うし、あれだけ綺麗なフォームならそれで完璧なんじゃないのかな。この辺は求めるレベルが違い過ぎるんだろうな。

 サユリ自身は、別にそこにこだわりは無い。好きで泳いでいるので、選手とかプロとかそういう目標は掲げていない。ああ、だからエンジョイ勢を自称しているんですね。限りなくガチっぽいエンジョイなんですがそれは。

 ただ、本人の意思としてはそうなのだが、長く続けているということで周囲からは結果を期待されるという。うーん、それは仕方無いかな。冬でもプールに行くような子が、タイムはぱっとしません、っていうのは確かにちょっとね。本人が好きなんだから良いじゃん、って思えない人もいるだろうし。難しいな。

 それに、故障だ。サユリは頻繁にフィジカルなトラブルに見舞われる。

 中学校くらいからか、どんなに調整を念入りにおこなっても、筋肉がつる、脱臼する。癖になっているかもしれないということだった。こうなってしまうと、本気で全力で泳ごうとすることすら躊躇われてしまう。大会など、エントリーすること自体に尻込みしてしまう。

「ヒナがうらやましいよ。両想いで」

 ははあ、そう来ますか。良いですよ、さっきサキにも、チサトにも言われましたからね。ヒナは、ハルのことが好き。ハルもヒナのことを好きでいてくれてる。お互いがお互いを求めて、お互いを必要としてくれてる関係って、とっても心地良い。

 でもね、サユリ。ちょっと待って欲しいんだ。サユリが水泳に片想いしているって、そう考えちゃうのは早計なんじゃないかな。

 色々と確かめたいこともあるんだけど、どうしたものかね。

「もう大丈夫だよ、ヒナ。そろそろ朝倉の補習が終わるんじゃないか?」

 ああはい、その通りです。だから悩んでたんです。ふぅ、と息を吐いて立ち上がる。しゃーない。


 誰もいない学食の椅子に腰かける。夏休み中は基本的に閉店なんだそうだ。学校で合宿する部活がある時だけ開けるんだって。テーブルと椅子だけは自由に使える。ヒナは自動販売機で買ったペットボトルのお茶を一口飲んだ。さ、やることやりましょ。

 携帯を取り出してハルにメッセージを送る。今日は学校には来たんだけど、友達と一緒に帰ります。こんなところかな。直接ハルに会って話したかったけど、何か勘付かれても嫌だし、それにヒナの方が未練たらたらになりそう。すぐ近くにいるのに会えないってなんだか切ない。ハル、ヒナのこと許してね。

 今日はそもそもハルに会いに学校に来たはずなのにね。夏休みの学校っていうのは思っていたよりもずっとドラマチックだった。いや、絶対普通じゃないって。実は今日って、何かを告白しなきゃいけない日とかだったりしない?

「構わないのか?」

 突然横から声をかけられた。出たな、空気の読めない神様。

 浅黒い肌、銀色の長髪。燃える瞳。顔はイケメンだよ、確かに。

 でも格好が半裸ってのがなぁ。筋肉質の長身に、豹の毛皮をまとっている。それって、今の時期暑いの?涼しいの?どっち?

 まぁー、マンガとかイラストで見ればいい感じなんだろうね。夏休みに入る前になんか男子ィがわいわい騒いでたけど、ヒナは実写化には反対派かな。いや、こういうの現実にいたらコスプレイヤーでしかないって。浮いてるって。ときめいちゃったりとか間違っても無いから。むしろ怖いわ。

「何の話?」

 ナシュトには悪いけど、今ちょっと機嫌悪いんだ。そんなところに、学校で姿見せてくるとかケンカ売ってんのかコイツ。

「お前自身のことでも、ハルのことでもない。干渉しても構わないのか?」

 判ってるよ。だから機嫌悪いんじゃん。

 銀の鍵なんて、使ってもロクなことにならない。今まで嫌というほど学習してきた。だから、なるべくこの力は使ってない。最小限、自衛やハルのためという理由が付く場合のみだ。

 今回、サユリの件は明らかにヒナにも、ハルにも関係が無い。単純に、サユリ個人の問題。それに、友人であるサユリに銀の鍵の力は使いたくない。おかしな方向にこじれる可能性があるからだ。

 サユリに対しては、特にそう。サキ、チサト、サユリ。この三人は高校に入ってからの友人で、ヒナにとっては特別な存在。彼女たちとはまっとうな友人関係でありたい。お互いに変な勘繰りはしたくないし、グループのリーダー格であるサユリ相手なんて猶更。

 今日は三人それぞれから、それぞれの事情について聞かされた。そのこともあって、友達として大事にしたいという想いは更に強まった。しかし、そのせいでもあるからなのか。

 助けたい、なんとかしたい、という気持ちも強くなってしまった。

「友達のこと、放っておけないよ」

 結局、そうなってしまう。なまじ見えてしまうからこそ、何とか出来る力を持っているからこそ、関わらざるを得ない。ある程度は諦めるしかないのか。左掌を開いて見つめる。他人には見えないが、そこには銀色の明るい光が溢れている。

 銀の鍵。人の心を開くもの。神様の世界に通じる鍵。

 サユリが何らかの呪いに囚われていることは明らかだ。恐らく故障が増えたと言っている中学時代からだろう。ヒナが見た黒い手は、他の人間には見えていない。サユリ自身にも、或いは。

 サユリが泳ぐことを、泳ぎ続けることを快く思わない意思がある。それが、サユリが泳ぐことを妨害し、サユリから水泳を遠ざけようとしている。悲しいことだが、そういうことだ。

 水泳に対するサユリの想いが本物であるなら、あの呪いは消し去るべきだ。実際にサユリは肉体にトラブルを生じている。事態は深刻といえる。

 しかし、それでもヒナは躊躇していた。何が正しいのか、判らなかった。

 正解なんてあるのだろうか。銀の鍵を使う時はいつも悩む。正しいと信じていることでも、それが思わぬ結果を生じることは往々にしてあり得る。今回もまた、ヒナが正しいと思うことをして、それがサユリにとって良い結果となるのだろうか。

 いや、それでもやはりあの呪いは解かなければ。サユリの命に関わる問題だ。サユリが水泳をやめる前に、サユリが死んでしまっては何の意味も無い。

 意を決して、ヒナは立ち上がった。ナシュトが姿を消す。自分で言っておいてなんだけど、今回は例外。友達の命を助けるためだ。お茶の残りを一気に飲み干して、ゴミ箱に投げ込む。よし、行こう。

 呪いの元はもう見当がついている。なんというか、あんまり気が進まない。足が重いが、やるべきことは決まっているのだから仕方が無い。はあ、頑張ろう、ヒナ。自分を鼓舞して歩き始める。

 まだそこにいてくれればいい、という思いと、もう帰っててくれればいいな、という二律背反がヒナの中で衝突していた。まあ、厄介事を先送りにしたくなければ、いてくれた方が嬉しいんだけどさ。引き戸に手をかけてガラガラと開ける。

「あれ?ヒナ、どうかした?」

 残念。まだしっかりといらっしゃいました。

 白いカーテンが揺れる。その陰、ベッドの上に座る女子。

 サユリ、ちょっとヒナとお話ししようか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ