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スキのカタチ  作者: NES
2/8

スキのカタチ (2)

「あたし、嫌な女」

 何度となく、繰り返してきた言葉。もう何年だろう。あの日から数えて、二年。まだ二年。足りないね。全然足りない。

 サキの心の中は、ずっと真っ暗なまま。暗い中で、じっと座り込んで、両足を抱えている。何もしたくない、何も聞きたくない。

 そんな自分を誤魔化すために、サキは走る。走っている間は、何もかも忘れていることが出来る。走り続ければ、エンドルフィンが大量に分泌される。ランナーズハイになる。気持ち良い。何も考えない。

 教室で、チサトやヒナの髪をいじっていると、心が安らぐ。代償行為だって解ってる。それでも、二人を見ていると、とても可愛くて、愛おしくて、胸の奥が苦しくなる。

 ヒナが、幼馴染の朝倉ハルと付き合うと聞いて、良かったと思う半面、やはりつらくなった。そうだね、そうやって結ばれるべきなんだ。だから、やっぱりサキは嫌な女なんだ。

 二年前、一つ下の妹、ユキが死んだ。

 交通事故だった。雨の日、見通しの悪い道路で、トラックに撥ねられた。即死だった。

 可愛い妹だった。何もかもがサキと正反対。色が白くて、愛くるしくて、長い髪が自慢で、穏やかで。自分にない全てを持っていて、自分とは違って女の子らしくて。サキはユキが本当に大好きだった。

 だから、彼のことも簡単に諦めることが出来ていた。

 やはり一つ下の、幼馴染のコウ。コウはユキのことが好きだった。ユキもコウのことが好きだった。相思相愛だ。お似合いだ。サキは二人が一緒にいる姿を、いつも眩しく思っていた。

 その日も、ユキはコウとの待ち合わせのために出かけていった。慌ただしく「行ってきます」とだけ言って、玄関から駆け出していくユキの後ろ姿。それが、サキが最後に見たユキだった。

 後悔しかない。「何、今日もコウとデート?」なんて、いつもからかっていたせいで、ユキはあんなに急いで出ていったのかもしれない。もしそうなら、サキがユキを死に追いやったことになるのだろうか。サキが、ユキに嫉妬していなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。

 サキは、コウのことが好きだ。

 あの頃も、今も。

 コウはサキにとって、大切な幼馴染だ。ユキと、三人で育ってきた。コウがユキを好きになるのは解る。当たり前のことだ。女の子らしくて愛くるしいユキと、男の子みたいなサキ。コウが好きになる相手なんて、決まってる。

 コウがユキと付き合うなら、それが一番いいと思っていた。身を引く、という言い方はおかしいかもしれない。でも、一番納得の出来る形だ。ああ、しょうがないな、と思える。あの二人は年も同じだし、その方がずっといい。理由なんていくらでもつけられる。

 中学に入って、サキは陸上を始めた。走っている間は、嫌なことは何でも忘れられたし、考えないで良かった。ユキのことも、コウのことも、何も考えない。目の前の光景ですら、ぐっと小さくなる。狭まる。サキは前だけを見る。コースの先だけを。

 ユキとコウが仲良く並ぶ姿も、笑顔で語らう姿も、何も見ないで済む。二人が何処で何をしているのか、考えないで済む。短い距離を走り抜ける間は、本当に何も考えない。真っ白な時間。それが、サキにとっての安らぎだった。

 そして、ユキが死んだ。

 コウは悲しんだ。いや、今でも悲しんでいる。サキの家族も悲しんでいるが、恐らくはそれと同じくらい、いや、それ以上に、コウは悲しんでいる。サキも、葬儀の場で泣き叫んだ。可愛い妹。自分の、女の子の部分の全て。自分に無い全部の女の子を持って生まれて、そして、そのまま消えてしまった半身。

 二年。まだ誰の傷も癒えていない。みんな苦しんでいる。サキだって、自分の中で整理が出来ていない。

 ただ、目の前には、サキ以上に苦しんでいるコウがいる。サキは、ユキの姉であり、コウの義姉になる可能性があった。コウを支えなければならない。少しでも早く、コウには立ち直ってもらいたい。いつまでも、もういない妹に縛られないで欲しい。

 その想いが、サキを自己嫌悪に陥れる。コウがユキを忘れて、そしてどうするつもりなのか。サキがその代わりになろうというのではないか。妹がいるから諦めていたコウを、慰めることでサキの方に振り向かせようとしているのではないか。

 苦しんでいるコウを助けたい。その思いは本物だ。同時に、サキの中にはコウが好きだという気持ちも確かにある。コウが自分に気持ちを向けてくれるなら、それは確かに嬉しい。サキは、コウのことが好きだ。

「あたし、嫌な女」

 死んだ妹をダシにして、死んだ妹の男の気を引こうとしている。

 真っ黒な想いが、胸の中を満たしている。コウのことなんて放っておけばいいのかもしれない。ユキのためを思うなら、サキはこのまま全部を忘れてしまう方が良いのかもしれない。

 ユキの遺影を見るたびに、サキは心が苦しくなる。ねえ、ユキ、どうしたらいいと思う?このままコウのこと、好きでいても、いいのかな?諦めてしまう方がいいのかな?コウは、きっとまだユキのこと、好きなんだ。サキは、どうしたらいいと思う?

 学校で、チサトの髪をすく。ユキのことを思い出す。手先はサキの方が器用だった。こうやってよくユキの髪を結ってやった。ほら、この方がコウが喜ぶ。やめてよ、お姉ちゃん、そればっかり。そうだな、何しろ、そればっかり考えていたから。

 サキは、自分が女の子であることを、全部ユキに預けていた。コウに好かれる可愛い女の子。ユキがコウに可愛いと思われるなら、それはサキにとっても幸せだ。サキには、走ることしか出来ない。サキはコウのいい友達。それで良かった。

 ヒナは幼馴染のハルと交際している。長い付き合いで、ヒナもハルもお互いのことをとても大切に想っている。絆は深い。それは、簡単に無くなるものじゃない。少なくとも、たとえ死をもって別たれたとしても、二年程度の年月で消え失せるようなものでは無い。サキにだって良くわかってる。

 暗闇の中で、サキはじっとしている。前に進むことも、後ろに下がることも出来ない。

 だから走る。忘れるために。考えないために。逃げるために。

 答えなんて出したくない。見たくない。それが、たとえどんなものであったとしても。


「サキ」

 ヒナは両手を広げてみせた。王子様は、お姫様だったんだね。こんなに傷付いて。ヒナ、全然気付かなかったよ。

 サキがその場で膝をつく。身長差大きいなぁ。サキの頭をそっと抱き締める。サキ、可愛いよ。サキは自分で思っているよりも、ずっと女の子だ。ヒナが保証する。

 幼馴染の、コウのこと、サキは本気で好きなんだと思うよ。ユキが生きていた時、サキはユキに自分の想いを任せていた。でも、本当はサキ自身がコウと一緒にいたかったんだよ。そうじゃなきゃ、何も考えないために走るなんてしない。サキはずっと目隠ししてたんだ。ユキが、サキではないことを見ないために。

 サキが自分を「嫌な女」って責めるのもそう。自分の気持ちを裏切れないから、そうやって責めてしまうんだ。サキはコウのことも、ユキのことも好きで、裏切れないんだ。つらいね。

 ヒナとハルのこと、見てて苦しかったかな。ゴメンね、何も知らなかった。ヒナは、ハルのことが好きで、ハルのことばっかりだったから。サキがたまに見せる表情に、もっと早く気が付いてあげるべきだった。

 サキは、コウのことが好きなんだよね。サキがどう思うかは判らないけど、とりえずヒナは、サキとコウのことを応援するよ。色々と思う所はあるかもしれないけどさ、ヒナは生きている人間が一番大事だと思う。死んでしまった人間は、生きている人間を幸せにすることは出来ないんだ。

 例えば、もしハルが死んでしまったとしたら、ヒナはすごく悲しい。多分、立ち直れない。もう世界なんて終わってしまえば良いと思う。そこに、ハルの代わりに、ヒナのことをすごく好きだって言ってくれる人が出てきたとしても、ヒナはその人をハル以上に好きになれる自信が無い。

 でも、ハルが死んでしまったなら、ハルはもうヒナのことを幸せには出来ないんだ。ハルとの思い出に囲まれて、ヒナは泣いているだけ。例え話に真剣になるつもりはないけど、仮に、そんなヒナを幸せに出来る可能性があるとすれば、それは生きている人間にしか出来ないことなんだ。

 ・・・うん、簡単じゃないね。ヒナ、自分で言ってて悲しくなってきちゃった。サキは苦しんでる。答えを出したくない。だから走る。よくわかった。

 この話をしている間、サキは泣かなかった。サキは強い。ただ、その強さが、時として仇となる。本当は泣いてしまった方が良かったのかもしれない。なまじ強いから、我慢出来てしまうから、つらさが増してしまう。

「ありがとう、ヒナ」

 サキの頭を撫でる。サキは女の子だよ。恋する女の子だ。ヒナはサキのこと、可愛いって思うよ。

 それにしても、随分な告白だったね。ビックリしちゃった。

「サユリがね、何か悩みがあるなら、ヒナに預けてみろって」

 え?サユリが?

 サユリはクラスの仲良しグループのリーダー格な人。落ち着いた大人の美人って雰囲気で、理由は良く判らないけど、ヒナのことをとても気に入っているみたい。

 しかし、何故にヒナ?

「何でだろうね。でも、ヒナに聞いてもらったら、少し楽になった気がする」

 悩みは、人に打ち明けるとスッキリするって言うからね。実際、何もかも溜めこむのは良くないと思う。ヒナにも、人に言えないことがいっぱいある。銀の鍵とか、ナシュトとか、ホント、話しても信じてもらえないって辺りが更にストレス。

 まあ確かに、ヒナはそういう苦しみは銀の鍵で腐るほど見てきた。大きな悩み、小さな悩み、人によって色々だけど、苦しんでいない人なんていなかった。流石にサキの悩みは超ヘビーって感じだけど、ヒナが一緒に背負ってあげることでサキが楽になるのなら、このくらいはお安いご用。

 ヒナはサキの友達、サキの味方です。

 あ、でもハルと別れるつもりはないからね。幼馴染だし、両想い。この前キスしてやっと恋人って感じになったんだから。楽しいことの本番はこれから。こら、「本番」ってところ、ツッコまない!もう!

 サキが笑う。明るい笑顔だ。良かった。

 そうだ。心なんて読まなくても、ちゃんと理解出来る。ヒナは、サキと友達になれる。

「悩んでいても始まらない。後ろ向きでも、前に進まないとね」

 いつもの王子様が帰ってきた。頼もしいサキも素敵だけど、ヒナは可愛いサキも良いと思う。

 練習が再開されるということで、サキは手を振って校庭の方に走って行った。サキは振り返らない。前だけを向いて走る。でも、いつかは答えを出さなければいけない日がやってくるんだろう。

 それが、サキにとって幸せな答えであってくれればいいなって、ヒナはそう願うよ。

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