スキのカタチ (3)
昇降口から校舎に入ると、少し空気が涼しくなる。クーラーは校内全域には設置されていないが、色々な所から漏れ出た冷気が十分に効果を発揮している。校内にいる生徒の数が少ないというのもあるのか。
とりあえず、生き返った。いきなりサキに出会って、重い話聞かされてどうなることかと思った。しかし、サキも大変だなぁ。幼馴染とどうのこうのという話は以前聞いてたけど、ここまでこじれた内容とはね。ヒナはハルと普通に恋人になれて幸せだよ。交通事故とか気を付けよう、うん。ハルにも言っておかないと。
下駄箱を抜けてすぐの空間は、広い談話コーナーだ。吹き抜けの一面がガラス張りになっていて、明るい外の陽射しが入ってきている。綺麗で良いんだけど、この時期はちょっと太陽光がきつ過ぎるかな。しかもガッツリ西向きだし。
ガラスの向こうは中庭。そういえばハルに告白された時、中庭の向こう側を通って歩いた気がする。ここから丸見えだったんだね。うん、まあ、その先で起きたことが見えてなければ良いよ。やっぱり学校の中で誰にも知られずに、っていうのは無理があるな。ヒナは嬉しかったから良いんだけどさ。
校舎の中は流石にいつもよりは静か。でも完全に無音って訳でもない。音楽や、話し声、単発的な楽器の音が何処からともなくまばらに聞こえてくる。何か部活をやってるんだろうなぁ。青春だねぇ。
とりあえずハルが補習を受けている教室の方に行こうと、ヒナは歩き始めた。
「ちょっとごめんよー」
ヒナの脇を、誰かが猛スピードで駆け抜けていった。うわぁ、なんだなんだ。思わず飛びずさる。真っ黒い塊、に見えたけど、暗幕を抱えているのか。声の感じと制服から、男子かな。あれ、ちゃんと前見えてるのかな。
後姿を見送ると、人影は廊下の突き当たりを器用に曲がって行った。いや、見えてるんなら良いんだけど、大丈夫かな。
ん?でも何処かで聞いた声じゃなかったっけ?男子ィなんてみんな同じ感じだけど、なんかちょっと記憶がくすぐられる。
別にいいか、と思ったところで、またパタパタという足音が聞こえてきた。今度はさっきほど猛烈ではない。ちょっと鈍いって言われるヒナでも接近が判るほどの、軽い感じ。。
「待ってください支倉先輩。これもです、これも」
暗幕と、何かの布きれ、ああ、衣装かな。とにかく両手に大量の布を抱えた女子生徒だった。あれ?支倉先輩?あと、この子?
眼鏡が赤フレームのお洒落な奴になってるのと、髪をほどいてロングになってるのと、後リップがグロスになってるから最初判らなかった。いや、それだけあれば結構な変化か。
隣のクラスの、生方タエだ。
タエとは、実は以前に色々とあった。あったんだけど、タエには忘れてもらっている。銀の鍵絡みの出来事は、お互い覚えていても良いことなんて何もない。なので、その際にちょっと記憶をいじらせてもらった。
どうやらタエは演劇部みたいだ。なるほどね。支倉先輩は演劇部のいい役者さんなのかも。だとすれば、タエが支倉先輩を芸能人みたいに憧れの人として捉えてしまうのも、解らなくはないかな。支倉先輩はタエのスターなんだね。
「すいません、暗幕持った人見ませんでしたか?」
タエが訊いてくる。久しぶり、タエ。なんだか元気そうで、ヒナ安心したよ。
「えーと、あっちの方に曲がって行きましたけど」
「ありがとうございます。ああ、もう!第二視聴覚室だって言ったじゃないですか、先輩!」
何やら憤慨しながらタエは走り出した。
タエ、綺麗になったね。以前は地味子の見本みたいな感じだったのに。ヒナは一瞬判らなかったよ。
タエは、支倉先輩のことが好き。中学の頃からずっと好きで、この高校まで追いかけてきた。すごい執念だと思うよ。とりあえずヒナのことは棚に上げて置いて。
その思いが強過ぎて、ちょっとこじれちゃったこともあったけど、今はちゃんと真っ直ぐに追いかけているみたいだ。あの様子だと、割とうまくいってるんじゃないのかなぁ。良かった。
知り合いに演劇部っていたかな。ちょっと興味出てきちゃった。うまくいけばいいな。だって、ずっと好きでしたっていう気持ちは、ヒナにも良く解るから。ヒナも、ハルのこと、ずっと好き。
それとも、タエとはもう直接お友達になった方が早いかな。今みたいなきっかけが、今後も無い訳じゃないよね。
タエは追いかけ続けている。タエのその想いの強さを、ヒナはよく知っている。まだまだ、これからだ。頑張れ、タエ。
補習は最上階、四階の教室で行われている。知力だけでなく体力まで試されるのか。ふう。後はなんだっけ?時の運?
いくら外よりは涼しいとはいえ、夏の学校は十分に暑い。四階まで階段を登ればもう息が上がる。ヒナは運動得意じゃないんだよ。バスケ部時代なんて、走り込みだけでダウンしてたよ。
補習をやっているフロアはしんと静まり返っている。用の無い生徒がここに立ち入ってわいわい騒いだ日には、どんなお叱りが待っていることやら。廊下にはヒナ以外には誰もいない。そりゃまあ、そうか。
そろそろと足音を忍ばせて教室の前まで行く。板書の音と、呪文のようなすだれハゲ先生の声が漏れ聞こえる。ホントにやってる。うええ、これを一週間毎日とか、ヒナだったら頭おかしくなりそう。
中を覗き込んでハルがいるかどうかを確認したかったが、それをやって見つかった場合のことを考えるとあまりにもリスクが大きい。ちゃんと来てるでしょう、ハルはそういうところは真面目だし。あと、この前お母さんに怒られたらしい。「ヒナちゃんと付き合うなら、学校の勉強ぐらいちゃんとしな」って。うへぇ、喜ぶべきか恥ずかしがるべきか。そのヒナも赤点ギリギリだったんですけどね。
こっそりと教室から離れる。ハル、頑張って。補習ちゃんと終わらせたら、ご褒美あげるから。ご褒美。ふふふ、何が良いかな。ハルが喜んでくれることなら何でも良い。夏休みだし、色々と大胆に、ね。
階段前まで戻ってくる。ここもちょっとした広場になっていて、大きなテーブルみたいなベンチのある談話コーナーだ。この学校、こういうスペース多いよね。なんか病院みたいなイメージでアレだけど。
待つにしてもどうしたものかな、と思っていたところで、ふと階段に目が行った。あれ?何か違和感。
踊り場の壁に、外の光が当たってる。ってことは、上に通じる扉があいてるってことだよね。上、つまり屋上。おお、ヒナ初めて見たかもしれない。
屋上は普段一般生徒立ち入り禁止になっている。漫画とかだとお昼休みにお弁当食べたりとか、放課後にカップルで夕日見たりとか、あとアイドル研究会が特訓してたりとかで鉄板の場所なのに。入学してすぐの頃、ヒナは何回か屋上に入れないか訪れてみたが、いつも鍵がかかっていた。
夏休みだから、何かやってるのかな。なんにしても、これに便乗しない手は無い。すいませーん、開いてたから入っちゃいましたー、でなんとか誤魔化せるだろう。いやだって、これはレアでしょう。超楽しそう。
うっきうきで階段を登る。案の定、屋上への扉は全開になっていた。青空がきらきらと輝いて見える。これが、夏への扉!とか意味の無いことを考える。なんか青春って感じしない?
蝉の声が鳴り響く屋上に、ヒナは思いっきり飛び込んだ。
「うお、あっちぃ」
第一声はそれになった。青春の欠片も無い。
なんというか、屋上は酷いところだった。コンクリートブロックに、雨の跡がシミになってところどころ斑になっている。空調の配管がぐねぐねと這いまわって、全然広くもなんともない。眺望も、ごちゃごちゃしているせいで周囲の風景ですら良く見えない程度。直射日光がガンガンに照りつけていて、上履きの底を突き抜けて足の裏がバーベキューにされる。
ヒナの持っているイメージとはちょっと違ってた。屋上って、もっと、広くて明るくて過ごしやすい場所だと思っていた。まあ、明るいは明るい。でも、これでは陽が良く当たってるというだけだ。普段人が立ち入らないという汚さが一際目立っていて、ぶっちゃけ廃墟と言われても区別がつかない。
期待外れも良いところだ。ヒナはがっくりと肩を落とした。つまん、なーい!
まあでも、校庭や校門の方はフェンス越しに見えないことは無い。陸上部が練習しているのが判る。きっとサキもいるだろう。ぐるり、とヒナは周囲を見渡した。
ヒナが入ってきた、校舎内に続く扉の脇に何かがある。丁度日陰になっている所なので、さっきは視界に入っていなかった。ひょろっとした、黒い、金属の、なんだろう、これ。
えーっと、譜面台、だっけ?
「あれ?ヒナちゃん?」
誰かが屋上に上がってきた。聞き覚えのある声。そうか、みんな部活で学校に来ているんだね。
「やっほー、チサト」
ゆったりふんわりとしたロングヘア。クラスメイトで友人のチサトだ。しかしあの髪、汗でべっちゃりとかしないんだね。ヒナなんか肩まで程度で物凄い手間がかかってる。チサトなんてその比じゃないだろう。すごいな。
チサトは吹奏楽部だ。ということは、屋上で練習してるってことで良いのかな。
「部活?ここで練習?」
「うん。今は個人練習。屋上は良く使わせてもらってるの」
マジか。超うらやましい。実際見てみるとあんまりぱっとしない場所とはいえ、自由に鍵を開けて入れるとなるとそれはそれで色々と利用価値がありそうだ。
だって、学校だとハルと二人っきりとか、普通に機会なくて。お昼とか、出来るなら一緒に食べたいとか思っても、やっぱりハルの友達とか、周りの視線とか気にしちゃうし。最近は普通にお話しするくらいなら冷やかされることは無くなったけど、でも二人きりでいられる時間もあってくれるといいなーって考えたりもする。が、学校でそんな、そこまでいちゃいちゃするつもりは無いよ?
吹奏楽部に入ると屋上の鍵って無条件で付いてくるのかなぁ。うわぁ、そんな不純な動機で良ければヒナ、吹奏楽部に入っちゃおうかな。楽器、えーっと、たて笛なら吹けるよ。キラキラ星吹ける。ダメか。
「ヒナちゃん、屋上に興味があったの?」
チサトがくすくす笑っている。あはい、そうでーす。扉が開いてたので、つい吸い込まれてしまいました。ヒナホイホイです。
きらり、と銀色の光が反射する。チサトの手元を見ると、ぴかぴかのフルートが握られていた。チサトはフルート担当なのか。なんというか、乙女な感じでピッタリだ。ヒナは小学校の頃、音楽の授業で合奏やった時「シンバルかタンバリンだな」って無条件で決定されたよ。サルか。
「チサト、フルートなんだね。何というか、すごい似合ってる」
心からそう思う。トランペットのような勇ましさとも、クラリネットのような穏やかさとも違う。チサトのイメージはフルートだ。優美で、迫力は足りないかもしれないけど、不思議と存在感を持ち、全体の音を支える。ヒナは音楽にそれほど詳しくは無いけれど、フルートがどんな楽器かくらいは知っている。サルじゃないもん。
チサトは少し寂しそうな顔をした。あれ?ヒナ、なんか変なこと言った?
「似合ってる、か。そうなれれば良いんだけどね」
ええっと、お似合い、ですよ?でも、チサトの表情は本気でそう思っていないと語っている。どうしてだろう。ヒナには、フルートを持つチサトの手つきはとても慣れたものに思えるのに。
「フルート、いつからやってるの?」
ヒナの質問に、チサトははっとしたように顔を上げた。そして、またあの寂しそうな笑顔を浮かべる。きっと、チサトにとってフルートは、特別な何かなんだ。
「中学から、って言いたいけど、高校からかな」
チサトがフルートに口を付ける。澄んだ音色。アメイジング・グレイス。道を踏み外した私を、神様はすくい上げてくれた。